どう歩いたのか分からない。
 おれはテントに戻るのが、なんだか嫌で。独りになりたくて。
 適当に足を動かしたんだ。
 野営地からそう離れていないはずのところに、塞ぎ込むに丁度よい野原を見つけた。
 おれは伸びきった草に埋もれながら、昔のことを思い出した。
 大好きな母さんとの幸せな時間を。優しい会話を。
 おれは確かに、母さんから、父さんのことを聞いていたはずなんだ……。

 十年前、シレジア。
 セイレーンから山二つ隔てた小さな村。
 おれと母さん、そしてまだ赤ん坊のティニーの三人は、セイレーンを遠く離れた辺境の地で、ひっそりと暮らしていた。
 その日おれは村で聞いたシグルド軍の話を、母さんにせびった……。シグルド軍に所属する魔道士だったという、母さんの話を。

「母さんはね、クロード様について国を出て……本当に、成り行きでシグルド軍に籍を置くことになったの」
「じゃあ、好きでハンギャクシャになったんじゃないんだ」

 叛逆者の意味は、よく分からなかった。井戸を囲んで話すよそのおばさんが、そういう言い方をしていたので、そのまま使っただけだ。だが、母さんは“叛逆者”という言葉に、強い反応を示した。

「アーサー! シグルド様は、悪い事なんて何もしていないのよ。立派な方だったんだからね。叛逆者だなんて、とんでもないわ。あの方は……悪い人に貶められて……」

 母さんは、身体を震わせた。
 その悪い人は、母さんに酷いことをしたに違いない。おれは、英雄シグルド公の戦いについての話をせがんだことを後悔した。母さんに辛いことを思い出させてしまった。

「村の人は、シグルド様は悪い人なんかじゃなかったって、みんな言っているよ。叛逆者なんかじゃなかったって。本当に悪いのは、レプトールとランゴバルトだったって」
「うん……そうね」

 元気付ける為に言ったのに、母さんはますます暗い顔になった。

「母さんは、ハンギャクシャなんかじゃないんだよ。シレジアの人は、皆おれ達の味方だよ」
「駄目ね、あたし。子供に励まされるようじゃ、母親失格だわ」

 母さんの口許は、無理に微笑みの形を作ろうとした。でもできなかったみたいで、痩せた頬がひくっとしただけだった。
 母さんは腕の中で眠るティニーの頬に手を当てた。
 哀しげだった。
 おれは何とか母さんに笑って欲しくて。
 だから母さんがもっとも喜ぶ話題を振った。

「ねえねえ、じゃあ、今度はさ、母さんが国を出てきた時のことを話してよ。ほらっ。一人で出てきたんじゃ、なかったんでしょ」
「うん、クロード様と一緒に出てきたのよ」

 からかうような口調でおれが言うと、母さんの顔はうっすら赤みを帯び、ほころんだ。
 夢見るような瞳で語り出した。

「母さん、よっぽど好きだったんだねえ。グランベルとアグストリアじゃ、結構な距離なんでしょう」
「うんっ。でも、あっという間だったわよ。クロード様と一緒に船でアグストリアに渡ったんだけど、楽しかったなぁ。あの時ね、母さん、船乗るの初めてでね。酔ったりしちゃって、そしたらね、神父様ったら、優しく介抱してくれちゃったりしてっ」

 少女の頃に戻ったように、楽しげに父さんとの想い出語る母さん。母さんが楽しいとおれも楽しい。だから、笑って応えた。

「いい人だったんだね」
「そりゃあ素晴らしい人だった。大好きだったの」
「うん」

 瞳を一際輝かせる。これは来るな、父さんの自慢話がだーーーっ、と。おれは身構えた。

「クロード様はね、とっても優しくってね。誰にでも親切で、責任感があって、エッダ家の家長であったのだけど、少しも威張ったところがなくてね。それに、伝説の神器バルキリーの継承者でね……。常人にはない力を持っていた。そこがまた、神秘的でね」
「ねえ、おれもその、神器の継承者なんでしょう。おれも、神秘的?」
「そうねえ。あの人も、神器を手にしたら別人のように綺麗に見えたから、アーサーも神器を持てば少しは神秘的に見えるかもね。ふふ。でも、今のままじゃ、単なる悪ガキかなぁ」
「あ、酷い。じゃあ、じゃあさ、神器持って見てもいい?」

 神器は、父さんと母さんが愛用していた品や、戦いの道具である魔道書とともに、屋根裏部屋に隠してある。おれは背中に聖痕とよばれる神器の継承者たる証が現れたものの、実は神器に一度も触れたことがない。

「それは、だーめっ」
「ケチぃ」
「神器はね、神から与えられた、大切な力なの。だから、正しい心を持ってその力を行使しなきゃいけないの。正しい世の中を取り戻す時のために、大切にとっておかなくちゃいけないの。それに、凄い力だから、貴方がそれを持っていると知れたら……悪い人がアーサーを利用しようとするわ。だから、神器の継承者だっていうことは、他では言ってはいけないし、母さんと父さんの名前も、外で口にしたら駄目なの。父さんの名前は、特によ。家の中ですら、言わないほうがいいくらい。もし満足に制御も出来ない神魔法なんて使ったら……外にどんな影響が出るかわからないし。どこに情報が漏れるかだって……わからないもの。だから、駄目なの。使ったら」

「……でも、ちょっと触るくらいさ」
「今は駄目よ。貴方が大人になったら、手にしなくちゃならない時が、きっと来るから。それまでは神の魔法が宝の持ち腐れにならないように、魔法の使い手として一人前にならなくちゃね」
「うん……」
「お前の父さんだって、来るべき時が来たから、戦ったのよ。本当は、戦いが好きな人では決してなかったのに……今、どうしているのかな……会いたいなァ……」

 おれはしょんぼりとする母さんの頭を撫でた。

「ありがと、アーサー」
「会えるよ、きっと。きっと、何処かで生きているってば。いつか、おれが強くなって、父さんを探しにいくよ。そして、絶対に見つけ出す」
「……そうね。会えるといいなぁ。でも、ただ強くなるだけじゃ駄目なのよ……正しい心を伴ってこその神の力ってクロード様もよく言ってらしたわ」
「?」

「そうだわ。アーサーも、杖を使えるようになるといい。あたしね、無茶ばっかりするから、あの人の回復魔法にお世話になってばかりだった。目前の敵を倒す力も必要だけど、味方を護る力も、同じくらい大切なのよ。神に祈りをささげ、杖も使いこなせるようになれば、クロード様のような優しく正しい心を持つことができると思う。神器を扱うに相応しい人格に……」
「わかった。おれ、頑張るよ。父さんのかわりに、母さんとティニーを守れるように正しく、強くなる。杖の勉強、してみるよ」

 母さんの言っていることは殆ど理解できなかった。でも、母さんはおれに、少しでも父さんのようにあって欲しいと願っていることは伝わってきた。父さんが聖職者で、優れた杖の使い手であったのならば、おれもそうならねばならないと思った。そうしたら、母さんはもっとおれを好いてくれるし、頼りにもしてくれるだろう。小さなティニーだって、護ってやれるだろう。

「そうね。お前は神の魔法を扱うことができるから、大人になったら、きっとあたしとティニーを護ってくれるわね。だけど、それまではあたしが2人を護らなくちゃね」

 母さんは、おれとティニーの頬にキスをした。
 おれも、ティニーと母の頬に唇を寄せた。ティニーが半分だけ目を開けて、身じろきをした。少し笑ったように見えた。

 貧しく、身を隠した生活。それでも幸せだった。
 その二日後。おれが、村外れの教会に回復魔法の勉強に行っている間。母さんとティニーは連れ去られた……。
 そうして、ささやかな幸せは崩壊したのだった。
 おれは、後になって、母と妹を連れ去ったのが血筋上叔父にあたる人物、フリージ公ブルームであったと知ることになる……。

 

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