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かつて人類は2度にわたりアフリカを後に新天地を目指した。1度目は失敗したが2度目は2,550kmの過酷な長旅の末、レバントの北部に到達し定住するのだが、そこに現れたのは今まで見た事も無い毛皮の服を着た若い金髪の白人男性だった。
デュッセルドルフ駅からS28系統で16分の所にネアンデルタール駅がある今は無いが60度を超える急峻でデュッセル川面からから高さ65mのネアンデル渓谷があった。
そこにはネアンデル洞窟と、対岸に川岸から30m、川面から20mの高さ所に幅3m高さ2.5m奥行き4.7m天井部は石灰岩の裂け目の穴が地表まで達していて、地表に溜まったローム土が流れ込む小フェルトホーファー洞窟が有った。
ところが時は、ドイツ第2次産業革命の1856年8月初旬、セメント用石灰岩を採掘中洞窟を崩すため入った作業員2人が不要なローム堆積物を崖下に投棄する作業中に、深さ1.8mの堆積物を表土から60cm掘り進んだ所で、動物らしき骨を偶然発見する。
当日は、出土する大理石を買い取り会社の社主が視察に来ていた。眼窩上隆起した異様な頭蓋部骨に興味を示し他の鎖骨,肩胛骨,上腕骨, 橈骨,尺骨,大腿骨、左の上腕骨,尺骨,肋骨五片,大腿骨,骨盤,大腿骨の16片の動物骨を採取したが、他に埋もれていた骨は見捨てられ投棄された。
この採取した骨が1か月後、ボン新聞に"人骨発見"と掲載されるのである。
この渓谷に洞窟は5つあり最大のネアンデル洞窟は19世紀前半芸術家達の祭や催し場に利用されていたが、動物の骨や古代の生活の痕跡も無かった。
小フェルトホーファー洞窟内の骨以外は、他の洞窟の生活痕、堆積物も含め全く何も発見されていないのである。
従ってこれらの洞窟は生活居住空間でも、集団墳墓でもなければ個人専用の墓でもないのだろう。
現在ネアンデルタール近辺は地面より15mの高さにあった小フェルトホーファー洞窟も、55mの高さがあった渓谷も、4つの洞窟共々徹底的に石灰岩採掘され洞窟も美しい急峻な渓谷も跡形もなく無くなってしまったのである。
人骨発見から141年後の西暦1997年に投棄された堆積物を発掘した中から大腿骨に接合する
骨片を発見され、更に2000年には眼窩上隆起の頭部の骨の一部が発見されたのである。
この出土したネアンデルタール人の他に別の2個体も発見されている。
小フェルトホーファー洞窟があった場所は、再三の調査,発掘物により奇跡的な偶然により位置が特定され今は遺跡記念公園内に表示されている。
ドイツ北西部ライン川流域に居住していたネアンデルタール人はクロマニヨン人と覇権を争う事もあったが、決定的だったのは、現生人類によってライン川流域河畔にあった集落は獲物獲得争奪に負け圧倒的武器で追われ離散し逃げ惑ったこの地で、病弱な髄膜炎の老人と未成人の3人であったが次々と倒れてしまい遂には一人っきりとなったのである。
この地で最後のネアンデルタール人は1.2m堆積物の洞窟内で横たわった最期に、この寒く湿った洞窟内で何を想い命を終えたのか。
それはたった4万年前の出来事だった。
人類の祖先はホモ・ハイデルベルゲンシス、40万年前ネアンデルタール人類を出現させ、55万年前にはホモ・ヘルメイが出現し現生人類に繋がっていくのである。
19万5千年前のアフリカの出来事である。
遺伝子のミトコンドリアDNAは母方のみ代々受け継がれる。
これを辿って行くと発生誕生までさかのぼりミトコンドリアイブと言う女性が現生人類発生の起源であり、19万5千年前に起こった偶然なる突然変異によるものだ。
その頃の人の平均寿命は15歳未満、乳幼児死亡率が高く平均寿命を押し下げているが、10歳くらいでこどもを産みはじめ20歳過ぎで高齢となり20代半ば迄で病気や怪我でほとんどが亡くなるのだ。
人類の文化継承はこのたった十数年の中で行われてきたに過ぎない。
部族の中にいる長老でもひ孫が誕生する当たりとして35歳前後だろう。
しかし現生人類が旧人に取って代るのにそんなに時間は掛からなかった。
変動するアフリカの気候
現代のアフリカはサハラに代表されるように砂漠化が進んでいるが、地球の歴史で観れば5,6万年から10万年毎に地球的気候変化でこの砂漠にも大雨があり、温暖で湿潤な気候となって砂漠に湖が出現したり緑が生い茂る生命豊かな地に変化する期間がある。
新しい所では12,000年前大雨が降り続きエジプトギザ台地にあるスフィンクスが降雨や濁流の為、何本もの水流による浸食が起き今に残るが、4,500年前のピラミット群には降雨の跡がない。
また、サハラ砂漠の岩肌に古代動物の絵が多数残っている遺跡も数多く見られる。
人類の出アフリカ
現生人類は12万年前の間氷河期に温暖で湿潤な期間に草原化したサハラやレバントまで緑が繋がった時、イスラエル近くまで進出、出アフリカを果たしたが突然それも10年単位の極めて短い間に氷河期突入の気候大変動により、草原は無くなり開かれていた"緑の扉"は閉じられ元の砂漠に戻ってしまう。
出アフリカを果たした人類はアフリカに帰る事も出来ず砂漠化の中で9万年前には絶滅するのだ1回目の出アフリカは失敗した。
事実この年代でこれより遠方の現生人類の骨は発見されないのである。
地球大異変に遭遇
出アフリカは新人はおろか旧人や原人も動物も食料である獲物や植物の食料を求め、定住できる新天地を目指し世界各地に散らばって行く。
それは全て"緑の扉"が開いた時に行われて来たのは言うまでもない。
ところが生物生存の危機が7万4千年前に訪れるスマトラ島にあるトバ火山の破滅的噴火である。
火山灰が北半球を覆い地球規模で平均5℃低下の劇的な寒冷化は6千年続く、勿論中央アフリカも甚大な被害が出た。
旧人は絶滅し現生人類は1万人を大きく割り込み絶滅の危機となった。
現生人類は遺伝子の多様性は失われ、この大異変で他種による新しい人類の出現の可能性も無くなってしまう。
一方、大氷河があるヨーロッパを中心に20万年以上も暮らしているネアンデルタール人類でも地球寒冷化の獲物不足で勢力を落としたが、一部は獲物豊富なシリア・イスラエル地方まで勢力を南下させていたのである。
6万6千年前、アフリカ大地溝帯東のモザンビーク,タンザニア,ケニア,エチオピアに13部族が暮らしていた現生人類は、人口過密やサバンナの獲物不足で抗争が絶えない中、北端のエチオピアにいた1部族から溢れたの80〜
100人規模の凡そ10数家族は次第に獲物や食にありつけず”食”を求めて新しい生活の場所へ移動し始めたのである。
亜間氷期の温暖で湿潤な期間がまた訪れていてあの"緑の扉"が開いたのである。
サハラやレバント(シナイ,アラビア,パレスチナ,シリア,ヨルダン)に湖の出現や、緑が生い茂る草原に獲物を追い紅海の魚貝を採取し100人の日々の暮らしを作り、1か所に何年も何十年も居住しながら遂にシナイを経て2,550km離れたイスラエル・シリア地方に定住をしたのである。
2度目の出アフリカを果たした。
この時、獲物を探し狩りをしていたネアンデルタール人類に初めて出会ったのだ。
ネアンデルタール人類
驚愕しただろう自分達部族より先にいたネアンデルタール人類は、長年ヨーロッパを拠点に30万年以上暮らしていたのでDNAも当然変化、寒冷地の気候に適した顔だちだ。
ネアンデルタール人類と交配
一方現生人類はアフリカ出の褐色の黒人だ。
日照不足から肌は色素が抜け色白で金髪や赤毛、目の色はそれぞれ違うが防寒の為に鼻は長く太い。
更に髭があり大きな顔だが、彫りの深い現代のヨーロッパ人となんら変わらぬ風貌なのだ。
ただ一つ違うのは眉毛あたりが大きく隆起した額だけだった。
しかもネアンデルタール人の若年代は、特に整った容姿だったのである。
行く先々で獲物である食料や水を確保しながら定住場所を探す過酷なキャラバン隊、10数家族程度の一族で、移動中なので近親婚を繰り返し種の維持が滞っていた。
そんな中、黒人の娘たちは、屈強で金髪色白端整な若い男に恋い焦がれても不思議はない。
現在の人類でミトコンドリアDNAの女性遺伝子を辿るとその時 ネアンデルタール人と交配して産まれた3人の女性に突き当たるそしてその子孫が我々なのだ。
ネアンデルタール系混血現生人類で、突然変異した現生人類の誕生である。
一方、現生人類のミトコンドリアDNA女系遺伝子にはネアンデルタール人の女系に辿りつける事が出来ない、つまり現生人類の男性がネアンデルタール人女性に産ませた子はいない事になる。
もしいれば統合人類の出現となるのだが。
ネアンデルタール男性と人類女性の交尾は、この時が最初で最後の交配であった。
更に幸運だったのはレバントに定住してから数百人の小規模社会だった為に、全員がネアンデルタール系混血人類となって一族のDNAとなり得た。
この混血現生人類は、驚異的に増え続け獲物を求め全世界へ旅立つのである。
ネアンデルタールDNAの行方
サハラ砂漠以北の人類はネアンデルタール人の2〜5%の遺伝子を受け継いでいる。
筋骨隆々の金髪色白の子孫が欲しくて交尾交配してもらった我ら人類。
更に特典があったネアンデルタール系現生人類は新しい遺伝子を取り込んだ。
寒冷地に適した種が持つ、耐性である。
南国育ちにはない寒さ、風邪、屈強さ、バリアントが現生人類に備わりその上、兎に角多産であリネズミ算式に我々人類が増えたのである。
その時ネアンデルタール人類は既に35万年の時を生き方や現生人類は誕生から13万年後のことだった。
ネアンデルタール博物館内
もしネアンデルタール人女性と現生人類が交配していれば混血ネアンデルタール人類として現代を生きて全く現生人類と変わらずにいたり同じ席に、座り食事をしていた事だろう。
何故できなかったのか、それは簡単なこと金髪色白の美しい娘は粗野な黒人男に魅力も興味も恋心も持たず交尾交配しなかっただけの事だろう。
混血現生人類-世界へ
増え続ける混血人類に肥沃な三日月地帯(パレスチナ,メソポタミア,シリア)は多くの人を受け入れることが出来たが、次第に獲物や食にありつけず新天地を求める人達が出始める。
最初に飛び出したのはペルシャ湾の海岸線からインド,インドシナの海岸端へ、更に海水面の104m下降で陸続きだったオーストラリア大陸に6万5千年前には到達した。
5万年前ころにはシナイを通り北アフリカへ戻る者
もいた。 アジア大陸へは、ペルシャ湾海岸線端からアラビア海岸、カラチから内陸へ、インド西端ラージコートから内陸へヒマラヤを迂回しシベリアへ、他も東南アジア海岸端より内陸に向かって行き2万5年前には、陸続きのベーリング海を渡り大氷河に覆われていたカナダを越え中央アメリカに到達した。
南アメリカ南端には1万2千年前には進出していたのだ。
いづれの場合でも海岸線から魚介類を採取し乍らの進出が一番早い。
ヨーロッパの攻防
一方、大氷河があったヨーロッパには、クロマニヨン人やネアンデルタール人類がいた為両者の勢力が強くて進出できずにいたようだ。
しかしクロマニヨン人、ネアンデルタール人の衰退が起こりやっと人類は4万5千年前にヨーロッパに入った。
しかし6万6千年前の初接触から2万年間関わリがない。
またネアンデルタール人類が絶滅したのは3万5千年前、現生人類との共存は1万年間に及ぶ、中東からスペイン地方まで広範囲に生息していたにも関わらずネアンデルタール人男性と交尾し産まれた女性が3人だけとは不自然だが、もう其の頃には全く違う文化を互いに認識した為だろう。
もうこれは共存ではなくネアンデルタール混血現生人類のネアンデルタールDNAを持つ子孫が大量に押し寄せ氷河期の数少ない獲物争奪に圧倒的武器の違いでネアンデルタール人類が負けて駆逐され殺されていく・・。小フェルトホーファー洞窟の出来事が全ヨーロッパのネアンデルタール人に起こりスペインまで追い詰められて絶滅に至ったと考える方が自然だ。
共同生活圏の差
ネアンデルタール人の衰退と人類の繁栄の差はコミュニティーの大きさだと言うが人がいる。
コミニティーが小さいと人的交流がなくなり、文化の進化や武器の進化、伝承が限られ、更に近親婚が蔓延り遂には衰退絶滅するとの言うのだ。
では生存にかくも長き40万年もの膨大な時間が残ったのか、人的な交流がなくては種の維持が出来ないし、もっと極めて早い時間で絶滅に至るのではないか。
種の維持が出きない理由はただ単に食料の確保が出来なかっただけなのだ。
混血現生人類は強力な競争相手であり、そのため獲物の確保が出来ず、圧倒的な武器の違いで猟場から追い出され、迫害され、殺されて子孫を残せず衰退し絶滅に至った。
もし食料が確保されるなら環境に適しているネアンデルタール人類はこんな絶滅の仕方ではなかったろう。
また、混血人類をネアンデルタール人社会にもたらしていたら絶滅は無かったのだ。
そう言う意味からすれば、混血現生人類は農耕文化や産業革命がなかったならば獲物を巡り殺戮好きの故、共倒れしこれも食料不足から間違いなく絶滅の危機に瀕していたことだろう。
新しき人類
アフリカは命の揺り篭、20万年毎に新しい新人が生まれていた、しかし違う種が突然現れるのは異種間の交配によって引き起こされ突然変異として生まれるものではないのか。
今回のネアンデルタール人の違う種との交わりで突然変異した現生人類は、至る地域でその置かれた環境に適した人種に変異してきた。
人類は既に20万年間生きてきた、繋ぐ命も何万世代も続くと必ず変異する。
また、生命の突然変異は
放射能によりミトコンドリアやDNAが変異してしまうと考える人もいる。
今は新しい人類が現れる手前なのかもしれない
今一つ
現代人の全女性のミトコンドリアを辿って行くと全てが19万5千年のミドコンドリアイブに行き付きのに対し
現代人の全男性のミドコンドリアアダム(Y染色体DNA)は奇奇怪怪で全男性アダムは色々と違うのである。
ともあれ
現生人類とネアンデルタール人類は兄弟関係だが、4万年以上前に絶滅したアジアで生息していた現生人類の従兄関係であるデニソワ人は、ネアンデルタール人とも交配し母がネアンデルタール人、父がデニソワ人の少女の化石が発見された。
また、アジア人の中だけにデニソワ人類のDNAがほんの僅か混ざっている、人属の交雑は複雑でどの程度影響を及ぼしているのか興味深い。
しかしもう現生人類と交配できる種がなく新人出現の可能性は皆無と言える。
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