枷なる輪

 

 私の中にあるもっとも綺麗な瞬間は、兄さまと約束をしたとき、です。

「こんなところにいたのか」
「兄さま……ひっく」
「皆が探しているぞ」
「だってっ、ひっく、だって」

 エトルリアのカルレオン家に養女に出されることを両親から聞かされて、わたしは邸を飛び出しました。コンウォルの管理する果樹園で、一人泣いていました。葡萄の芳醇な香りが肌に染み付くほどの時間、そこにいました。やがてもっとも迎えに来て欲しい人が、わたしを見つけ出してくださいました。

「泣くな、プリシラ」
「いや、いきたくないの」
「お前のために、いいことなんだ」
「どうして?」
「俺にはよくわからないけど……父上も、母上も、そうおっしゃっていた」
「……プリシラはいつまで、エトルリアのおうちにいればいいの?」
「ずっとだ。お前が誰かの嫁さんになって、家を出るまで……」
「でしたら、プリシラは兄さまのお嫁さんになりたいです。そうしたら、ここに帰ってこられますよね」
 私が涙をぬぐいながら言うと兄さまは、私の手を掴みました。
「……」
 兄さまは、私の親指に指輪を指してくださいました。
 コンウォルの家紋が彫られた古金色の指輪でした。
「いつか迎えにいく。それまでいい子にしていろ」

 本当は、離ればなれになんか、なりたくありませんでした。
 わたしはレイヴァン兄さまが大好きでしたし、父さまも、母さまも、好きでした。
 だけど、離れなくてはいけませんでした。お家の決めたことだから。

「兄さま……はい……兄さま」
 わたしは、頷きました。どうにか頷くことができました。
 約束の指輪は、わたしの指には大きく、重さすら感じるものでした。
 だけど、いつか。その指輪に相応しい淑女となって、兄さまの隣に戻ってくる日がくる。
 そう信じることで、私の心は軽くなったのです。
「きっと、きっとですよっ」
「ああ、きっとだ」
「いつまでも待っていますから……」
「ああ……」
 レイモンド兄さまは私の頭を抱きかかえてくれました。
 震えと、鼻を啜る音が、伝わってきました。

 コンウォル家よりもカメレオン伯爵家のほうが確かに格は上ですが、娘の幸せを願って手放すというほどの格差はありません。新しい家に入ってからも、ずっと不思議に思っていました。
 嫡男である兄さまと違って、わたしは必要のない子。だから捨てた。
 エトルリア貴族との強い繋がりができる。だから養女として差し出した。
 何度を頭を振って、悪い考えを締め出しました。

 エトルリアにあってコンウォル家を偲ぶものは、レイモンド兄さまのくれた指輪だけでした。
 子供の頃、指輪を見ては兄さまたちを想って泣いていました。

 カルレオン伯爵家に入る際、私の持つもの身につけるもの全てエトルリアのものとされました。リキアのものを持ち込むことは許されませんでした。双方の家の決めごとでした。
 一日も早く、エトルリア貴族の娘となるように。古き家族のことは忘れ、新しい家族に馴染むように、と。
 本当の家族とのお別れは、わたしにとってたいそう辛いものでした。両親にとってそうだったのか、大人になった今でも、自信がありません。

「元気でな、プリシラ……」
「おとうさま。次はいつあえますか?」
 両親との永遠のお別れは、淡々としたものでした。
「……そのうちあえるよ」
「手紙、かいてもいいですか」
「……」
「プリシラ、 父上を困らせるな」
「……にいさま……」
 わたしはエトルリア製のサシャンのスカーフに隠した指輪を思いました。
「元気で、プリシラ。わたくしたちは、いつでもお前を思っていますよ」
「わたしも思っています、かあさま」
「さようなら、可愛い娘」
 私の手を握る母さま。その台詞には抑揚がなく、感情が伝わってきませんでした。
 お別れの時、泣いていたのはわたしだけでした。

 私はいつかここに帰ってくる。両親も、兄さまも、それを知っているから、涙ひとつこぼさない。そう考えなければ、馬車に乗り込みことが出来ませんでした。

 私はいつか、コンウォルに帰る人間でした。
 カルレオンのお父さまとお母さまは、本当の両親ではありませんでした。
 お父さま、お母さまとお呼びしても、それは仕方がないからで。
 娘として微笑んではみせても、心から笑いあうことはなく。心を全て預けることもない。
 素敵な両親です。優しい人たちです。洗練されたエトルリア貴族の世界は、調度品ひとつ、会話の運び方ひとつ、長い歴史によって淘汰された輝きを持っていました。
 でも私はリキアの素朴な色のほうが好きでした。円柱に彫られた優美な葉の模様より、朝露に濡れた草のほうが、ずっとずっと綺麗なものでした。
 カルレオンの両親には、よくしていただいたと思います。

 よくしていただいた、というのは、子供が親に向ける感情ではないのでしょう。
 いつかはコンウォルに帰る。両親はいい人。コンウォルに帰りたい。そのためには、他人のままでいなくては。心を許しても、いつかは離れる人だから、お互いに哀しい想いをするだけ。距離があったほうがいい。

 家は違っても、血の繋がった兄妹。月日の流れが、二人は結婚できないことを教えてくれました。それでも、わたしは信じて待っています。兄さまが迎えに来てくれる日を。コンウォルに帰る日が来ることを。

「プリシラは……いつまでも待っていますから」

 指輪に約束の言葉を囁きかけ、独り夢想します。
 大人になった兄さまが、勇者よろしく寂しい姫君を救い出す物語を。

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