繋ぎあう、手と手。伝わるこそばゆい温もり、交差する想い。

 かつてわたしは、弱いままのティニーを全て受け入れ、護ってくれる人のことを愛しました。己を肯定したかったけど、一人ではできなかった。だからセリスさまを必要としました。

 セリスさまがわたしを好いてくださった理由。
 かつてはわかりませんでした。深く考えようともしませんでした。今は、わかります。

 フリージの民から好意的に迎えられ、概ね順当に復興していったことは、わたしに誇りと心の強さをくれました。そして押し寄せてくる不安は、高く評価されることから生まれた自信が掃ってくれました。
 国事の折に触れることができる民の反応は勿論でしたが、それ以上に。兄さま、オルエン。セリスさま。大好きな人から認められた時に生まれる漲りは大きなものでした。強くなったと実感するのは、もっと強くなれると思うのは、彼らと時を過ごし、賞賛の言葉を受けた時でした。大切な人から認められることがどれだけ力になるか、わたしは知りました。

 少女だった時。虐げられ続けたわたしの心は、優しい言葉を渇望していました。効果を意図して発せられた台詞のひとつひとつに感激し、何て凄い人なのだと憧憬の眼差しを向けるか弱き娘を大切な存在とすれば、容易に満たされ、自信を持ち続けることが出来たのではないでしょうか。
 得体の知れぬ大きなものとの戦い。先の見えぬ日々。その中でともすればくじけそうになる心を強化するために、セリスさまは手近な少女の中でもっとも弱いわたしを必要とした。思考でも感情でもない、人としての本能とも言える部分で、わたしを求められた。

 わたしたちは、依存しあっていたのです。一方的な関係ではなかった。過去のわたしにもセリスさまにしてさしあげられることがあった。

 愛してくださったのは事実だと思います。わたしがセリスさまを愛したことにだって、嘘偽りはありません。ただ、愛にもそこにいたる理由は存在すると思うのです。 わたしはフリージを愛しています。何故、そこにいたったのか。目を背けずに考えます。罪を償いたかったからです。恩を返したかったからです。弱い己を、憎悪したからです。わたしをフリージ大公へと導いたのは、人に向ける、人としての感情でした。崇高な志とは程遠いところにある想いでした。

 現在は、根源的な部分では、互いを必要にしません。一人で生きることもできます。伴侶を得るにしても、常に傍にいて激務の補佐をしてくれる人のほうが、個人としては望ましい。全ての国事に携わり合うことはなくとも、重要な決定の場や行事の際には第二継承者として立つことが義務となるでしょうから。彼との結婚がもたらすものは楽ではなく、その逆。
 だけど、少なくともわたしは、セリスさまが好きです。
 好きになることに理由はあっても、好きで居続けることに理由はないのかもしれません。
 ……愛しています。

 セリスさまとの時間を作ることは喜びです。それが政務を補助するためのものであっても、個人的な時を過ごすためのものであっても、嬉しいのです。
 だから、大丈夫。わたしなら大丈夫。
 だけどセリスさまは?  わたしが背負うことになる荷はいい。セリスさまは?
 グランベル国王にして、フリージ大公の夫。元よりの重責を軽減するのでなく、さらに上乗せするような結婚を望まれるのでしょうか。

 手を繋いでいるこの人と、生きていきたい。
 セリスさまが、かつて口にした言葉をもう一度だけ告げてくだされば、そうしたらわたしは飛び込んでいける。
 華やかな婚礼の儀の後は、通常通りの政務が待っている。激務の合間に、二人の時間を作り、心と肌を触れ合わせてぬくもりを得る。やがて子供を授かり、子の成長を喜び、髪に白が目立つ頃には役目を終え、二人だけで暮らす。それは茨の道だけど、受けた傷すらも厭わず、歩いていけるでしょう。
 セリスさまさえ、望んでくださったなら。
 
 本当に?
 本当に、それが一番いい道だと考えるの、ティニー?
 それでは、何かが……。


*


 人気のある道、ない道。色々歩きました。
 三叉路に立つたび、どっち? と聞くセリスさま。多分こちらですと答えて、旋回するような道筋を差す。ほんの少しだけの遠回り。

 手から伝う熱が心を満たします。緩やかな歩調が、気持ちを加速させます。
 わたしはこの人が好き。この人もきっと、わたしを好き……。だから。でも。
 
 裏門に着いた時には、陽はすっかり落ちていました。
 天然の甘い芳香で満ちた果樹園を抜け、殆ど利用のない裏口より白薔薇の咲く庭にと進入を果たしました。
 ヴェールを取って、顔を上げて。女大公に戻って、わが庭を歩きます。闇に溶る蒼を晒したセリスさまが、隣にいます。でも二人の手は繋がれていません。

「今日は楽しかったよ」
「わたしもです。楽しかった」
 セリスさまは私の前髪に手を伸ばしました。これがついていたよと、明るい緑を見せてくれました。
「忙しいのに、無理言ってごめんね。ありがとう」
「そんな! お礼を言うのはわたしのほうです。こちらこそ、ここぞとばかりに連れ歩いてしまって、申し訳ありませんでした」
「すぐに謝るところは、変わっていない」
 懐かしむように目を細められました。
「それはっ」
 セリスさまにだけ。普段はもっと、慎重に言葉を選びます。
 言いかけて、やめました。
「本当はね。何が変わって、何が変わっていなくてもいいんだ。変化が気になるのは、ひとつだけ」
「ひとつ……ですか」
 心が、鳴りました。思考を急がせました。声も、急がせました。
 セリスさまにその言葉を告げさせるのは多分、正しいことではない。
 少しだけ、待って。考えるから。

「セリスさまは、変わりました」
「そう? どういう風に。またおじさんになったみたいなこと言って笑うんじゃないよね」
「違います。表情がずっと穏やかになりました。それから、笑い方が自然になりました」
「……それは君といるからだよ」
「わたしは、わたしといる時のセリスさましか知りません。でも、関係ないと思います」
「じゃあ、平和になったからかな」
「……はい、おそらくは」

 同族の血を流すことによって得た祖国は楽園とは程遠いもの。聖なる血を持つものとしての責任は重く、日々は目まぐるしい。逃げ出したくなることもあります。
 だけど最高の贅沢が許されています。他者の心臓を塊にしなくてもいい、自らの明日を危ぶまなくていいという、贅沢。それだけで人は、人らしくあれます。

「ティニー。僕は、変わらないよ。今でも」
「駄目です、続きは言わないで」
「どうして」
 わたし、わかっていました。セリスさまが、今でも、わたしを好きだということ。
 十年と月日を数えると長くても、隣で過ごした時間は、出逢ってからの一年半よりもずっと短い。希少なる逢瀬のたびに、縮まる二人の距離。ほんの少しの触れ合いも、瞳を合わせての微笑みも、少しずつ長く、多く、柔らかい動きとなっていきました。
 だから、待っていました。セリスさまが、もう一度、求婚してくれる日を。

「国のことは、今なら、無理ということはない」
「違います……」
「何が違うというんだ。それとも君は変わったのか。もう僕を」
「違うのです! そういうことではなくて!!」

 わたしは、いつだって見ていました。
 頬を染めて、わたしを見て、口を開きかけるセリスさま。わたしの手や頬に延ばそうとする手の動きを止めるセリスさまを。
 わたし、知っていました。
 時間がない、次逢えるのは年単位で先のことかもしれない。その時には隣に添う人がいるかもしれない。だからせめてと約束を望んでいたことを。
 それでも、ただ、待っていたのです。想いは同じだったのに。

「わたし、に」
  自分では成長を遂げたつもりでした。だけど、人との関係において受身であるという姿勢は、変わっていなかったようです。
 まだまだね、と心の中で呟きます。
「わたしに言わせて欲しいのです」
「え?」
「セリスさま。わたしは」
 セリスさまに負荷のかかる結婚だからこそ、わたしからは望めない。 一度断った身だから、わたしから言い出すなんておこがましい。だから、セリスさまさえ望まれるならばと、待っている。それは、一見相手を思いやるようでいて、とても利己的な考えです。
 恋愛とは関係のないことが理由だとしても、一度断られた相手に求婚するというのが、どれだけ勇気のいることでしょうか。
 二人が結婚した場合の、わたしにかかる負担だって、小さくはないのです。もし心や体が弱まったならば、その生活へ導いたことをセリスさまは気に病むでしょう。
 確かに、自分では、大丈夫だと思っている。覚悟はある。でも、将来的なこと、特に体のことまでも、絶対に大丈夫だとは言い切ることはできません。
 それならば、自分から手を伸ばしたほうがいいのです。
 絡まる糸を解けました。後は、言葉として紡ぐだけです。
 足は震え、心臓が内部を圧迫していたけれど、微笑みを作ることはできました。

「今でも貴方を愛しています」
 相手の重責を軽くするべく、より気を配るのはわたしでありたいと思います。予期せぬ事態に見舞われて、より罪の意識に苛まれるのは、わたしのほうがいい。そう考えられる人間でありたいです。

 いくら望んでも、人は簡単には、完全には、変わらない。今なお内側に潜む弱さゆえに迷うこと、間違えてしまうことは、たくさんあります。
 それでも。過去にただ否定してきたものを咀嚼して受け入れ、よき未来を得るために生かそうすれば。傷つくことを恐れなければ。考えることを放棄しなければ。より正しい今を選択することはできます。そして、選ぶということの積み重ねが、理想とするヒトを作るのです。

「だから、結婚しませんか?」
 わたしはセリスさまの幸せを、セリスさまとの幸せを望んでいます。
 だからこそ、今、その胸に飛び込むことを選びます……。


FIN

FE創作の部屋