<平穏の代償>


 かつては、兄が幸せならそれでいいと思っていました。
 未来の見えない状況から解放され、死という終結も遠い先のことになり。
 憂いなく生きて、心から笑って。
 二年前までは最大の贅沢であったそれが、ごく当然のことになりました。
 不幸に慣れることはないけれど、幸福には、簡単に溺れてしまう。 私はセネト兄さまにもっと逢いたいと思っていましたし、ずっと、自分だけを見ていて欲しいと願っていました。
 己の幸福を強く望むようになっていたのです。いつの間にか。

「話が、あるんだ」
「少し、いいかな……?」
 兄セネトと従姉エストファーネが、私の住むガスティア宮に来ることは珍しいことではありません。でも、二人が肩を並べ訪れることは、そうないことです。
「……」
「ネイファ?」
「あ、はい……っ。来てくださって嬉しいです。セネト兄さま、エストファーネさま」

 私は二人を、応接の間に迎え入れました。
 公式な訪問を別として、兄さまたちとこの邸で過ごせる時は、中庭や涼室など寛げる私的な場を選びます。
  今日も秘密裏の訪れです。でも私は、彼らを応接の間に招き入れました。王妹として、彼らを歓迎するべきだと思ったからです。予感が、あったからです。

「エストと結婚するよ」
「……」
「来春、式を挙げる」

 そう。セネト兄さまが言い出す前から……いいえ、もっと……ずっと前から、わかっていたのです。
 国民から望まれてカナンの王位を継承した兄さま。でも、重臣らの間ではカナンの苦しい時期を支え、王太子として承認されていたバルカ王子の子、エストファーネさまこそが王たるべきと主張する声も少なくありません。
 後の禍根を断つためにも、二つの継承位を一つにし、現王室の結束を強める必要がある。幸いにして、二人は歳も近く、仲もよい。となれば。二人の婚姻を望む声は、カナン全土から上がっていました。
 だから、いずれ二人は結婚する。兄は、国民の願いを誰もが納得する理由もなく退けたりはできない立場にあります。エストファーネさまでなくても、誰か、カナンの益になる娘を娶る。
 他の女性を妻とするよりエストファーネさまと結ばれて欲しいと思っていました。その日が来たら、笑って祝福しようと思っていました。

『おめでとうございます、セネトお兄さま、エストさま』
 それなのに準備していた言葉を、口に昇らせることができませんでした。

「まだ、皆には内緒だよ……ネイファ?」
「あ……」
 私は俯いてしまいそうになる顔を、何とか上げました。
「は……」
 昔、言葉を失った時のように、脳の中が白く染まっていきます。恐ろしいことに、祝福の言葉を口にしたくないから、声が出ないのです。

「どうしたの、ネイファ? 気分でも悪い?」
「ネイファ……?」

 エストファーネさまは席を立ち、私の隣にしゃがみ込みました。兄さまも腰を上げます。 優しい二人の前で、己の醜さを晒したくはありません。私は心を奮い立たせました。
「あ、あの……おめ……」
「……」
「おめでとうございますっ」
 二人を交互に見て言いました。声は掠れてしまったけれど、その代わりに大きな笑顔を浮かべることができました。足は震えていたけれど、裾の長いドレスが隠してくれました。

 エストファーネさまとセネト兄さまは、瞳を交わしました。それから、エストファーネさまは微かに頬を染めて、兄さまは口許を綻ばせて、言いました。
「ありがとう」
 と。
 幸せそうな二人の姿を見るのは嬉しい。本当に。

「わたし、セネトさまとカナン王国に、一生懸命お仕えする」
 手に力拳を作り夜色の瞳を輝かせて、そう言う従姉は可愛いと思う。これも本当です。 それなのに。外からは見えない部分は震え続けます。
「セネト……さま?」
 従妹の口から初めて聞く語に、私は思わず首を傾げてしまいました。
 エストファーネさまは、出会った時からずっと、セネト兄さまのことを、兄のように慕い、セネト兄さまと呼んでいました。妹である私と同じように。
「……何か、おかしなこと言った?」
「あ、いえ……おかしくない……です。そうですよね、夫となる人を兄さまとは呼びませんよね……」

 そう……おかしいことではありません。むしろ、その方が自然でしょう。兄と呼んでいたこれまでが、違ったのです。
「……ん。そうよね……でもね、時々、セネト兄さまって言ってしまうの。そのたびに、セネトさまに正されるのよ。君はもう僕の妹じゃないんだよって」

  エストファーネさまは兄さまにとって妹のような存在でも、私と違って本当の妹ではありません。だから、兄妹とは別の形で、生涯ともにあれるのです。私は、実の妹だから、今以上、近くにはいけないのです。

「……ずっとセネト兄さまって呼んでいましたものね……」
「うん……」
 エストファーネさまの太陽の顔に、曇が覆いました。
「あのね……そう呼んでいるとね、本当の、家族みたいに思えたから……」
 父、叔父、祖父のように慕った人。家族を一度に失った彼女が再会した従兄妹に家族の役割を求めたことは、当然のことのように思えました。
「ネイファのお兄さまなのに……妹じゃあないわたしが、妹のようにしていたら……不愉快だったのでない……?」
「そ、そんなことありませんっ」
 従姉の言葉は、否定しなくてはいけないことでした。だから、すぐに否定をしました。

 確かに私は、ヴェーヌに連れられて空から降り立った少女が、何故、自分の兄のことを『兄さま』と呼ぶのか、最初は理解できませんでした。でも、素性を聞いて、納得はしていました。

「エストさまは従兄妹ですし……歳も兄さまより下ですし……権利があるというか……えっと……」
 途切れ途切れの言い訳が、厳粛な空間に響きました。
「そうね」
 従姉は分かっている、とばかりに頷きました。それから、微笑みました。彼女は出逢った頃より大人びて、綺麗になったと思います。王としての威厳を備えた兄さまと並ぶ姿が眩しくて、私は目を細めます。
「考えすぎだよ、エストは」
「そうかもしれませんね」
「ネイファもそう思うだろ」
「……はい」
 頷きます。そうして立ち上がり、頭を下げました。王妹としての礼をします。

「セネトお兄さまをよろしくお願いしますね、エスト姉さま」
「姉さまって呼んでくれるの? 嬉しい。本当は、ずっとそう呼んでもらいたいなって思っていたから……」
「そうなのですか? それなら、そう言ってくださればよかったのに……」
 本当は、漠然と、気がついていました。彼女が私から敬称で呼ばれることに、寂しさを感じていたこと。彼女はセネト兄さまの妹で、ネイファの姉という位置をずっと欲しがっていたのです。
 エストファーネさまは好きです。 姉と呼びたいと思っていました。でもそうしてしまうと、セネト兄さまが自分だけの兄でないことを、認めることになってしまう気がして、できなかったのです。

「これからは、本当に姉になるのですよね……」
「うん……」
 私の内にずっとあった兄さまへの想いは、兄妹して相応しいものではありません。いくら望んでも、血の事実は変わりません。それならばせめて、兄である彼を独り占めしたかった。 私は、心が狭い人間です。
「わたしたちは、本当の家族になるのですね」
「うん……」
  もう彼女は兄さまを兄と呼びません。兄さまも彼女を、妹とは見ないでしょう。エストファーネさまは、彼女が望んでいた位置とは違うけれど、家族になるのです。

 大丈夫だと、思いました。

「おめでとうございます、セネトお兄さま、エスト姉さま」
 先には苦しかった言葉を、もう一度発してみます。もう声は掠れません。
 身体も、心も震えません。
「お二人が幸福であれるよう、お祈りしています」
 兄の伴侶の位置は、私の手に入ることはないのです。最初から持っていないものを失うことなど、これっぽっちも痛くはありません。

 兄にとっての妹は、私一人だけになります。わたしだけのセネト兄さま。戻ってくるのです。そして、優しい姉もできます。 その代償として、カナン王セネトの妃という、得られることはない位置が埋まります。
 辛くなんて、ありません。 素晴らしいことです。
  これは心の底で、ずっと望んでいた形だったのですから。

さようなら……セネトお兄様……。
どうか……幸せに……。


<あとがき>
 うに。ブラックですな。ネイファはもっと清らかでないといかんですな。つか、これ……まさか言えまい、マルネイの冒頭エピソード、改造verだなんて! この後ネイファは呆然と、マルジュのところ行く……はずだったんですが。嫌な子すぎてカット、カット(笑)。因みに私のカナン王族周辺カップリングは


 リチャード× ティーエ→←セネト×エストファーネ 
          ↑       
メーヴェ←マルジュ×ネイファ     

 と、こうなっております。 めちゃくちゃですな。てか、うちのセネト、リシュ、シゲン並に女関係乱れてますな。そしてなんだか甲斐性ナシちっく。まあよし(絶対よくない)。

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