![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
去年イタリアに行った。 イタリアに行くと次は周辺のギリシャ、トルコなどへ、歴史に興味無かった私でさえ行ってみたくなる。 妹、姪と三人でトルコに行くことになったが、この国の事は、ほとんど知らないまま出かけた。 |
![]() ![]() ![]() |
1日目 3月19日 11:50 TK593で成田出発〜イスタンブール乗り換え〜アンカラまで行った。 途中の乗り継ぎ時間を考えたりすると順調に行っても、ホテルに着くまで18時間位の覚悟が必要だと思う。 乗り換えのイスタンブールに着くと2時間以上の待ち時間があったので、両替や、本屋さんでふらついてその時間をつぶした。 それからアンカラまで1時間ほどして空港に着いたが、空港ではいつもバスまで自分達で荷物は運んだが、トルコでは10人くらい集まっていた男性が、夢中で荷物のところに来てバスまで運んだ。 現地のガイドは彼らにチップを渡していたが、この国には仕事にありつけない人たちが大勢いるような気がした。 ホテルに着き、部屋にたどり着いた時には10時をとうに過ぎていた。 結局大船の妹の家を出発した時から考えると、一日目はベットにたどり着くまで21時間かかっていたこととなり、ハードだった。 旅行社には他の人と相部屋でもかまわないといって申し込んであったが、旅行中思いがけず最後まで部屋を一人独占できた。やったネ(^。^) 最初ちょっぴり寂しい気がしたが、これはこれでのん気で快適だった。 この日はとても疲れ、荷物はなるべくいじらぬまま寝る事にした。旅の時間変更は時々あるが、遅れる事はあっても次のスケジュールは非情にもそのまま続行するのだから、それに順応していかなくてはならない。 このツアーには一組の若い夫婦が2歳くらいの子供をつれて参加していたが、他人事ながらこの先このスケジュールでは心配になった。 ![]() ![]()
トルコ情報 気候風土 ![]() 東部には地震が多く、日本でも時々ニュースで瓦礫になった様子を見ることがある。火山国なので走るバスの中から吹き出た温泉を見ることがあった。 気候は地中海性気候で、夏は暑いが湿度が少ない為しのぎやすい。秋から春にかけては曇天が続き、11月から1月は雨が多い。私たちは旅はその曇天であった。 人口・言語 総人口は6,000万人以上で言語はトルコ語(メルハバ・・・こんにちわ、ギュナイドン・・・さようなら) 宗教 99%がイスラム教だが、1923年の共和制以降国教ではなくなり、政教分離が確立している。ラマダンとよばれる断食月があるが、イスタンブールでは行う人も少ない。 文化、芸術 ビザンティン時代とオスマン帝国時代の歴史的建造物が多い。オスマン帝国時代から盛んに作られ、宮殿の壁を彩ったタイルや、技術の高さで知られる絨毯はすばらしい。 産業・経済 農業が経済において重要な役割を果たし、100%の食料自給率です。 トルコは世界でも有数の羊毛生産国です。イスタンブールは商業と金融の中心地である。 トルコの歴史 新石器時代(8000〜3000B・C)アナトリア高原に、農耕、狩猟する民がいた。 青銅器時代(3000〜2000B・C)トロイの最盛期 ヒッタイト時代(2000〜700B・C)黒海を渡ってきた北方系民族であるヒッタイト人が、アナトリア地方を統一した。世界で始めて鉄器を使い栄えた。 ギリシャ・ペルシャの征服時代(900〜334)ギリシャ人がエーゲ海沿岸地域に支配した。エフェソスが栄えた。B・C600ペルシャがアナトリアを征服し、それによってギリシャと長い戦争になる。(ペルシャ戦争) ヘレニズム時代(334〜395B・C)ギリシャを征服したアレクサンドロスがペルシャを滅ぼし、ギリシャ・エジプト・インドの西部に渡り征服し大帝国となる。彼が死んだ後ギリシャが東方に移住し、エフェソス、ペルガモンなどにヘレニズム文化が花開いた。 ビザンチン帝国時代(395〜1071) ローマ帝国のコンスタンティヌス帝はビザンティウムに遷都した。地名をコンスタンティノープルとし、395年にローマ帝国は東西分かれた。537年ギリシャ正教会のアヤソフィアが完成した。 オスマン・トルコ時代(1071〜1918) 次第にビザンティン帝国は衰退し、かわって1453年オスマントルコのメフメト二世が東ローマ帝国を滅ぼした。コンスタンティノープルの地名をイスタンブールに変更し首都とした。 16世紀にはヨーロッパ、アジア、アフリカに一大帝国となったが、800年以上にわたって続いたオスマン・トルコも次第に衰退し、1918年第1次世界大戦で、英、仏、露に破れ、降伏した。 トルコ共和国 1923年ムスタファ・ケマルが、トルコ共和国を設立した。政教分離をし、首都をアンカラに移した。 |