第5回  オリンピック予選総括 −1−
 やはりというか当然というか、最終戦は6−0の圧勝で終わった。終わってみれば4戦全勝。これは相手が弱かったのも一因である。が、弱いと言っても相手も一次予選をくぐり抜けてきたチームであり、結果ほど圧倒的な差があったとも思えない。そう考えると、相手に合わせることなく自分たちのペースで戦い続けたことは、評価していいと思う。代表に限らず日本のサッカーは、相手が強くても弱くても相手に合わせる傾向があった。ここが今までと一番異なった点なのではないかと思う。日本の成長した部分と言うより、今のオリンピック代表世代だけの良さのような気もするが・・・。

 総括するに当たって、キーパーソンを三人挙げたいと思う。まずはなんと言っても監督「フィリップ・トルシエ」である。

 彼の去就を含めた論争はこれからも続くと思う。私の個人的な意見としては、とりあえず契約条件を果たしたのだからもう少し様子を見るべき(オリンピック終了あたりまで)だと思う。この件に関して怖いのは、「オリンピックでのメダル」を条件にすること、または必勝を期待することである。メンバーが違うとはいえ同じサッカーである。フランスW杯のことを思い出せば、日本の本来の力はわかる。そこのところを勘違いしないことである。また逆に、今後オリンピックまで負け続けても、あまり騒がないことである。監督を変えてうまくいく保証はない。そして変わった監督は同じ目に遭わないために目先の勝利に走る。そうすれば2002年は・・・そう、目標は2002年であり、それ以降なのである。ここのところを忘れてはいけない。
 さて、「トルシエ」のことだが、彼の成功した点は実はとても多い。(自分が見てきた十数年の中では最多だと思う)その中でも、代表メンバーを固定しなかったことは最も評価に値する。最終戦の北嶋の背番号が39だったところにそれが顕著に表れている。これが日本サッカーの底上げにもなっているのは明らかである。えてして日本人監督は、チームの柱を決め、その人にあった人選をし、そのメンバーに固執する。そして心中する。そんな失敗の繰り返しから抜けさせてくれそうである。(こういった方式はファルカンはやっていた。世界の有名監督は当たり前のようにしている)これは、チームが若い人だったからだともいえる。A代表でもこのように多くの人を人選して欲しいと願う。オリンピックメンバーに固執して心中・・・などということになって欲しくないものである。
 そして、「トルシエ」の生命線である『フラット3』である。これの是非はあると思う。確かに危なっかしいし、南米選手権を見れば世界のトップレベルには通用しないのではと疑いたくもなる。それでもこのシステムを忠実に行おうとしていたディフェンス陣は、このオリンピック予選で最も成長したと思う。日本は近頃いつも攻撃を問題にしていたような気がする。そこに新しい風を吹き込んだことは、日本のサッカーにとって大きいと思う。また、『ゾーンプレス』を掲げた以前の代表監督(掲げただけマシかもしれない)とは異なり、『フラット3』を生かすシステムを取り、それをほぼ全員が理解し、システムが成立しているように見えるというのはすごいことである。ここまでシステムを理解させ、明確に出せた日本代表監督は、今までいなかったように思う。

 しかし、「トルシエ」にも問題がなかったわけではない。一番はA代表の軽視である。これは協会の問題(契約条件がオリンピック出場では・・・)かもしれないが、この頃のオリンピックチームをかわいがる発言は少々行き過ぎの感がある。宮本が素晴らしいキャプテンでも、まだまだ井原や森岡の方がトータルでは上であり、伊東、名波、奥のMF、中山、ロペスのような駆け引きの出来るFWからポジションを奪う選手はほとんどいないであろう。彼らに足りないのは『トルシエ戦術』の理解であり、反復練習の量だけである。それをおろそかにした「トルシエ」本人の責任である。(厳しい発言はA代表に対するプレッシャーとも受け取れるが・・・)
 そしてこれは「トルシエ」のパーソナリティーの問題かもしれないが、彼のマスコミとのつきあい方である。意味不明な行動も多く、なにやら不可解な点が多かったことを忘れてはいけない。これも協会の問題なのかもしれないが、こういった正直つまらないことで「監督更迭」という事態だけはやめて欲しい。日本代表は「トルシエ」のものではなく、「日本サッカー協会」のものでもなく、日本国民のものであることを忘れないで欲しい。ついでに、日本国民の代弁者のように振る舞う「マスコミ」も成長して欲しい。HPに好きなことを書く私たちとは違うことを認識して欲しい。

 長くなりましたので、第2,第3のキーは次回にします。

 (1999.11.15)