「アレス殿と、幸せにな」
「はい……お父様」

 フィンの言葉にナンナは睫を伏せた。照れくさそうに。
 フィンは続いて、娘婿となる義理の甥を向いた。
「アレス殿、娘……ナンナを、宜しく頼む」
「ああ。任せておけ。フィン殿の賛同が得られ、俺は嬉しい」
 アレスは手を差し出した。フィンはその手を握る。
 アレスはつくづく単純な男だ。先日の辛辣なフィンの発言に怒りを覚えたこと、さして気にしていないようだった。
 二人の婚姻を認めるとのフィンの言葉に、満面の笑顔、純粋な喜びで応えたのだった。

 この御し易さがナンナの心を捕らえたのかもしれないなと、フィンは思う。
 娘婿が御し易い人物である、というのは、悪くはないことだ。
 リーフとティニー。アレスとナンナ。
 この二組の婚姻がどうあがいても覆せぬことならば、せめて事実を前向きに捕らえなくては、やっていられない。

 フィンが二組の宣告……もとい、恋人宣言を受けてより、六日が流れた。
 今。光射すバーハラ城の庭には、五人の男女があった。
 フィンとアレスが握手を交わす様を、ナンナ、リーフ、ティニーの三人が微笑ましげに見ている。

 フィンは結局、娘と義理の甥の婚姻も認めることにした。認めざるを得なかったといった方が正しいか。
 アレスとナンナの仲を反対したということが、主の耳に入ったのだ。

「嘘だよね? フィン……」
「アレス王子は……立派な方だよ。ナンナを必ず幸せにしてくれるって」
「どうして、駄目なんだい? 二人は、愛し合っているのに……」
 主の顔は、ティニーとの関係に難色を示した時のように、怒りと悲しみ、困惑を繰り返した。そして、アレスがいかに素晴らしい人か、二人がどれほど愛し合っているかを言い連ねたのだ。
 そして最後には、愛らしくも眩しい笑顔で。
「ナンナとアレスのこと、認めるよね?」
 と、言って、にーーっこり。
 フィンは頷く他に、どうしようもなかったのだ。

 どのみち、リーフが他の娘と結ばれてしまった今、娘が誰に嫁ごうとさしたる執着はなかった。ナンナが納得している相手。よほどの男でないかぎりは、反対しようとは思わない。
「お父様、私、先日は言い過ぎました……アレスとのこと、反対されて……頭に血が昇って、その……お父様の古傷を抉るようなことを言ってしまいました。ごめんなさい」
「いや……いい。気にするな。私も、言い過ぎた」
 ナンナは、握手を交わす恋人と父親の中に入って、二人の手を取った。フィンは苦笑した。

 妻ラケシスと敬愛すべき彼女の兄エルトシャン王。
 アレスとナンナが並んでいると、確かに、在りし日の二人を思い起こさせる。
 ラケシスは、生きている中では自分を一番愛していると言った、求婚したフィンに。
 貴方のことが好きだから、嘘はつきたくないと続けた。そうして。それでもよければ、妻にして欲しいと……。

 アレスとナンナに、彼らの親を重ねぬといえば嘘になる。胸が全く痛まないといえば嘘になる。ラケシスの兄への想いに気が付き、嫉妬に悶えていた時期もあったのだから。だが、傷となるような痛みはない。エルトシャンとラケシスのことを思い返しても。
 全てを承知して、ラケシスを妻としたのだから。
 自分にも、妻より大事とせねばならぬものがあったのだから。

「よかった……。私も、あれから考えたのです。お父様のおっしゃったこと。確かに、アレスは夫とするには不安な要因が多いのです。長く付き合っていた恋人がいたこと、傭兵に育てられ、傭兵稼業に身をやつしていたという過去に、粗野な性格。アグストリアという、平穏を取り戻しつつある大陸の中で未だに動乱の中にある国の王となる運命を負った人、ということ……。客観的にみれば、アレスが良い夫になるとは思えません」
「ナンナぁ……」
 アレスが、情けない声を上げる。
「あ、ああ……そ、そう思うのか」
 フィンはキツイ娘の台詞に、思わず娘婿に同情した。そこまで具体的には考えていなかった。単にナンナには、リーフと結ばれて欲しかっただけだ。素晴らしき主君リーフと較べてしまっては不満も出ようが、アレスを単体としてみれば、甲斐性がなさそうなところが気になるくらいだったのだ。

 リーフとティニーも、厳しいことを……、と言わんばかりにナンナの顔を見ていた。
「ですから。お父様が反対も、もっとも、なのですよね」
 ナンナは母親譲りの、人を強烈に惹きつける笑顔を発した。この笑顔で全てのキツイ言葉も優しいものに変化する。不思議なものだ。
「むしろ、親としては反対しないほうが可笑しいのです。でもお父様が反対したことを、私は可笑しいと感じてしまいました。お父様は……私のすることに興味などないだろうと……考えていたためです」
「そんなことはない」
 フィンは否定する。
 彼は、リーフ……レンスター王家の次には、考えているからだ。ナンナのこと、デルムッドのこと、ラケシスのこと……。

「ええ、誤解だったようです。お父様はちゃんと、私の幸せを考えてくれていた……。考えて、あれほどの厳しい態度で反対してくださった。嬉しく思います。私に、アレスとのことを改めて考える機会をくれて、意思が堅いと分かれば……こうして了承してくださる。やはりお父様は、私のお父様です」
「ナンナ……私の気持ちをわかってくれて、嬉しいよ」
 単に成り行きでそうなっただけなのだが、あえて否定することもないだろうと、口にはしないフィン。
「私、幸せになりますね」
「ああ。辛くなったら、レンスターに戻って来い」
「……はい。でも、アレスの傍なら、辛いことも平気ですから」
「ナンナ……二人……あ、いや、デルムッドも入れて三人か? 手を携えて、どんな困難も乗り切ろうな」
「ええ」

 三人は結ばれた手を、一旦放した。そして、一人一人と、改めて握手を交わした。
 幸福な親子、恋人の様子に、リーフとティニーは目を細めた。隣り合う二人も、いつのまにか、手を繋いでいる。
「よかったね、ナンナ」
「ナンナ様、アレス様……お幸せに」
「フィンも寂しがるから、たまにはレンスターに顔見せにおいでよ。勿論、僕もナンナに会いたいから。アレス王子にもね」
「わたしも、お会いしたいです。ナンナ様にも、アレス様にも」
「はい。レンスターは私の故郷ですから。父ともですが、リーフ様と離れるのはやはり寂しいですし」
「うん……僕達ずっと一緒で……長く離れたこと、なかったもんね」
「ええ。どうして恋心が芽生えなかったのか、不思議なくらいですよね」
「うーん。確かに。僕はナンナが好きだし、ナンナも僕が好きで……でも、違ったよねぇ……」

 リーフとナンナは、悪戯っぽく首を傾げた。
 フィンは頭の中で、激しく首を傾げた。
 どうして、この2人の間に恋心が芽生えてくれなかったのか。これまでずっと一緒にいたのに。好きあってはいるようなのに。何故だ。疑問だった。

「そもそもの原因は……私が幼い頃に、リーフ様へ嫉妬したから……なのかもしれません」
「嫉妬?」
「ええ。お父様が、リーフ様ばかりを大切にするから……少しだけ」
「そ、そんなこと……は……な、い」
 ナンナの意外な発言を、フィンは先と同じく否定しようとした。が、事実無根というわけではないので、語尾に力がなかったりする。

「なかったとは言いきれませんでしょう? いいのです。お父様が、リーフ様を大切にするのは、分かります。王家への忠誠を糧として生きる騎士なのですもの。当然のことです。ただ、やはり幼心には……辛かったです。私、誇りだけは高い子供だったのですね。お父様が私とリーフ様の扱いに差をつけるたびに、私はリーフ様より下の者ではないの、と言い聞かせていたように思います。今思えば……臣下の子供なのですから、対等であれるはずはないのに。でも、当時はよく分からなくて、せめて私自身はリーフ様に対して卑屈にはなるまいと気を張っていました。そうして、対等の友人であろうとしたのです」

「……そうだったのか。僕は深く考えたことはなくて……ただ、ナンナは大好きな友達だったよ。唯一と言ってもいい」
 淡々と語るナンナの言葉に驚いたのは、フィンだけではなかった。複雑な思いの中で友人に位置づけられた、リーフもだった。
「それは、分かっていました。リーフ様の立場では、対等の友人とは得がたいものだったでしょう。私も……ですけれど」
「うん。友達関係に関しては、正直、寂しさを覚えることはあった。正体を隠して付き合った友達は、隠していることがあるっていう後ろ暗さから、心の底から楽しく付き合うことはできなかったし。身分を知るものは、友人など恐れ多いと言って引いてしまうから……でも、ナンナがいたから、平気だったよ」

「横で見ていて、リーフ様が友人関係に寂しさを抱いていることは分かりました。ですから余計に、私だけは対等の友人を続けようとしたのかもしれません。私は臣下の娘ですが、ノディオン王家の血を引く王女でもありますもの。それを支えにして、レンスター王子に対して、卑屈になる立場ないと自分に言い聞かせて。リーフ様もそれを望んでいてくださっていると信じて。友人でありました」
「そこまで考えていてくれたなんて、知らなかったよ……。小さい頃からずっと一緒で、何でも話ができて、一番大切な友人……そうとしか考えたことはなかった。でも……その大切だって気持ちが恋心にならなかったのは、友人としての一番の場所を、空けたくなかったからな気もするな……」
「ええ。友人というのも、運命の恋人というのも、同じくらい得がたいものですものね」
「うん……」
「もし私が、リーフ様に恋心を抱き、一方的に想いを寄せたら……きっと、対等ではいられませんでしたよね」
「僕がナンナに想いを寄せていても、同じことだろう」
「……対等の友人でいるために、無意識のうちに芽生えようとする恋心を抑え込んでいたのかもしれませんよね、私達」
「うーん、あり得るな。ナンナしっかりしているし、綺麗だし……魅力あるのに、女の子として好きとかどうとかって、全く考えたことなかったのは逆に不自然だもんなぁ」

 ティニーが、リーフと結んでいる手に力を込めた。リーフは取り繕うように、ティニーのその手を自らの口許に運び、くちづけをした。ティニーは、頬を赤くした。リーフも自らの行為の恥ずかしさに気がつき、顔を朱色に染めた。

「ふふ。ありがとうございます。私も、リーフ様は十分魅力ある人だと思います。好きになってみても、面白かったかもしれませんね」
 今度はアレスが、泣きそうな顔でナンナを見た。ナンナはアレスの背を力強く叩いた。顔を歪めて見せるアレス。自らが叩いた場所を、優しく撫でるナンナ。
 リーフとナンナは、お互いの恋人への態度を見ながら、声を上げて笑った。
「でも、一番の友人を、運命の恋人にしてしまっては、勿体ないですものね」
「ああ。大切な人が、
一人減ってしまう?」
「そうそう、そんな感じ!」

 若い声が、つい先日までは闇の本拠地であったバーハラ城の庭を、明るく照らした。

 フィンは、何ともいえない面持ちで、リーフとナンナの会話を聞いていた。彼らに添う恋人以上に、複雑な心境だった。
 リーフが友人を欲していて、ナンナがその友人となって。これに関しては、娘に感謝したいと思うのだ。幼き日の、主の寂しさを埋めたのだから。どれだけ自分がリーフに尽しても、友人というものにはなれないのだから。

 友人としての互いが大切ゆえに、恋心に発展しないというのは……分からない話でもない。しかし、リーフの父として愛情を注ぎたいと願ったフィンにとっては、残念な話であった。
 しかも、そもそもの原因が自分にあるかもしれないというのだから、虚しい話だ。無理だとは思うが、リーフとナンナを対等に扱っていれば、ナンナは逆に歳を追うごとに臣下の娘としての立場を覚えていったのかもしれない。対等でなければ、憧憬を経て、恋心を抱くに至ったのかもしれない。あくまで可能性の話にすぎないが。

 リーフとナンナという親友同士が、楽しげに笑い合う。
 その隣にぴったりと添う彼らの恋人も、つられて笑う。
 幸福な光景だ。
 フィンにとって、絶対なのは、リーフの幸福だ。
 もし、ナンナという親友がいて、愛する女性がいて、それがリーフの幸せならば、それでいいという気がしてきた。

 リーフが、フィンに微笑みかける。
 感謝の気持ち、身近なものとして慕う気持ちが、溢れている。
 これでいい、これでよかったのだ。今さら考えたところで、どうしようもないことなのだから。フィンは自分に言い聞かせた。

 リーフは今、幸せなのだ。
 これからもきっと、幸せなのだ。
 そして、幸福に笑う主の傍に、ずっといられるのだ。父親にはなれなくとも。そもそも、父親としての愛情を注ぎたいと願ったのだって、リーフに今ある以上の幸福を与えたかったからなのだ。そしてリーフは、父親としての愛情など必要ないくらいに、今、幸せなのだ。

 リーフの笑顔を、護る。今の幸せを、護る。
 それが、これまでの自分の生き方、これからの自分の生き方。
 それに、何の不満がある?
 ……ない。
 こうしてフィンは、ささやかな野心の果てに、基本に戻ったのであった。

 基本。
 王子の意思が、幸福が、一番大事なのだという基本……。

FIN

FE創作の部屋