I desire…



 幼き日。共通の祖父オクトパスは仲睦まじく遊ぶ二人に言った。  
「リシュエルとマーテルは本当に仲がいいな。将来は二人でサリアの神殿に戻るか?」
「サリアの神殿……?」
 当時マーテルは、そこを話でしか知らなかった。
「マーテルとなら、いいよ」
 リシュエルは笑って頷いた。そしてマーテルの手をとった。
「ね、二人で一緒にサリアの神殿を継ごう?」
 マーテルは反射的に頷いた。
 祖父も従兄も笑っていたから、嬉しかった。
 ささやかなやりとりだった。だけど、二人は確かに約束を交わしていた。

 それから、十二年。
 サリアの古城で、マーテルは懐かしい炎を見た。
 少し痩せたとも感じたけれど、根本的には何も変わらない。
 冷たいほどに整った顔も、尊大な物言いも、身体の心が竦むほどの……それは、彼女の中に魔力の種がある証……強い魔力も、変わらなかった。
 水の神殿が襲われ、それ以来、行方の知れなかった従兄、リシュエル。
 彼は変わらずに、別の女性を愛していた。

「リシュエル」
 サリアの隠れ村。幼い頃、二人でよく遊んだ、ポプラの樹の下。
  リシュエルは気だるげに本を読んでいた。マーテルは背後に立ち、声を掛ける。
「身体の具合はどう?  あまり無理はしないでね」
「マーテルか。もうすっかりよくなった」
 振り仰ぎ、無防備に笑うリシュエル。
「よかった」
 瞳を合わせ、マーテルも笑う。
「心配をかけてすまなかったな」
「……そうね、貴方が思っているより、ずっと心配していたと思うわ」
 従兄のかけがえのない命のことを、案じていた。ずっと。
 生死すらはっきりしなかった期間に較べれば、敵対者であったアハブを護り、魔道書を携えたリシュエルを目にしてからの数日は、この二年の間で、もっとも心穏やかな日々を過ごしたとさえいえる。
  身体の傷は無理をせず、時の経過を待てば直るもの。五体満足でいてくれさえすれば、痕が多少残ったところで構わなかった。

「水の神殿が襲われたと聞いて オクトバス老師はとても心配されていたわ。 あなたは火の神官家にとっても大切な人だから」
 神官家のためだけではないことは、マーテルにはわかっていた。
 オクトパスは、孫であるリシュエルの生死を案じていた。だが、神官家にとって大切な人間だから、としか、口にしたことはなかった。祖父から孫への愛情ではなく、炎の神官家の継承者に向ける期待を、リシュエルは望み続けたから。マーテルもそれに倣った。

「わかっている。老師は火の神官家の後継者に私を選び、このサンフレイムの魔道書を託された。そのお心はわかっているつもりだ」
 継承者の証である究極の炎の魔道書を、懐から覗かせる。
 背筋を伸ばし、金の瞳に誇りを浮かべるリシュエル。その口許は、おやつを前にした子供のように緩んでいる。
 五年前、老師とサンフレイムの継承を約束した日も、三年前の継承の儀式の時も、同じ表情を見せた。マーテルはずっと隣で見ていた。闇の濁りが消えたリシュエルは眩しかった。

「私たちは騎士になると誓ったから、神官家を継ぐことはできないわ」
 シスターレネも、サーシャも、自分も、姉も、妹も、神官家を継ぐつもりはない。
 誰も貴方の炎の神官家継承を、妨げはしない。だから、サリアに来ればいい。そして穏やかな日々を手に入れて欲しい。マーテルはそう望んでいた。
「リシュエル、私たちは早くあなたに火の神官家を継いで欲しいの」
 リシュエルは炎の力を授かったことを、オクトパス老師に後継者として選ばれたことを、自己の拠所としている。同時に、光の力に選ばれなかった心の理由としている。
 光の魔法は、リシュエルではなく彼の妹のメリエルを選んだ。
 光の大魔道士マイオス老師は、リシュエルよりもメリエルに目をかけていた。二人の父であるナリスは、メリエルに対しては父親らしいところも見せていた。戦場でも三月に一度は手紙を寄越し、誕生の日には祝いの品を持ってリムネーを訪れたという。メリエルの時にだけ。
 屈辱を感じなかったはずがない。だが誇り高きリシュエルは、光の力が欲しかったなんて言えない。父親に、自分にもそうして欲しいと口に出来るはずがない。
 その変わりに、炎の力を誇りとし、オクトパス老師の期待の応えようとし、父親を蔑んだ。
 メーヴェを想うこと。父が虐げた娘を愛することで、父親とは違う存在であると主張している。
 リシュエルには、メーヴェを愛さなくてはならない理由があった。

「私たちのお母様を助けてほしいのよ」
「結局、マーテルは それがいいたかったのだろう。君はあいかわらず、しっかりしてるな」
「ふふっ……もちろんリシュエル一人に 責任を押し付けるつもりはないわ。私たちも頑張る。特に私は、リシュエルを応援しているの」
「ありがとう」
 本当に、応援している。炎の後継者じゃなくても、応援している。
 従兄妹同士だからとか、そういうことではない。
 貴方がリシュエルだから、応援している。

 好き。だから、一緒にサリアの神殿を継ぎたい。でも告げない。彼はそのような言葉は喜ばない。
 マーテルはリシュエルのことを誰よりも理解していた。

*

「リシュエル」
「うん……?」
 月日は流れた。
 巫女を飲み込み復活した邪竜を聖剣の力によって倒し、平和を取り戻すところを見届けた。
 邪悪は払ったけれど、平和な世界はこれから築くもの。 薄暗い地下道をたいまつの炎を頼りに、ただ歩く。足元に気をつけてと背を支えたリシュエルに、マーテルは小声で訊ねた。湿った空気と暗い場は、声の存在を大きく感じさせた。
 
「リシュエルは……どうするの?」
「?」
「地上に出て、それから」
「マーテルらしくないな、はっきり言ってくれ」
「じゃあ、短刀直入に言うわね。サリアに来てくれるの? それとも、リ……」
 リーヴェ。言いかけて、言葉を換える。同じ国でも。リーヴェ王宮に行くのと、リムネーに残り、水の神殿の復興に力を尽くすのでは炎の神官家にとっては同じでも、リシュエルにとっては違うことだった。
「リムネーの、水の神殿に残るの?」

 リシュエルの想い人メーヴェはリュナン公子への想いを実らせた。
 彼は、実らぬ恋に固執はしまい。当面は執着しても、やがて自らの中から消す。誇りを傷つける恋は、彼にはできないだろうから。訊ねはしたけれど、リシュエルはサリアに来てくれると信じていた。

「リムネーには、メリエルが残る」
「メリエルは、貴方に傍にいて欲しいって思っているわよ」
「先の神官長の子である男子が神殿の建て直しに携わっては、勘違いする人間がきっと出てくる。あれも私がいれば必要以上に頼ってしまうだろう」
「……それは、まあ……そうでしょうけれど。あの子はまだ子供じゃない」
「水の神殿を護る者として、いつまでも子供でいてもらっては困る。後で辛い想いをするのはメリエルだ」
 光の魔法オーラレインを引き継いだメリエルは、純粋で、繊細。彼を慕い、彼を必要としている。リシュエルに傍にいて欲しいと、いつだって腕に縋りついていた。メリエルはその能力を遺憾なく発揮すれば、兄に疎んじられることを本能で知っているのかもしれない。リシュエルは、か弱き妹メリエルを愛していた。
「そうかも……しれないわね」
  リシュエルが近くにいることが、成長の妨げになることは確かだった。
「何だ? マーテルはそれほど私にサリアに来て欲しくないのか?」
 そんなはずはないだろう。顔に書いてある。君はしっかり者だからな、と。
 自信家な……そして、それに見合った実力のある彼は、自分がサリアに行くことで母クラリスがどれだけ楽になるか、知っている。マーテルには母を重責から解放してあげたいという気持ちも確かにあった。

「君が反対しても、私はサリアに行くよ。老師の意思は承知していると言っただろう」
「反対なんて、していないわ」
「それはよかった。君にも、そのつもりでいて欲しい」
「え……?」
「約束したろ、昔」
 背丈が今の半分にも満たない頃、祖父の前で将来の約束をした。忘れたことなど、なかった。
「覚えていたの?」
「私が忘れるわけがないだろう」
「だって、子供の頃の話じゃない」
「なんだ、嫌なのか?」
「……そういうわけじゃないのだけど、少し考えさせてくれる?」
 嫌なはずはなかった。幼き日から夢見ていたことだった。
「ああ。大事なことだから、ゆっくり考えるがいいさ」
 断られることなど考えていないことは、炎に煌々と照らされた余裕ある顔からも明らか。
 実際マーテルは、断るつもりなどなかった。
 リシュエルの傍にいて、支えとなりたかった。彼が今、誰を好きでも構わなかった。
 リシュエルの余裕が愛されていると知るからのものならば、すぐに了承の返事を返しただろう。

*

 サリアに戻ると、休むこともなくリシュエルはマーテルの母クラリスに面会を求めた。
 無事であったのに挨拶が遅れたことを詫び、炎の神官家を継承する旨を伝えた。
 半日ほど、クラリスとリシュエルは二人だけで話をしていた。日が落ちかけた頃、マーテルは呼ばれた。
 彼女が滑らかな牛皮の座椅子に腰掛けると同時に、リシュエルは早口で言った。
「あぶれ出た魔獣たちを元に戻し サリア神殿をもとの姿に変えたいんだ。本来ならばクラリス神官長にお願いしたのだが 叔母上は王国再建でお忙しい。だから……」
「あら、私はお母様の代わりなの?」
「そういうわけじゃないが、マーテルは神官としての能力も高いと叔母上から聞いている。たまには神官服を着てみるのも 悪くはないだろう」
 母から頼まれたのだろうかと疑い、斜め前に座るクラリスを見る。目じりには皴が寄り、口元は緩んでいた。彼女もまた、祖父の意志を継ぐ一人だった。炎の神官家を預かる彼女の娘の誰かと結ばれれば、リシュエルの炎の継承者としての正統性が増す。炎の血と力を継いだとはいえ、リシュエルは水の神官家の人間なのだ。そしてリシュエルは、娘にとって申し分のない夫。母親としても嬉しいのだろう。
 マーテルは血を利用されることそのものは気にならなかった。炎の神官家のためにできることがあるのは誇りだった。祖父の意思を継ぐこと、母の願いを叶えること、リシュエルの力になれること、神官家の人間として生きること。全て、喜びだった。
 不満は、たったひとつ。彼が、気がついていないこと……。
「 リシュエルは私に神官服を着せて メーヴェ様の代わりにしたいのね」
 意地悪をしたくなって軽く口にしたマーテルの言葉に、リシュエルの顔色は面白いほどに変わった。
 リシュエルは、気持ちを悟られているなど、予想もしていなかった。逆にマーテルは、今更彼が慌てるとは予想していなかった。
 理由はどうあれ、今後はどうであれ、リシュエルが恋という感情で見つめる女性はメーヴェ一人であることは、近しいものなら誰でも気がついていた。生まれた時から傍にいたメリエルもそう。二年間彼を護ったパトリシアという少女もそう……。

「バ、バカなことを言うな!どんな姿をしてもマーテルはマーテルだ! 君の素晴らしさは私が一番よく知っている!」
 腰を浮かして、リシュエルは抗議する。マーテルは小首を傾げつつ、可愛い口調を意識して言った。
「ふーん……リシュエルがそんなことを 口にするなんて意外ね。それもお母様から頼まれたことなの?」
「マーテル! リシュエルに失礼でしょう! 確かにオクトバス老師は あなたたち二人が結ばれて火の神殿を継いでくれることを お望みでした。だけど私は、人の心を弄ぶような事はいたしません!」
「お母様……」
「リシュエル、ごめんなさいね。マーテルの我が侭は母である私の責任です」
「いえ、クラリス叔母上。マーテルはわかっているのです。わかっているから余計に反発するのだと思います」
 わかっていないわよ! と叫び出したい衝動を、マーテルはこらえた。母の前でなければ、言葉にして叩きつけていた。
 多くの人から愛を受けてきたことを、彼は知らない。わかろうともしなかった。祖父も、人の心を弄ぶような人ではなかった。孫としてリシュエルのことを愛していた。女からの愛も、肉親からの愛も、その全てが、炎の神官家の跡取りだから受けられるものではなかった。だけどリシュエルは形だけの言葉を鵜呑みにしていた。

「そうよ、わかっていないのは リシュエルただひとり……」
 そもそもリシュエルは何を差して、わかっているというのだろう。彼の気持ち? 本当はメーヴェでなく、自分を好きだとでもいうのだろうか。昔からずっと? ありえない。ただ、結婚するのはマーテルと、と考えていた可能性ならば大いにある。それを指してずっと好きだった、だからメーヴェとは結ばれなかったとでも言うつもりなのだろうか。ありえそうだった。光に選ばれなかったこと。メーヴェに選ばれなかったこと。リシュエルは拒絶に対して、自己を傷つけない優しい理由を欲するのだ。

 マーテルは心の中で、そっと息を吐く。何故彼がいいのかと自問する。魅力を考えようとしても、つい欠点ばかりを羅列してしまう。答えらしきものは、特に浮かばない。
『ね、二人で一緒にサリアの神殿を継ごう?』
 子供の頃のリシュエルが、脳裏に蘇る。賢くも、愛らしい子供だった。自分もまた、素直な子供だった。
 一緒にいられることが嬉しかったから、すぐに頷けた。理由なんて、考えもしなかった。

 マーテルは立ち上がり、リシュエルの眼前に手を差し出した。
「まあいいわ、リシュエルが望むなら 神官服を着てあげる」
 不満はある。しかし今は、夢が叶う機会を逃したくない。リシュエルの傍にいたいという気持ちと、いられるという現実を大事にしたかった。
 リシュエルは満足げに微笑み、頷いた。
「ああ……、これからもよろしく」
 リシュエルは差し出された手を捧げるように持ち、白き甲に口をつけようとした。マーテルは手の平を返し、リシュエルの手を強く握って上下に振った。目を丸くしたリシュエルから視線を外し、母を見る。
「でもお母様、誤解しないでね。私たちの将来は私たちで決める。それだけは覚えておいてね」
 本当は、母に向けた言葉ではなかった。リシュエルに聞かせるための言葉だった。
 子供の頃の約束は、所詮、子供の頃のもの。今は大人。 祖父の前で約束をしたからとか、炎の神官家のためだからでなく、好きだから結ばれるのだと彼に知っていて欲しい。
  リシュエルはマーテルの言葉の意味を租借するように沈黙し、やがて口を開いた。
「君の気持ちが向くまで、私は待つよ。でも、そんなに長いこと掛からないと思う」
 両手でマーテルの右手を掴み、口元に牽いた。まるで極上の神酒でもいただくように、その甲に口を押し付ける。そして笑う。子供の頃から変わらぬ、端正な顔を崩さぬ自信に満ちた笑み。マーテルは長期戦を覚悟した。
「やっぱりね……」
「うん? 何がやっぱりなんだい?」
「……何でもないわ」

 やっぱり、貴方は何もわかっていない。
 待つのは私のほう。
 貴方はすでに愛されているのよ。皆から、私から……。


 えーと。
 リシュエル×マーテルです。ラストのわかってるだの、わかってないだの、について書きたかった……はず。発掘&再生したはいいけど、消化不良ですねぇ、ところでオクトパスって死んでるのか生きてるのかって、ゲーム中でわかりましたっけ。死んだって表記は特になかったような。台詞の殆どがゲーム中まんまですね。何だかよくわからなかったやりとりを私なりに補完してみました。タイトルは珍しく英語に。『理由はいらない』で考えていたんですが、同時アップが「スキとサヨナラの理由」の最終話だったからやめた……(笑)。タイトルがしっくりこないと後々まで気に入らない可能性高いんだよなぁ(ぱた)。
 リシュエルもマーテルも好きなキャラ。そして今でもこのカップリングが大好きです〜。
 少なくとも、これ書いた地点ではうちサイト唯一の炎な魔道士の話だよー。

 

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