任される
透明な存在。自分の存在価値がわからないまま生きてしまったかわいそうな人間の言葉です。先月の中学生日記に、髪形を変えたのに先生に気づいてもらえない、私の存在は認められていないのだ、と悩む女子が出てきました。テレビの中の先生は、自分の責任だと悩んでいましたが、この女の子は中学生にもなってこんな考えしかできなくてかわいそうだなあというのが、私の感想です。
ただ生きているだけで存在を認められるのは、せいぜい3歳までです。お父さん、お母さんの間でのみ、子供は何歳までもこのような存在でいられることがありますが、6歳を越えて“社会”の中へ出たら、ただ自分勝手に生きている人間は、誰からも存在を認められなくて当然です。それが、中学生にもなって、自分のことしか考えない生き方をしているのに、自分は誰からも認められていないなどというのは、贅沢の極みです。
このクラスのほとんどの子は、友達のために何とかしようと一所懸命です。そんな中で、自分の特性がうまく生かされて、その特性がその子の個性に育っていきそうな子が何人もいます。中には、なかなかいい運が回ってこなくて、友達のために働いている割に認められていないなあという子もいますが、そんな子には、私も全力でバックアップしてやりたくなります。なかなか認められないという状況の中でも、友達のために頑張っている子は、みんな、“社会”の中でいくらかのアイデンティティを感じていると思います。
家では、どうでしょう。
毎日、家族全員分の布団を敷いているA君は、自分がいなければ家族がゆっくりと眠ることができないのですから、責任は大きいですね。その大きな責任こそ、A君が家族の中で自分の存在価値を感じる大きな原動力になるのだと思います。
カレーの買い出しを頼まれたB君。スーパーで何を買えばいいのか悩んでいる間、大きな責任を感じると同時に、家族の役に立っているという自覚、すなわち自分の存在価値に大きな充実感を感じていたでしょう。任されるというのは大変なことですが、大変な分、自分の存在価値をしっかりと感じることができるのです。
これまでお手伝いで経験を十分積んできたお子さんには、冬休みを機会に、“助手”から“主任”に格上げしてやってはどうでしょう。
たとえばA君は、布団を敷くという実作業だけでなく、布団についてすべての責任を負う“布団主任”に格上げです。布団干しから、シーツのほころび直し、枕カバー買い替えの際のデザインの選択など、家族が快適に眠るための仕事を全部やるのです。
B君は、“土曜日夕食主任”というのはどうでしょう。難しい所がたくさんあるので、そういう所は、もちろん“助手”のお父さん、お母さんに手伝ってもらえばいいですが、とにかく土曜日の夕食については、計画から片付けまでB君が責任を持って行い、家族においしい夕食を提供するのです。
その他にも、家族旅行の計画を思い切って任せるなど、いろいろアイデアがあると思います。(私の教えた6年生で一番旅慣れていた子は、卒業記念に一人で四国を回ってきましたが、交通機関から宿まで、全部自分で手配していました。)何かを任される。大変なことですが、家族や友達のために頑張ってやり続ける子は、絶対に透明な存在にはなりません。