* 恋の頂き *


「ティニー。ちょっといいかな?」
「え、あ、はい……っ」
 昼食を終えて部屋に戻ろうとするわたしに、セリスさまが声をかけてくださいました。
 ところは、マンスター城。
 わたしたち解放軍はついに北トラキアの解放を成し得ました。
 マンスターを開放し、南トラキアへの足がかりを掴んだのです。
 そこで解放軍の進行は止まりました。次の行動を決めかねて、です。
 帝国と同盟関係にあるトラキア王国と一戦交えることは決定事項でした。ですが他国を侵略するということに対しての反対意見もあったのです。
 数度に渉る会議の結果、トラキア王国に対して話し合いの場を求めることになりました。現在は、使者の帰りを待つ状態です。
 戦いと戦いの間の微妙な平穏。
 完全に気を抜くことはできません。次の戦いだって、いつ始まるかしれない。
 でも、今が貴重な休息の時間であるという事実にかわりはありません。
 皆が刹那の平和を楽しんでいました。兄妹や、友達、恋人と語り合ったり、お好きな方を誘って遊びに出たり。

「あのさ、今日、時間空いている?」
「え?」
「忙しい?」
「いいえ……特に予定はありません」
「じゃあ、その……夕方頃さ。少し、城の外に出てみない?」
 人を安心させる微笑を浮べて、セリスさまは言ってくださいました。
 わたしの胸は甘く鳴りました。セリスさまが、わたしに声をかけてくださった。しかも、外への誘い。答える声も、緊張のあまり上擦りました。
「えっと……あの……」
「二人で、話したいことがあるんだけど……駄目かな」
「駄目だなんて、とんでもないですっ。嬉しいですっっ」

 その日の夕方、セリスさまの馬に乗せていただき、ミューズ城を出ました。誰にも告げずに。
 改めてのお話しって何かしら。
 わたしはセリスさまが好きで。
 もしかしたら、もしかしたら、セリスさまも……?
 都合のいい想像で、わたしの中はいっぱいでした。
 昼に誘われた時には、きっと、そうなんだって思いました。
 でもほんの少し時間が経つと、何故、そんな風に思えたのか不思議なくらい、自信がなくなります。大それた考えを抱いたことを、恥ずかしくすら思います。
 先日、従姉であるイシュタル姉様とユリウス皇子の関係について、セリスさまに尋ねられました。その続きかもしれないと思いました。でなければ、フリージや帝国の内情について……。
 そう考えるようにしました。
 過度の期待をして、後で傷つくのは嫌だから。恥ずかしい思いをするのは嫌だから。
 それなのに、意思に反して、胸が高く鳴ってしまいます。

 わたしは振り落とされないようセリスさまの背に身体を預けていました。
 もう、心臓の音が伝わり、わたしの大それた気持ちまでもがわかってしまうのではないかと気が気ではなかったです。
  顔を上げれば見える端正な横顔……。
  視界に入れると、ますます胸が鳴ります。でも、セリスさまの顔を見たくて、時折顔を上げてしまいます。ますます胸が鳴ります。気持ちが伝わるのが怖くて目を背けます。だけどすぐにそのお顔を見たくなって、ちょっとだけ……とまた視線をもとに戻してします。
  わたし、何をしているのでしょう。

 噴水と、ベンチと、木々。それからブランコ。
 たどり着いたのは、それだけがある小さな公園でした。
「公園……?」
「うん。本当は昼間に来たかったけれど……なかなか時間がとれなくてね。」
 わたしはセリスさまの手をとって、地に降りました。
 城を出る時には蒼いものであった空は、うっすらと赤味を帯びていました。
「ここは今の時期……本当に短い期間らしいけど、ミーチェの花が咲いていてとても綺麗だって聞いたから」
 ミーチェは木になる赤色の小さな実。その花は淡いピンク色の小さくて繊細なもの。春には大きな木に、花が沢山つきます。
「ティニー。好きだって、言っていたよね。淡い色の花が。これだけ暗くなっちゃうと、色なんてわからないよね」
 セリスさまはミーチェの樹に手をあてて、残念そう、とも申し訳なさそう、ともとれる顔で言いました。以前、花も実もつけていない木を見ながらミーチェの花が……その淡い色の花が好きだと、セリスさまにお話したことがありました。
「覚えていてくださったのですか?」
「え、うん……」
「それだけで、嬉しいです。本当に」
 わたしたちは、樹の陰にあるベンチに腰掛けました。
「夕方のお花見も、楽しいと思います。夕日と、花と……両方の綺麗を楽しめますもの」
 オレンジ色に染まったミーチェの花は、わたしの目には昼の陽射しの中で見るピンク色よりも……ずっと優しくて、儚くて、素敵な色に見えました。

 ミーチェの花と、僅かにあった子供の影が消え去るのをわたしたちは見ていました。時折、言葉を発したり、隣に座る人の顔を見たりしました。
「今日こそは、明日こそはって朝から出かけられる日を探していたんだけど……誰かしらに掴まるんだよ。これはどうした、あれはどうした……。僕が決めるようなことでなくても、僕に通そうとする……そりゃ、全く無視されるよりはいいけど」
 何故、そこまでして時間を作ってくださるの……?
 そんな厚かましいこと、とても訊けません。
「セリスさまは、本当にお忙しいですものね。無理かもしれないけど、少しは休んでください」
「休める時は休んでいるよ」
「あの……わたし、今、回復魔法の勉強をしているのです」
「うん。アーサーから聞いた。知っているよ。セティ王子に師事しているんだって?」
 セリスさまは肩を竦めました。少しだけ、意地悪そうな笑いを浮べた……ように見えました。
「はい」
「アーサーがね。ティニーは最近、セティ王子のことばかり話すから面白くないってこぼしていたよ」
「え、そ、そんなことないのにっ。兄様ったらセリスさまに何てことを言うのかしら」
 セティさまの話……確かに、話題に上ることが多いです。兄様はフィーさんといることが多いし、兄様はわたしに気を遣って話しかけてくれる。自然と、三人で話しをする機会は増えます。そして共通の話題としてセティさまの名前は上がりやすいのです。
 でも、兄様の言い方では、まるでわたしがセティさまに強い関心を抱いているみたいです。それは立派な方ですから、勿論尊敬はしていますが、恋愛的な感情はありません。わたしにも、セティさまにも、他に想う人がいます。だからこそ、緊張せずに一緒にいられるのです。
  セリスさまの誤解を解くために、わたしは必死になりました。
「その、セティさまは魔法の教え方お上手ですし、フィーさんのお兄さんですし、その……あの……確かに、話題に出ることは多いけれど、でも、あの、セリスさまのことだって、たくさん、たくさん、話しています!」
 これを言った時のわたしの顔、間違いなく赤かったと思います。
「そっか……」
 セリスさまの頬も赤く見えるのは……夕日のせいだけでしょうか。
 もともと疎らであった子供の影が、少しづつ減っていきます。

「セリスさま、それであの、わたし簡単なものですが、治癒魔法も扱えるようになったのです。ライブとか、レストとか……」
「すごいね」
 いつしか、その公園にある人は、わたしたちだけになりました。
 わたしたちの間の、言葉。音と音の間隔が、少しづつ長くなっていきます。
「お疲れではありませんか? 怪我とかしてないですか?」
「いや……平気だよ」
「……わたし、セリスさまを癒して差し上げたいのですけど……」
 こんなことを言っては、想いを告げているも同然です。でも……セリスさまは光の皇子だから、こんな言葉は聞き飽きているとも思いました。
 光の皇子を慕う、大勢の中の一人……だから、他意のある言葉だと気がつかないで欲しい。
 その一方で、気がついて欲しいとも願う。
 わたしは、セリスさまが好きなのです。大好きなのです……。
 理由なんてわからない。自分でも、もうどうしようもないくらい、好きなのです。

「そんなこと、考える必要はないよ」
「……迷惑なのですか?」
「違うよ……」
「では……どうして」
 わたしは、無邪気に首をかしげて見せます。傷ついていることを、悟られたくはなかったから、何でもないふりをして、言葉を紡ぎます。
 ですが、セリスさまの次の行動、言葉は……驚くべきものでした。夢には何度も似た光景を見たけれど、現実になることはないって漠然と思っていた。
「……ここでこうしていることが、癒しだからね……」
 セリスさまは、わたしの肩を抱き寄せました。
「君が傍にいてくれることが、僕の癒しなんだ……だから、魔法なんていらない」
「セリスさま……」
「ティニーが、好きだよ……そう言ったら、君は困るかな?」
「そんな、とんでもありません! だって、わたし、わたしも……」
「わたしも……?」
 わたしは夢を見ているような気分で、身体を預けていました。夢の中で何度も繰り返した言葉を、初めて口にしました。
「わたしも……セリスさまが好きです」
「……そんな小さな声では聞こえないよ」
「セリスさまが、好きです!」
 わたしは、ミーチェの実を突く鳥が飛び立ってしまうほどに大きな声で言いました。
「そうか。嬉しいな……」
 セリスさまは、わたしの顎に手をかけました。
 綺麗なお顔が近づいてきました。ちょっと止まって、いい? と首を傾けました。わたしは慌てて目を閉じました。
 唇に、唇を、数秒。重ねるだけ。それだけなのに、とても緊張してしまいました。

 恋の成就は、突然でした。
 わたしは叶うことを考えるのもおこがましい、光の皇子への恋を実らせたのです。
 幸せでした。一番、幸せな時間でした。
 セリスさまに愛されたことを、それだけを。無邪気に喜ぶことができたのですから……。

創作TOP