『空に還る』



 ねえ、あなたはその空にいるの?
 ねえ、あなたはどうして私を残して去っていってしまったの?
 私、・・・たったひとりでどうすれば良いの?
 

「私と、アリオーン様が・・・結婚、ですか?」
 なんだか妙な文節で言葉を区切りながら、私は目の前の青年を見返していた。
「どうしたの、君達は婚約者なんだから、そんなに驚く事じゃないと思うけど」
 その青年ことリーフ王は、そう言って小さく笑った。
リーフ様の栗色の髪が揺れ、薄茶の瞳が微かに煌めく。
 別段隠し事をしているようには見えなかったけれど、それでもその表情から、真意を推し量ることは出来そうになかった。
「確かにそうですけど」
 ターラの公女である私と、トラキアの王子であったアリオーン様が婚約者であったのは紛れもない事実だ。
 けれど、トラキアは先の戦で解放軍に破れ、国名だけがリーフ様が収めるこのトラキア半島を統べる王国に受け継がれているのみだ。当然王子であったアリオーン様もその王位継承権を放棄している。
 それなのに・・・二人の婚約はまだ有効なのだろうか?
「まあ、国が無くなったのに、婚約の事をとやかく言うのは・・・ちょっとおかしいかな?」
 私の気持ちに気づいたのか、リーフ様はそう言ってきた。
「いえ、そうともかぎりませんわ。国家の事は別にしても、正式に婚約を破棄した覚えはありませんから。ただ、いきなりだった物ですから・・・」
 そういって私は、小さく目を伏せた。
 確かに、私は婚約を破棄した覚えはないのだ。
 それなら、二人が生きている限り、その効力は有効なのかもしれない。
「そうか、そう言えばそうだね」
 リーフ王子は、さも今そのことに気づいたかのように、小さくうなずき返した。
 もともとこういう少し鈍いところがある方ではあったのだけど・・・、そのあたりは子どもの頃と変わって無いらしくて、私には何故かそれが少し嬉しかった。
「何故今頃になって、結婚のお話をもってきたのですか?」
 リーフ様相手では、遠回しに聞くだけ無駄だと思った私は、単刀直入に聞いてみることにした。
「リノアンもしかして君は、この年になるまで結婚の事とか考えたことはなかったの?」
 私の質問を疑問に思ったのか、リーフ様が逆に私に質問を返して来た。
 これもまた、純粋に驚いているようだから不思議だ。
「無いと言うことは無いですが、真剣に考えたことはほとんどありませんね。それに、そんな事を考えるような時間はありませんでしたから」
 これもまた、嘘偽りのない事実だ。
 ただ、わざと考えないようにしていたことには触れなかったけれど。
 どうせ、自分は愛した人とは結ばれることはないのだと、ずっとそう思っていたのだから・・・。
「そっか、リノアンも忙しかったんだものね。でもリノアン、君も今年で23だよね?、そろそろ結婚してもおかしくない年だと思うんだ」
 そう言ってリーフ様は、そこで一度呼吸を区切った。
 慣れないことをするのに疲れている。そう言う風にも見える仕草。
「リーフ様、私とアリオーン様の結婚の事を、誰が言い出したのですか?」
 目の前の相手の目を見据え、私はそう切り出した。
 一瞬、リーフ様の顔が強張る。
「敵わないな、リノアンには」
 観念したような顔をして、リーフ様は小さくため息をついた。
「どうして、僕の考えじゃないって思ったの?」
 いたずらっぽそうな目でそう聞いてくるリーフ様の目は、どこか昔を懐かしんでいるようだった。
 私がただの世間知らずの深窓の令嬢でないことを、彼は良く知っていた。
「目が、ちゃんと私を見ていなかったからですよ」
 そういいながら、きっと私もまた、子どものような顔に戻っているのだろう。
 リーフ様が、自分でそんなことを考えるとは到底思えなかったという、その理由についてはもちろん触れないことにした。それは私の方ではなく、アリオーン様の方の事情に関わることなのだけれど。
「それで、誰の差し金なのですか?」
「アウグストだよ」
「アウグスト、・・・あの軍師の方ですね」
 個人的に話をしたことはないけれど、顔だけなら知っている。確かリーフ様の軍で軍師をしていて、今もリーフ様の元で官職に就いているはずだ。
 そのアウグストが言ったというのは、こういうことだった。
 トラキア半島が王国として統一されてまだ二年強。大方の人間は新しい王位についたリーフ様に好意的だが、南部の人間にはまだ不満を持つ者も多く、彼らの不満は、トラキア王国の正式な王位継承者であったアリオーン王子が、王位継承権を放棄して以来、正式な地位に就いていないことに集約される形になっている。
 彼らの不満は、いずれ何かの形で表面化する可能性がある。それを回避するために、アリオーン王子に何かの地位を与えることはたやすい。しかし、そうすればそうしたで、その地位を利用する人間が出てくる可能性がある。
 ならば答えは一つ、アリオーン王子を、地位は高くとも、トラキアの政治の中枢に関わらないような役職に就けること。
「確かに、私の夫ならば、地位も身分も高いですけど、トラキアの王家とは何の関係もありませんものね」
 ターラはトラキア半島の南北の中間地点に位置する物の、グランベルのバーハラ王家の分家であって、かつてトラキア半島にあったどの王国の支配下にも入っていない独立都市。
 トラキアが一つの王国に統一された今も、それは変わっていない。
「うん、それにリノアン公女の方もいつまでも独身って訳にも行かないだろうし、元々二人は婚約者同士だから、表向きも不自然じゃなくて良いだろうって・・・アウグストが言ってたよ」  
 リーフ様は、何処か自信のなさげな、そして少しすねたような顔をしている。
 どうやらアウグストとというのは、かなり優秀な人物らしいのだが・・・リーフ様にしてみれば、国王になってまで、と言うよりも、この年になってまで、人の意見で動いている自分が嫌なのかもしれない。
 それとも、アリオーン様に恋い焦がれていた、姉姫様の事を思ってだろうか?
「リノアンはどう思う?」
 途中頷きつつも、表情をほとんど変えずに話を聞いていた私を不審に思ったのか、リーフ様は小さな声で、恐る恐る問いかけてきた。
「良い手段だとは思いますね、客観的に見ればですけど」
 これは、正直な回答。
 ちょっと棘はあったかもしれないけど。
 たまには、こういう風に答えたっていいはずだ。
「それなら、主観的に考えると?」
「それは、お答えできませんわね」
 そう言って、私は小さく顎をひいた。
 主観的に、どう考えろと言うのだろう?
 どう考えたって、私に出来ることはイエスかノーか答えるだけしかできないのだから。
 私人としての主観的な答えなど、言った所で何も変らないのだから、考えるだけ無意味なことだ。
 それに・・・民衆や、大多数の人々を納得させる政策を立てる上で、それに巻き込まれて不幸になる可能性のある数人の人物のことを考えているようでは、政治という物は成立しない。
 私だって、もう十年近くこのターラの街の領主をやっているのだ。そのくらいのことは簡単に分かる。自分が、巻き込まれて不幸になる側の人間になったことも多いし、その逆だって何度もあるのだから。
 今更、自分の運命を呪う気など無いのだけれど。それでも時々、嫌になりそうになる。
 背負った物を捨てれたらと・・・それが出来ないと、分かっていると言うのにだ。
「アリオーン様には、もうこの話はされたのでしょう?」
 答えないその理由には触れようともせず、当然の疑問を、私はリーフ様にあててみることにした。自分だけのことではないのだから、アリオーン王子の方がこのことをどう思っているのかも知るべきだろう。
「ああ、話に行ったよ」
「御自分でですか?」
「いや、アウグストが行ってきたんだ」
 アリオーン様は確か、この街に近い山間の村で暮らしているはずだが、彼がそこにいるのが分かったのは、わずか半年前のことに過ぎないのだ。
 そんな辺境で、一体彼は何を考えて暮らしているのだろう?
 興味はあったけれど・・・私には、知りようも無い事だった。
「そうですか・・・それでアリオーン様のお答えはどうだったのですか?」
「リノアンが良いって言うなら、結婚しても良いって、そう言ってたそうだよ」
 その答えは、だいたい予想していた通りの物だった。
「私の意志に任せると、そう言うことなのですね」
 彼が、私との結婚を望んでいると言うのなら、それはきっと、この国の未来を案じてのこと。
 彼はこの結婚に、自分の幸せ等望んではいないのだ。
 そういう意味で、彼と私は・・・似ているかも知れない。
 私が考えてるしばらくの間、沈黙が続いた。
 先に口を開いたのは、リーフ様の方だった。
「あの、何も今すぐ答えを出さなくても良いんだよ」
 申し訳差無そうな、その口調。
 言外に、断って欲しいという思いがある・・・。
「いいえ、いいんです。時間をかければかけるだけ、悩むだけですから」
 誰の意見も聞かずに、答えを出して良いものかとも思う。
 けれど人の意見を聞いても、迷うだけなのだから、いっそここで答えを出す方が良いのだ。それにその方が、よけいな詮索をされなくてすむのだから・・・。
「私、この話を受ようと思います」
 出来るだけ、声を、心を、落ち着けてから・・・私はそう答えた。
 私の答えを聞いて、リーフ様の顔が少し、青くなったように見えた。
 私のこの決断で不幸になるのは、リーフ様の姉姫様かもしれないのだから、仕方のないことなのかもしれない。
「そ、そう。それなら良いんだ」
 表情を整えてから、そういって、リーフ様は部屋から出ていった。


 それから、結婚式までの日々は慌しかった。
 結婚のことが国中に知らされ、城の中ではバタバタと準備が続いた。
 ターラにやってきたアリオーン様は一人で、エダと何か話したようだが、その後はずっと事の成り行きに身を任せているようだった。
 準備は私の方が忙しくて、そんな彼と話しをしている暇などなかった。
 結局、花嫁と花婿がまともに会話する時間などなく、あっという間に1月が過ぎ、結婚式の当日になった。


「リノアン様、そろそろお時間ですよ」
 忙しさの反動か・・・出来れば心行くまで外を眺めていたところだったけれど、扉を開けて入ってきた女性の声で、私は我に返った。
「あら、ごめんなさいね、今行くわ」
 その女性の方を振り返り、私は声をかける。
 彼女の名はエダ、先の戦いの折りに、私の護衛についていた竜騎士の妹で、今は私の侍女をしてくれている。侍女と言っても普段は護衛を兼ねているので、わりと動きやすい服装の上に皮鎧をつけていたりするのだけれど・・・今日は大きく襟刳りの開いた、丈の長い桃色のドレスに身を包んでいたりする。
「うふふ、綺麗よ、エダ」
 私は、ドレス姿の彼女を見た素直な感想を本人に告げた。
 エダは竜騎士の見習い、その兄は竜騎士で、トラキアでそれなりに身分の高い家の生まれだと思ってはいたが、私が彼女のこういう姿を見るのは初めてだ。
 ただ、こういうドレスを一部の隙もなく着こなせると言うことは、彼女が身分の高い家に生まれ、正式に礼儀作法を受けたことがあるということを教えてくれる。
 最初彼女はこういう格好をするのはいやがっていたのだけれど、ここまで様になっていれば、説得したかいがあるという物だろう。
「リノアン様の方が綺麗ですよ」
 少しだけ顔を赤くして、エダは私に小さく笑い返してきた。
 胸が、少しだけ痛い。
 今日の私。純白のドレスに包まれて、レースやダイヤでめいいっぱい飾り立てられた、白い花嫁。
 最初に鏡を見たとき、これが現実なのかと思った。
 最初は信じられなかった結婚の話を無理矢理現実にしたのは自分なのに、今日になって、花嫁姿になって、やっと現実に思えてきた気がする。
 忙しすぎて、実感している暇などなかったからかもしれない。
「リノアン様?」
「え、ああ、ごめんなさい、ちょっとぼーっとしていたみたい」
 どうやら、知らぬ間に俯いてしまっていたらしい。
 相変わらず私は・・・誰かに心配をかけたくないと思いながら、周りに心配をかけ続けているのだ。今日も目の前にいるエダに、いらぬ心配をかけている。
 昔から私は、こんな自分が大嫌いなのに・・・。
『お前はなんでも一人で背負い込み過ぎだ。信頼できる人間を見つけて、もう少し人に頼ることを覚えた方が良いぞ』
 こんな時に、あの人の言葉を思い出す。
「大丈夫よ、本当に何も心配しないで」 
心配そうにしているエダに満面の笑みを返し、差し出された手を振り切って・・・私は歩き出した。
 今日一日、たった一日、本当にそれだけで良いから・・・。
 勇気を、ください。

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