「アスベル、いる?」
「……」
「アスベル?」
 マチュアは、アスベルの部屋の前に来ました。
 遠慮がちに扉を叩き、声を掛けます。
 返事はありません。息を殺し、板一枚隔てた向こうの気配を窺います。
「……いないのかしら、どこへ行ってしまったのかしら」
 アスベルは、部屋にはいないようでした。

「どこへいったのかしら……っ」
 先に見た、アスベルの思いつめた表情が、脳裏を過ぎります。
「……まさか、もしかして、でも、まさか……そんな」
「お、マチュアじゃん」
 顎に手を当て、一人で思案しているマチュアに、声をかける人がありました。この部屋の、もう一人の住人です。
「あら、ホメロス」
「アスベルを迎えに来たのかい?」
 ホメロスは、ニヤリ、と笑いました。
 マチュアは、その何か企んでいるかのような笑いは何……と思いつつ、答えます。
「まあ、そんなところよ」
「お、前進したって感じだな」
「は? 何が?」
「べっつにー」
「……ね、アスベルがどこにいるのか知らない? 中にはいないみたいなんだけど」
「いないのか?」
 扉を開けて、中を見渡す仕草をします。実際に部屋はさして広くないので、開けただけでアスベルがいないのはわかるのですが、まあ一応、です。
「いないなぁ」

「何処にいったのかしら。心当たりない?」
「マチュアにはないのか?」
「……ない、こともないけど……」
「じゃあ、そこに行ってみたらいいじゃないか」
「……そう、ね」
「もっと自信を持てよ、お前ら……」
「お前ら……?」
「……いいから、行ってやれよ。アスベル、待っていると思うぞ」
「そう、かしら……そうね。行ってみる!」
 マチュアはホメロスと別れ、『心当たり』に向かって、走り出しました。
「おーおー、慌てちゃって。若いっていいねぇ」


 マチュアは、心当たりの場所に辿り付きました。
 そこはリーフ王子の部屋です。
 ここしかないと勇んで来たはいいけど、個人的に親しいわけでもない身分高き人の部屋に約束もなく訪問することは躊躇われました。アスベルを探しているといっても、緊急の用事があるわけでもありません。扉に耳をつけて、隙間から中をうががいますが、様子は見えません。
 しばらく扉の前でうろうろしていると、内側から扉が開きました。
「マチュア殿?」
 出てきたのは、レンスターの槍騎士フィンでした。
「あ……えーと、こんにちは」
「? こんにちは。リーフさまは外出中だが急ぎの用か?」
「いえ、そういうわけでは。あの、アスベル見ませんでしたか?」
「今日は会っていないが」
「あ、そうですか。じゃあいいです、失礼します」
「……?」
 マチュアは顔に疑問府を浮かべるフィンを後にしました。

 では、本命はセティで、いてもたってもいられずマンスターに駆けつけた?
 いや、でも、 マンスターは馬車で駆けても10日は掛かる距離。アスベルは人に告げず、少なくともリーフ王子に告げず、軍を離脱するような子ではないわ。

 となると、どこかしら。
 考えてみると、マチュアはアスベルの行動パターンを知りませんでした。
 とりあえず、自分ならどうするかと考えます。
 想いを果たすためには、力が必要になる。セティに早く逢いたいなら、なおのこと力が欲しいはず。リーフが本命だったとしても、彼の力になるためにセティに弟子入りしたくらいですから、もっと強くなりたいはず。

 となれば、とりあえず自己鍛錬に励む、かも。
 城の西に、魔道士が鍛錬に使うために結界が用意されています。
 マチュアは結界に向かいました。

*

 淡い光を放つ、空気のドーム。その中に、魔道書を手にしたやや小柄な背丈のマント姿がありました。どうやら練習中のようで、中央に設置されたオーブに魔法を放ちます。
 唱えたのはアスベルが得意な風の魔法……でしたが、その魔の風はそよ風程度の勢いしかありませんでした。
「風は、まだダメだなあ。てんでダメ」
「1つずつ時間をかけて体得されたらいかがですか? 炎だって杖だって形になったばかりではないですか」
「うん、でもじっくり鍛錬に使える時間なんて、なかなかとれないからね」
 近づいたならびっくり、魔法を放っていたのは武器は剣オンリーのはずのリーフ王子でした。
 その横には、気品のあるお顔を曇らせたナンナ王女もいました。

「ごめんね、ナンナ。折角戦いがない時なのに付き合ってもらって」
「わたしのことは気にしないでください。好きでこうしているのですから」
「え、好きで?」
「あ、好きでというのは……その、まあ……はい」
「そっか……」
「あの、深い意味ではありませんけれど」
「そう?」
 リーフは可愛らしく首を傾げます。ナンナは頬を染め、俯きます。その時、リーフの手に目がいったようです。その手をとって、引き寄せます。
「……あ、リーフさま、ここ火傷してます」
「……」
 リーフはナンナと繋がった部分を見つめました。
「炎の魔法のときかな。上手くできたと思ったんだけどなあ」
「ライブ!」
「ありがとう。ぼくはいつも君に支えてもらっているね」
「そんな、わたしなんて……」
「君がいるから、ぼくはここまで来れたんだよ」
 今度は逆に、リーフがナンナの手をとりました。見つめあい、微笑み合います。

 戦のただ中では傍にいるとやる気が漲るなんて便利ねえ、ってくらいにしか思わなかったけど、こうして見るとさすがロイヤルカップルねえ。立ち姿が絵になるわ。アスベルには悪いけど、お似合いよね。
 などと思いながら、マチュアは二人の姿を見ていました。
 ナンナが何かを期待するかのように瞼を落としました。リーフは唾を呑み、周囲を見回しました。
 誰もいないのを確認するだけのはずが、いつの間にか結界の傍にいたマチュアと目が合ってしまいました。
「……!? や、やあマチュア。何か用?」
「え? あ。ごきげんよう、マチュア」
 二人は同時に飛び跳ね、互いから一歩離れました。
「……あ、いえ。その、人を探していて。リーフ王子が魔法を習得されていたとは驚きました」
「実践で使うには修練不足だけどね。……もっと形になってから公表したいから、皆には内緒だよ。その、ここで見たことは全部」
 リーフの言葉に、リーフ自身とナンナがエルファイアーのごとく赤くなりました。
「はい、他言はいたしません。お邪魔して申し訳ありませんでした」
「いやそんな、邪魔だなんて。気にしないで」
「それで、 マチュアは、誰を探しているの?」
「アスベルです。勿論、見かけませんでしたよね」
 アスベルの本命は、リーフの可能性もあります。いちゃつく二人の姿を目にしていたら、あまりにも気の毒です。本命がセティだったとしても、叶わぬ恋を悩む身に、この二人の姿は目の毒。マチュアは、アスベルはここには来ていないと思っていたかったのです、が。

「アスベルなら半刻くらい前までここにいたよ。ね、ナンナ」
「ええ。このウインドの魔道書もアスベルから借りたものですものね」
「えええええー。それで、どうしたんですか!?」
「どうしたって。多分修練にきたんだろうから一緒にやろうって誘って。で、ちょっとだけ一緒にやったけど、アスベル、あんまり調子がよくなかったんだよね」
「心がここにないような感じで……。顔色も悪かったので、お部屋に戻って休むことを勧めましたわ」
「そ、そうですか。ありがとうございました。それでは失礼します」
 マチュアなりに丁寧な礼をして、急ぎ足でその場を去りました。
 かわいそうなアスベルが、心配でなりませんでした。
「アスベルによろしくねー」
 リーフとナンナは王族らしい笑顔とお手振りで、マチュアを見送りました。

*


 再び、アスベルの部屋に戻ってきました。扉を力強く叩きます。
「アスベル、アスベル!! 大丈夫!?」
「マチュア、さ……ん?」
 しばらくして、返答がありました。
「そうよ、私。よかった、戻っていたのね。すぐに追いかけたのに部屋にいないから、心配していたのよ」
「ごめんなさい。修練場に寄って、その後屋上で風に当たって、それから戻ってきたんです」
「知ってるわ。全部、わかってる。……ねえ、二人だけで話がしたいんだけど」
 マチュア的には、わかっているつもりでした。

「……」
「中に、入れてもらえないかしら。アスベル、聴こえている?」
「……あ……はい……」
「今は駄目?」
「……」
「出直すわね」
「待って! 待ってくださいっ!!」
 中で運動をしているかのような物音がして、それから間があって、扉が内側から開かれました。頬と目を少しだけ赤くしたアスベルが、顔を出しました。

「少し、散らかっていますけど」
「気にしないで。急に訪ねた私が悪いわ」
 マチュアは微笑んで、中に入りました。
 アスベルは目を伏せて、彼女を受け入れました。
「ホメロスは?」
「入れ違いで出かけました」
「そう……」
 部屋は、物が少ない分、マチュアたちの部屋よりも片付いているように見えます。
「アスベル……一人で泣いていたの?」
 マチュアは腰を屈めてアスベルの顔を覗き込みました。

 

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