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「……少し、早く来過ぎたか」
その日の夜は、フィーを連れ出し、外食をすることにした。
マンスター救済によって北トラキアでの戦が一段落ついた。戦士たちにとっては、つかの間の休息の時間。
修復を待つ壊された城門の前で、フィーと、その連れ合いを待つ。
兄妹水入らずで食事をしよう、と誘ったのに、フィーは少し困った顔をした。
以前のフィーならば、二つ返事だったろう。フィーも、私ほどではないがよく食べるし、食事することそのものが好きなのだ。
約束でもあるのか? と訊いたら、はっきりと約束したワケではない、と答えた。
そして……頬を染めて、アーサーも誘っていい? と遠慮がちに続けた。
昔からフィーは可愛いかったけれど、再会したフィーはさらに可愛いと思う。それも、恋を知ったからなのだろう。フィーをより魅力的な少女にしたアーサーという男に、私も興味があった。だから、勿論構わないと応えた。
アーサーとは、どんな男だろうか。フィーのくったくない様子からすれば、少なくとも、恋をしていることを憚る必要がない相手なことは確かだ。
戦時中だからこそ、恋くらいは平穏で、幸福なものであって欲しい。私のように、押し込めなくてはいけない恋をしないで欲しい。
焼き跡を残す木々、崩れた城壁。殺伐とした場だったけれど、門という分かりやすい目印であることに違いない。待ち合わせとおぼしきの人間がちらほらといる。外に出て行く人間も、中に戻る人間も、沢山いる。
もしや、フィーとその恋人は、すでに近くにいるのかもしれない。そう思って、首を回すと……1つの影が目に入った。銀色の影が。きわめて明るい銀の髪は、夜の中でいっそう輝く。心臓が跳ねた。それが彼女でないのは、すぐにわかった。同じ銀を持つ人は、男だった。
目が、吸い寄せられた。失礼だと思う気持ちはあったけれど、彼を見ることをやめられないでいた。
氷のように整った顔立ちも、白い肌も、神秘的な紫の瞳も彼女を彷彿させた。背は、彼女よりやや高いくらい。細身だけどどことなく肉感的だった彼女と、男にしては華奢な彼と……体格も似通っている。年齢も同じくらいだろう。
他人の空似? それにしては、似すぎている。フリージ人を間近で見る機会は何度となくあった。中には銀髪のものもいた。紫に見えなくもない瞳のものもいた。だが、両方を兼ね備えたものはいなかった。
やがて、銀の少年も、こちらを見た。目が合う。少年もまた、私を観察するように、上から下へと見て、何かを決意したかのように両腕を握り……それから、動き出した。私のほうへ。
「もしかして、セティ……さん?」
「そうだけど」
「あの……はじめまして」
「……はじめまして」
「おれ……」
「……?」
「何から話したらいいのかな……うーん」
「……」
真っ赤な顔で、言葉を探す少年。私は首を傾げつつ、続く言葉を待つ。
「そうだ、あのっ! お兄さんって呼んでもいいですか?」
「……え……」
瞬間、私の中に、都合のよすぎる空想が駆け巡った。
はじめて会うはずの少年は、実はティニーの弟で、ティニーから私のことを聞いていた。
ティニーは、生涯をともに過ごしたい男性なのだと、私のことを語った。
だったら、いいのになぁ。
勿論、そんな好都合なことはありえないとわかっている。彼がティニーの弟である可能性も薄いが、ティニーが私のことを結婚する相手のように語る可能性はさらに薄い気がするあたり、虚しくて仕方がない。
「……ちゃーん……サー……」
銀の髪の向こうに、手を振りながら駆けてくるフィーの姿が見えた。
それで、彼が誰なのか思い当たった。
「ああ。君がアーサーか」
銀の少年は、こくこく、と頷いた。
フィーの兄なら、自分の兄、というワケか。 二人の仲はそんなところまでいっていたのか。
「話はフィーから聞いている。いいも悪いもないよ。私も君のことを弟だと思うことにするよ」
アーサーの表情に華やぎと安堵の色が広がる。身内から結婚を前提とした交際を認められて一安心、といったところか。
「……少し、気が早いかもしれないけどね」
安心させるために、彼の固くなった肩に手をおいた。触れた瞬間に、強い静電気とも、あの二神の血によるものととれる衝撃が起こった。手が、少し、熱い。
アーサーは軽く首を傾げたけれど、特別に気に留めていないようだった。
「お待たせ、二人ともっ」
駆けてきたフィーと、彼を交互に見る。二重の意味で、彼らが似合いのカップルに見えることが嬉しかった。
「彼が、アーサーよ。お兄ちゃんっ。アーサー、セティお兄ちゃんよ」
どう? なかなか素敵でしょ? フィーの顔には、そう描いてある。
そうだな。美形だと思うよ。私たちは、実はとても趣味の似た兄妹だったのだなぁ。驚いたよ。
「ああ、今挨拶をしたところだよ」
「あ、そうなんだ。よくお互いがわかったね」
「フィーに似ているからそうかもな、って思って見ていたら、目が合ったんだ……それに、イメージ通りの人だったし」
何故か頬を染めて、アーサーは言う。
「……私も……まあ、アーサーなんだろうなと……」
恋した女性にそっくりだったから、見ずにはいられなかった……とはさすがに言い難い。
それにしても、間近で見ても、やっぱり似ているな。特に髪。やはり、二人は他人ではないのかもしれない。ティニーのことを聞いてみようか。そう思って、アーサーに向かって、さらに一歩進み出た。その時、フィーが衝撃的な一言を放った。
「で、アーサー、ティニーはまだ?」
え。
「ああ、ティニーはこないよ。先約があるんだとさ」
「そっか。まあ……そうだよね」
ティニー……?
今、ティニーと言ったか。
「はあ……ティニーがおれの誘い断るなんてなぁ」
「拗ねてないの、もう。いい加減、妹離れしなさーいっ」
……妹? アーサーの?? ティニーが???
私は、アーサーとの間合いを詰めた。胸倉を掴む。
「君は、ティニーの兄なのか!?」
「へ? そうだけど……ティニーを知っているんですか?」
「彼女は今、どこに?」
「え、さっきまでは大中庭にいた……けど」
私は、走り出した。
「ちょっと、お兄ちゃんっ、何処に行くの?」
「……すまない、フィー、アーサー! 食事は二人で行ってくれ」
「え、え!? お兄ちゃーーーん」
一旦足を緩め、財布を二人に向けて放る。それから後は、全力疾走だった。
彼女に、逢える。ティニーはここにいる。
何を、あんなに悩んでいたのだろう。
何があったか知らないけれど、彼女は、敵ではなくなっていた!
恋が叶うかどうか。そんなことはわからない。
彼女と再び逢える。誰憚ることなく、一緒にいることができる。彼女と争わなくていい……。
それだけで、私はとても幸せだった。
「ティニー……っ」
制圧し、マンスター城を解放したのはつい三日前のこと。
必要があって忍び入ったことはあるが、足を運んだことのない場所のほうが多い。大中庭のような、陽の光のあたる場所など、私は知らない。 それでも、迷わなかった。彼女に向かって、一直線に走ることができた。私はマンスター城内外の地理を誰より知っていたから。
解放軍での経験が思わぬところで役に立った。 今、大中庭に辿りつけずに迷ったりしたら、私はその場で絶叫していたかもしれない。
長いこと、彼女を待った。彼女の来ない酒場で、私は一人彼女を待った。一人での食事は、彼女とのそれの半分も美味しくなかった。
逢いたかった。もう、一秒だって待てなかった。
大中庭の中央には、噴水らしきものがあった。
水のないそこに、銀の雫を垂らすかのように佇む影。逢瀬を繰り返していた時より、ずっと華奢に見える、後姿。
「ティニーっ!」
彼女の名を、叫んだ。それは長く出し方を忘れていた、歓喜に満ちた声。
「ああ、君にこうしてまた逢えるとは……ティニーっ!!」
ティニーに向かって、私は駆ける。あと三歩で、手が届く距離。
彼女は、じらすようにゆっくりと、振り返る。
銀の髪。白の肌。薔薇色の頬……そして……。
私は彼女を求めて、手を延ばし……そして……。
私と彼女の恋は、今、ここから始まる……
……。
…………はず。
END
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