飛騨の里

今日も一番に目が覚めたのは、おいらだった。毎々の事なのですが、一人だけ目が覚めてもすることがないんですよね。そういう意味でも、コンビニの駐車場で寝泊りするのはいいです。なぜって、なんか買ってきて時間を潰せるからです。一人でこっそり朝食を取ったり、雑誌を買って読んだり、旅行誌等で下調べをしたり、などなど。そういうことに飽きたら、また横になって。と言うことをしていると、それなりの時間になってきます。そうしたら、容赦なく二人を起こして出掛けます。

今日も、8時近くに二人を起こし、飛騨の里というところに出掛けました。ほぼ、開園と共に入場したのだが、そこそこ人が居たのには驚き。そこは、でかい池を中心に、古い藁葺き屋根の家が20軒くらい建ち並び、当時の生活風景なんかを再現しております。全部を見て周ると、とても時間がかかるようなので、「お勧めコース」を選んで周りました。ある家の中では、おばあさんが、民芸品のようなものを縫っていて、作る様子を見せてくれていたのは良かったなー。アトラクションと言うには素朴なものですが、なんとなーく、心地よく感じられました。それから
、ぐるーっと一通り見て周り、そこをあとにしました。

飛騨高山ラーメン

朝っぱらから、観光をしたのはいいが、まだ、飯を食っていなかったのだ。食いたい時に食う。これがこの旅の鉄則なのだ。民芸博物館を出る頃には、3人ともお腹が空いていたので、飯にしよう!という話になった。丁度、高山市から長野県へ抜ける道沿いに、大きなドライブインのようなものがあったのを思い出し、そこで飯を食おうと、車を走らせた。
 到着すると、そこは確かに大きなドライブインで、食堂や土産物屋が何店も並び、車も多く停まっていて大盛況だった。ドライブインの敷地の隅に、ひときわ大きな建物があり、そこでは飛騨高山ラーメンの製造販売をしているようだった。しかも、建物の中は、工場はガラス張りになっており、見学も出来るようになっていた。普通のドライブインだと思っていたら甘かった。そういう風に出られては、こちらも飯は「飛騨高山ラーメン」にするしかないではないか!横は食堂になっていて、そこで作られたものはすぐに食べられるようになっているようだ。と、いうわけで、普通のラーメンを頼んだのだが、めっちゃおいしい!さすが麺が出来立てなだけはある。腹が膨れたところで、土産物コーナーのところをうろちょろしていると、「石原プロ」の面々が描かれた大きな看板があった。どーやらここは、それを売りにしているようで、確かにおばちゃん達の受けはいいようだ。その看板を持って帰るんじゃないかと思われる程だ。ふと、工場の方を覗くと、売店で売られているラーメンが次々と箱詰めされている。こーゆーのを見ちゃうとだめね。お土産に買ってしまった。ドライブインだけに、ほかにも屋台風の店も何件か連ねており、そこで牛肉の串焼きみたいなのを買ってみんなで食いました。これも旨い。そんなこんなで、たらふく食うだけ食ってそこを後にしました。おいらは腹一杯の幸せな気分のまま、後部座席で寝に入りました。運転してもらってごめんねー。

帰り道

国道を通り、長野へ抜け、一気に松本へ車を走らせました。もはや上高地へ立ち寄ろうという体力はありませんでした。年はとりたくないねぇ。松本で、中央高速には乗らず、ひたすら現道をいきました。諏訪湖の真横を抜けるルートです。山梨まで来ると後一息!と、思ったところで渋滞にはまり、仕方なしに中央高速に乗ることになった。なんか、悔しいんだけど仕方がない。甲府I.Cで降りて、そこからは現道。道志峠を抜け、上九一色を抜けて、静岡県にたどり着く。そのまま一気に富士宮市街まで。ちょうどいい時間だったので、バイパス沿いの夢庵で夕飯を食う。飯を食いながら、いつもの通り、反省会&次回の旅の計画を話し合った。ついでに旅行にかかったお金の精算を済ませました。旅行中は、交通費(ガス代、駐車場代、通行料)・施設の入場料などの雑費を一人が立て替えることになっているのです。それが今回は、一人当たり1万円を切ったのだ。我々の旅行は、食費+土産代+雑費が三大出費なのですが、その雑費が1万を切るってのはとても凄いのです。そんなわけで、そういう話で盛り上がりつつ、飯を食ったのでありました。ここから家までは、あと少しなのですが、工藤くんと、薫ちゃんの二人は家が関東なのでまだまだです。家に着くのは真夜中だろうなー。なんてなことを思いつつ、我が家まで、ハンドルを握りました。10分ほどで家について、二人の荷物を薫ちゃんの車に移し、二人を見送りました。はー、一段落。でも、もう一仕事あるのだ。車に残った、ちらかったおいらの荷物を片づけなければ・・・・。



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