地域通貨「ワット(WAT)」
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「お金」ってやつは,いったい何ものなのでしょう

 スーパーで肉や野菜を買うときに私たちが使うお金は,交換の仲だちをしています。物と物を直接交換するよりも,お金を仲だちとした方がずっと便利なのは言うまでもないことです。ダイコンを手に入れるために魚をかついで行く,お肉を手に入れるためにニンジンを抱えて行く,なんていうことは,もうできっこありません。取引のしるしとして紙幣(印刷された紙片)や貨幣(丸く打ちぬいた金属片)を仲だちとすれば,重い物を交換のたびに運ぶ必要はなくなります。Aさんに魚を提供して得たお金で,Bさんから野菜を手に入れることもできます。つまり,二人のあいだだけでなく,たくさんの人のあいだでの交換がなりたちます。とりあえず今は使わずに,将来にそなえて貯えておくということだってできるのです。みんなのお金を集めエネルギーを結集して,橋を作ったり道路を作ったり,ひとりでは実現できない事業をおこなうことだって,合意があればできるでしょう。提供する品物の代わりに相手からお金を受け取ることは,相手を信頼することのあかしでもあったんじゃないかと思います。大昔は石ころや貝がらだったそうですが,「お金」は「ことば」や「火」と並ぶ,たいへんすばらしい大発見,大発明だったのじゃあないでしょうか。

でもちょっと待ってください

 お金,お金,お金。この便利なはずの道具が,なんだか今では私たちを支配しているように感じませんか。私たちがお金を使うのではなく,お金に私たちが使われているような気がするのは私だけでしょうか。この文章を読んでいるあなたも,失礼ながら,少なくとも一度はお金に苦労したことがあるのではないでしょうか。もしもそういう経験がないなら,あなたはもうここから先を読む必要はありません。

 借りたお金を2倍にも3倍にもして返さなければならないような住宅ローン。返済に追われ,とうとう追いつめられて自殺という道を選んでしまう人もいます。「万物は流転する」といった哲学者がいますが,すべてのものはみな消耗し,傷み,いつかは壊れます。新築した家も,40年も過ぎればぼろぼろになってしまうのに,どうしてお金だけは無限に増殖しつづけるのでしょう。まるでガン細胞みたいですね。でも,そのガン細胞ですら,寄生先の死とともに死滅します。

 経済活動の目的はみんなの幸福のはずなのに,人間は「人材」として,石油や鉄鉱石と同じようにあつかわれています。歳をとると「廃材」になっちゃうのでしょうか。会社経費を減らすためにリストラされることもあります。使われはじめたときには「リストラ」って,「解雇」という意味ではありませんでしたよね。収入の道が閉ざされるのではないかという不安に,みんな絶えずおびえています。

 超低金利で集めたお金を,超高金利でまた貸しする銀行やローン会社。多重債務を抱えたり,破産したり,夜逃げしてホームレスになることが,もう他人事ではない時代になってしまいました。利子や金利ってやつが,太った人をますます太らせ,やせた人をどんどんやせ細らせるように働いていませんか。こんなダイエットはいやですね。「金は天下のまわりもの」なんていいますが,まわるどころか,集中が進み,不平等がますます拡大しているように見えます。

 銀行や郵便局を経由して集められたお金は,空港など,もう必ずしも役にたつとはいえないガラクタ建造物をつくるために使われたり,それどころか,ダムや河口堰のように,自然環境に対して有害な施設の建築にあてられたりします。さらにそれどころか,人殺しのほかには何の役にもたたない軍事兵器の開発や購入に使われたりもします。私たちから集めたお金を使って鉄砲を買い,その鉄砲を私たちにかつがせるってわけでしょうか。ODAっていうのは,援助の名を借りた国家間の貸金業のことですか。しかもその「援助」が本当に現地の人の生活に役だっているかどうか,とっても疑わしいのが現実です。

 差益をあてにして,お金をお金で売買する為替相場。「投資」なんてもんじゃなくて,売買の差額収益を目的におこなう株取引。「から売り」なんてわけの分からない技もあるんだそうです。まだ収穫を終えてもいない穀物を売り買いする先物取引。私たちの生活実感とはかけ離れたこういう経済活動が,私たちの生活そのものに悪影響を与えるのは,たいへん困ったことです。

 「人間は万物の尺度である」と言った哲学者もいますが,今では,人間の価値も,その人のかせぐお金の量によって決まるかのようです。しかも奇妙なことに,人間にとって大切な仕事に携わる人ほど収入が低く,あってもなくてもいいような仕事をする人ほど高い収入を得ていませんか。

 お金は人と人とのあいだに忍び込んで,人の親切がお金目当てのものかそうでないか区別ができなくしちゃいます。店員さんの「お客さま!」という明るいかけ声が,「お客さまのおサイフさま!」と聞こえることがありませんか。強盗や,保険金目あてに人の命を奪う事件だって,たくさん起こっています。人が人を信じられなくなるのは,本当に不幸なことじゃあないでしょうか。私たちが生きてゆけるのは水と空気,太陽,土,植物や動物たち,そしてなによりも仲間である人間のおかげなのに,お金が何ものにもまさるという幻想が広まっています。

 不平等はもめごとの種です。この先ずっと国と国のあいだの経済格差が広がれば,やってくるのは戦争じゃないかと心配です。世の中をバラ色にするように見える最先端の科学技術も,不平等な社会ではろくなことに使われません。

 お金そのものは単なる紙きれや金属片に過ぎず,ティッシュの代わりにも,漬けもの石の代わりにもむいていません。それどころか通帳上の数字にしかすぎないこともあります。そもそも人間が発明した単なる道具であるお金が,まるで現代の「神」のように,そして人間の主人のように我がもの顔でふるまうこの現実はいったい何なのでしょう。

 私たちの身の丈にあったお金。私たちがコントロールできるお金。経済活動の実体のともなったお交換の単位を,もう一度取り戻すことはできないのでしょうか。使うことが「信頼の連鎖」を築くような,そういう道具をつくり出すことはできないでしょうか。さかさまになった価値観を,その本来の姿に戻す手だてはないでしょうか。

地域通貨

というものが,こういう問題の解決をめざして,世界各地で試みられています。いろいろな考えに基づき,いろいろな形式のものがありますが,だれに宣言しなくとも,どこに登録しなくても使える地域通貨

ワット精算システム

を紹介します。このパンフレット8ページのところの「ワット借用証書」をごらんになりながら読んでください。

 たとえば,あなたがAさんから,1000円のスイカを買うときに,その支払の一部にワット借用証書(ワット券と略します)を用いたいと思っているとします。


地域通貨についての参考書を紹介します。「なるほど地域通貨ナビ」丸山真人/森野栄一著,北斗出版,1800円(税別)ISBN4-89474-019-2 この本の著者の森野栄一さんが地域通貨「ワット」の生みの親です。


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