「正直、君がこの話を受けるとは思ってなかったよ」
 結婚式や、それに続く一連の儀式が終わった後も、宴会のような披露宴が続き、ようやく主役である私とアリオーン様が開放されたのは、日もとっくに沈み、そろそろ真夜中に差し掛かる時間であった。
 無言でこれから二人の寝室となる部屋まで進み、そして、いの一番に言われた言葉がこれである。
「そんなに、不思議ですか?」
 テラスに寄りかかりながら、私は小さく微笑んだ。
 アリオーン様は、確か今年で27になるはずだ。最後に彼と直接顔を合わせたのは、もう六年ほど前になる。昔の記憶は朧気だけれど、前とは少し雰囲気が変わった気がする。何処がどういう風にとは・・・説明できないのだけれど。
「単刀直入に言わせてもらうよ。君が好きなのは、私じゃなくてディーン、そうなんだろう?」
 部屋の中にいるアリオーン様は、テラスの外に視線を逸らしながら、私にそういってきた。穏やかな、優しい声で。
 その声音が優しすぎたせいで、私一瞬何が言われたのかわからずに、瞬きを二、三度繰り返した。
 そして少しづつ、彼の言葉を理解していく。
 そうこの人は、私の気持ちを、知っていたのだ。
 知っているかもしれないとは前々から思っていたけれど・・・流石にいきなり指摘してくるとは思わなかった。
「ええ、昔はそうでした」
 謝罪の気持を込めながら、私は彼の言ったことを認めた。
 誰かの前で、声に出して自分の気持ちを認めたのは、もしかしたらこれが初めてかもしれないと思うと・・・それはそれで、少し悲しい。
「昔は、・・・昔だ。関係ないとは言い切れないけどな。それで、今の気持は?」
 アリオーン様はテラスの側まで来てから、私にそう聞いてくる。
 優しい瞳、問いつめると言うよりも、問いかけるようなその口調。
 相変わらず彼の視線は外に向けられているのだけれど、その心の矛先がどこを向いているのか、私には知りようもない・・・ただ、私でないことだけは確かだろう。
「振り切ったといいたいところですが、そうとも言い切れません。自分でもわからないというのが、正直なところですね」
「分からない、か・・・、なぜそう感じる?」
 外を見ていたはずのアリオーン様が、私の方に視線を向ける。
 彼の顔が、間近で私の目に入る。
 綺麗な顔だと思う。
 一点の曇りもない白い肌と、薄茶色の髪に、ガーネットのような、深く暗く、そして澄んだ赤の瞳。整った目鼻立ちは昔から変わらないけれども、もう、少年の頃のような幼さは無い。
 それだけ、時間が過ぎたということなのだ。
「確かに昔は、ディーンのことが好きだったんです。でも、その気持を本人にちゃんと伝えたことはないですから・・・彼からも、それらしいことはほとんど言われたことがあえりません。
 けど、それなのにあの頃は・・・彼の気持を疑ったことはなかったんです。
 でも彼とはもう二年は会ってません。その前の三年間も一度も会っていませんから・・・。
 彼は、会いに来てくれなかったんです。
 私のこと、避けてるんだって思いました。
 嫌われているのか、嫌おうとしているのかは、分からないんですけれど。
 私、待っているだけの日々に疲れたのかもしれませんね」
 ゆっくりと話しながら、作り笑いを浮かべる私は、アリオーン様の目にどう写っているんだろう?
 これから自分の伴侶となる相手が、今でも他の男の事ばかり考えていると知って、どう思うんだろう?
「・・・リノアン、私はね、君がこの結婚を承知するとは思わなかったんだ」
 アリオーン様は、じっと私の瞳を覗き込んで、そう言った。
 それは、だいたい私が予想したとおりのことだった。
「ええ、なんとなくそんな気がしていました」
 この人は、私に断って欲しかったのだ。この結婚を。
 そして、断るような人間だと思っていたのだろう・・・。
「正直に言うと、私は君が断ってくれるのに期待していたんだよ」
 少しばつの悪そうな顔をして、彼はそう言って来た。
「そうでしょうね」
 少し心が痛かったが、私は平静な顔を装った。
 全てが嘘じゃないのが、それがかえって心に痛い・・・。
「君は・・・」
 僅かな沈黙が落ちる。
 アリオーン様は、もしかしたら呆れているのかも知れない。
 まだ春の初め、冷たい夜風が、肌に触れる。
 話すのを中断してようやっと、寒いと言う事実が強烈に染み渡ってくる。
 このままここに居続ければ、風邪を引くのは確実だろう。
「そろそろ、部屋に入ろうか」
 先に、根負けしたのは、アリオーン様の方だった。
「わかりました」
 ここで意地を張って外にいつづけるほど、私も馬鹿ではないのだから。


 寝室に入って、私たち二人は横に並んでベッドに腰掛けた。
 話したいことは、まだ色々有るのだろう。
 それは私も同じで、まだ眠る気にはなれなかった。
 それなのに・・・ただ、何を話すのでもなく時間は過ぎていく。
 要するに、お互い話すきっかけがつかめないのだ。  
「こういう部屋は、なんだか落ち着かないな」
 先に口を開いたのはアリオーン様の方だった。
 何気ない話題を振っているような感じだが、どこか不自然だ。
 私に、気を使っているのかもしれない。
「どうしてですか?」
 会話が途切れるのもなんだろうと思った私は、そう問い掛けた。
「ここ何年か、こういう天蓋付きのベットなんかとは無縁の暮らしをしていたからな。昔はこういうところで寝ているのが当たり前だったんだが・・・、今は妙に落ち着かない。こういうところに来ることは・・・もう無いと思っていたからかな」
 それは、歴史の表舞台から消え、市井の者の一人として生きること望んだ人間の言葉だった。
 しかし幸か不幸か、ささやかなかはずの彼の望みは・・・かなえられることは無かったのだけれど。
「もう四年前か、・・・あのときは、行く先なんて決まってなかったんだがな」
 どこか昔を懐かしむような目で、アリオーン様は上を見上げる。
 そこには天井しかないが、彼にはきっと違うものが見えているのだろう・・・それは、南トラキアに連なる、高い山々だろうか?
「色々当たったんだが、結局ここからそう遠くない山間の村に住むことになったんだ。
 そこに、昔私の乳母をしてくれた者が暮らしていてね。みんな、私達によくしてくれているよ。
 半年前に、村に私達が住んでると分かったときも、色々言われたけれども、結局村を離れることもなかったからね。
 だから私は、村を出ることはもう一生無いと、勝手にそう思っていたんだがな・・・」
 王子として大切に育てられてきた彼が、それを捨てただの村人として生きるのに、どれほどの覚悟があったのだろう。
 戦続きの日々が過ぎても、世の中に残された小さなわだかまりは、容赦なく彼の人生にのしかかっているのだ・・・。
 ただ、私が気になるのはそんなことじゃなかった。
「私達ですか・・・、もう一人は、ディーンのことですね?」
 食い入るような視線で、私は彼の目を見つめる。
 何故だろう・・・忘れると決めたはずの過去が、蘇るような感覚。
「ああ、そうだよ」
 彼はあっさりと肯定した。
 大体予想していた通りの事実だったが、真実を知って、私は少しほっとした。
「彼は今も元気ですか?」
「一月前に村を出た時は元気だったよ。あれから何の連絡も無いから、今も元気なんだろうな」
 優しげな視線を私に向けたまま、アリオーン様はそう答えた。
「そう」
 元気なら、それで良い・・・そう、思いたかったから。
 私は短く、そう答えただけだった。


「私の初恋は、あなたでした」
 唐突に、私はそんな事を話し始めていた。
「私も、そうかもしれないな」
 優しい笑顔で、彼はそれに答える。
「私は、私の両親がどうやって結婚したかなんて知らないです・・・けれど彼らの結婚に、政略的な意味があったのは確かだと思います。そして、そんな両親を見てきたから、私もそれが当たり前だって、子供心に思っていました・・・。
 もちろんそれは、あなたに恋をしたことには、直接の関係はないのですけど・・・。
けれど、そう思っていたから私は、婚約者以外の人に恋心を抱くのはおかしいって・・・ずっとそう思っていました。これは誰のせいでもない、私自身の心の問題です。
 そうじゃないって気づいたのは、リーフ様の解放軍に身を置いていたときです。ずっと側にいてくれたディーンが、自分にとってどれほど大切か、その時に気づきました。
 一緒にいられる時間が、ずっと続くわけじゃないって事は、最初から知っていました・・・いえ、知っている気だったんです。でも、それでも、永遠に今が続けば良いって、そう思ってました」
 涙が、止まらない・・・。
 待ってるのに疲れたなんて、言い訳に過ぎない。
 結局私は、ディーンの事が好きなのだから。
 この想いが、受け止めてもらえることが無いとしても。
 あふれ出そうになるこの気持ちを、抑えるには・・・限界がある。
 知らない振りなんて・・・私には出来ないから。
「リノアン・・・どうしてそれだけディーンの事が好きなのに、この結婚を承諾したんだ?」
 アリオーン様は、泣いている私の肩に手を置いて、優しく問いかけてくれる。 
この人は、ディーンじゃないのだ。
 かつて私は・・・ディーンに、この人の代わりを求めたことがあった。
 そして今は、この人にディーンの代わりを求めている。
 私はなんて、嫌な女なんだろう・・・。
「ディーンは、なんでそう思うか言ってませんでしたか?」
 泣きながら、それでも平静を保つようにつとめ、私は問い返す。
 私たちは何だかさっきからずっと、ディーンの話しかしていないような気がする。いや、そうじゃない。他の話を始めようとしても、私が勝手にディーンの話をしてしまっているのだ。
 彼の存在感だけが、強くここにある。
 こんな私に付き合ってくれているアリオーン様には・・・、もう、いくら感謝しても足りないけれど・・・それは愛じゃないと、私は知っているから。
「ディーンは、自分で本人に聞いてみてくださいって、そう言ってたよ。その方が納得できるだろうとも言ってたしね」
 ああ、そうか・・・。
 ディーンは分かっているのだ。
 私がターラと自分の恋愛をかけて、どちらを取るような人間なのか。
「私は、二年前にディーンに言われました。
 『リノアンお前は、俺のためのターラを捨てると言った。だがお前にはそれが出来るはずはない』
 その時は、その言葉の意味が分からなかったんです。
 でもその時、私は確かに、彼よりターラを取りました。彼の言った言葉を理解できたかどうかなんて関係なくて、私はその時から、いえずっと前から、そう言う人間なんです。
 そして、今もそうです。
 私は彼より、ターラを取りました。
 ターラの利益のため、未来のために、あなたとの結婚が必要だと、そう指摘されたからこそ、私は、この結婚を承諾したんです。
 私は凄く、打算的な女です。 
 あなたが思っているような人間ではないんです。
 どうぞ、好きなだけ軽蔑してください・・・」
 彼の目が直視できず、私は下を向いた。
 私は、自分がどれだけ打算的で、汚くて、冷たい女なのか、そんな事はずっと前から承知していたはずだ。
 それなのに、誰かを目の前にして、それを言うのは、どうしようもないくらい・・・心が痛い。
 こんな自分・・・誰からも、愛してもらえる訳が無い。
「打算的か、・・・それは人間として、仕方のないこと何じゃないのか?」
 ふっ、と小さくため息をついたアリオーン様は、声をわずかに低くしてそう言ってきた。この人の、こんな声を聞くのは初めてだ。
「それに、そう言う意味なら、私も君の同類だ」
「同類・・・」
「私があなたとの結婚を承知したのも、あなたと同じような理由だよ。
 トラキアのため、ただそれだけだ。
 国が無くなっても、トラキアのために生きたいという気持は、私の中で少しも変わっていない。・・・ただ、あなたも私と同じような生き方を貫いていくつもりだとは、思えなかっただけだ」
 この人もまた、自分のためではなく、国のため、民のために生きることを望んでいるのだ。自分の背中に、ずっと視線を送り続けてくれた妹姫の視線を振り切ってまで、その道を選ぶのだ。そうまでして、この道を生きる理由は何なんだろう?
「アリオーン様・・・」
 近視感、あるいは同類意識。そう言う感情でも良い。
 自分の真の想いに、目を向けることの出来ない人間同士の・・・。
「私たちは、共犯者です。お互いの想いに、目をつぶるんですから・・・」
 涙はまだ出尽くしていないのか、さっきより強く流れていく。
 もう、誰のための涙なのかは・・・自分でもよく分からなかった。
「そう・・・だな」
 うなずく彼は、やはり少し寂しげな視線のままだ。
 この人も私と同じなのだ。
 自分個人の感情より先に、与えられた責任を背負ってしまう。
 人として弱いのか、強いのか、それは分からないけれど、もう、ここから道を変えることは不可能だろう。幼い頃から当然のように与えられ、そして自分で選んでしまった道だ。
 生き方を変えるには、もう遅すぎる。
 私たちにはもう、この道しかないのだ。
 全ての人を騙しながら生きる、この道を歩むのだから。
 すっと、私はアリオーン様の目を見つめる。
 ああそうか、この瞳は、自分に似ているのかもしれない。
 私は、そっと、アリオーン様に近づき、その唇に、自分の唇を重ねた。
 ほんの一瞬だけの時間が、心の中に重くのしかかる。
 振り払わなければいけないはずの想いだけが、強く心に去来する。
 忘れることが出来ないなら、封じればいいのだ。
 だからこれは、そのために必要な儀式・・・。
 
 
 そして私は、この想いを。
 今日ここで、空に還す。


 後書き
 HP開設当初から予告してたアリオーン×リノアン・・・。
 一応書きあがったのはずーっと前なのですが・・・このお話のリノアンの人格に疑問を感じていたので、暫く封印していました。
 リノアンFCに入ったのをきっかけに・・・書き直してみようと、そう思って引っ張り出してきたお話です(そして約一時間ほどで加筆修正(^^;;;)。
 このお話の中のリノアンも、確かに私の中のリノアンだったんですから・・・封印するのはかわいそうだと、そう思ったので・・・公開に踏み切りました(いや別に、そんな重大な事ではないのですが・・・)。
 今の私の持つリノアン像とは結構ずれがありますが、昔の(と言っても数ヶ月前ですが(^^;;;)の私の中にいたリノアンを、少しでも感じてもらえたら嬉しいです。


 管理人コメント
 素敵なお話ありがとうございました。
 この話は一見悲しい話のようだけど、多分、そうでもないんですよね。運命を共同にする人がいるっていうのは、ずっと独りでいるよりは、幸せなことだろうから。私もこの二人には、同類というか、共犯というか、うーん、同盟者的なイメージがありますね。
 ターラ第一で政治的なリノアンと、トラキア第一でちょっとかなり人生諦めちゃったような(爆)アリオーンってのが私的にツボでした。ついでに、結婚式&初夜がメインの話ってのにも、ときめきMAXでした(笑)。
 御司さんのサイトへはこちらからどうぞ〜。創作が沢山(うちより開設日後なのにスゴク多いわ・汗)ありますー。 ⇒ 

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