継続のこつ  

継続

 
 学習というものが言葉を介して行われる限り、言葉の勉強は欠くべからざるものです。したがって、私の出す宿題の中で、本読みカードと日記が最も重要だということを、子供たちに1学期からずっと言い続けてきました。

 しかし、この有り様です。第2次性徴を間近に控え、卒業までに後半年しかない今の時点で、これほどやる気の無い子には、もう手遅れかもしれません。

 先日A君が日記に、「本読みを頑張っているけれど、1学期に先生が教えてくれたようにはうまくならない。このままただ続けるだけでいいのですか。」と書いてきました。A君以外に、本読みを頑張っているけどうまくいかないという悩みは聞いたことがありません。前号に書いたように、やっていないから悩みなど出てこないのです。

 では、本読みの宿題をやらなくてもいいほど、読む力があるかというと、そうでもありません。初めて見る文章をすらすら読む子は皆無。一度で内容を把握するなど、夢のまた夢。

 比べてはいけないのかもしれませんが、あえて言います。これまで担任した6年生の、どのクラスよりも、本読みのレベルは低いと思います。特に、クラスの中で優秀だと言われている子をこれまでのクラスと比べると、本読みの力は格段に落ちます。

 毎日同じことを繰り返すことは、誰にとっても難しいものです。繰り返しに飽きが来て、集中力を奪っていきます。しかし、それを乗り越えてこそ、継続は力なりという言葉が命を持つのです。

 乗り越えるためには、気力と工夫という二つのものが必要です。必ず勉強ができるようになってやるぞという気力なしには、「継続」はできません。まず気力が必要です。しかし、何億人かに一人の天才以外は、その気力も同じことの繰り返しには耐えられなくなってきます。そこで必要なのは工夫です。

 萎えた気力をもう一度奮い立たせる工夫の基本は、自分を楽しませることです。どうすれば、自分を楽しませることができるのでしょうか。

寿限無

 自分を楽しませるにはいくつかの基本があります。

 一つ目は、自分が進歩したのを、自分に感じさせることです。生理的欲求が満たされる喜びは、どんな動物でも味わいますが、自分が進歩したことに喜びを感じることができるのは、おそらく人間だけでしょう。

 何か新しいことができるようになった。同じことだけど前よりも上手になった。そういった喜びが心の底から沸き上がってきたとき、人間に生まれてよかったなあと感じます。人間であることに誇りを感じます。

 進歩したのを味わう一番手っ取り早い方法は、誰かにほめてもらうことです。毎日教室で私が一人一人の本読みを聞いてほめてやれるのが一番いいのですが、一人たった5分ずつ読んでもらったとしても、それだけで授業の3時間分がかかります。それで、申し訳ないと思いながらも、お父さん、お母さんの協力をお願いしています。

 お父さん、お母さんが忙しくてもテープレコーダーさえあれば、自分で自分をほめることができます。毎週決まった曜日に同じところを読んで録音して聞き比べれば、きっと自分の進歩に納得できるでしょう。この年代の脳は、とにかく続けてやりさえすれば、目に見えて進歩するものだからです。やらない子だけが置いていかれるのです。

 二つ目は、自分に新鮮な風を送ることです。前にも書きましたが、国語の本だけでなく他の教科の教科書も読んでみましょう。それでも飽きたら、別の読み物にしましょう。

 先日分けた寿限無は、子供向けの落語の本から取りました。これは台本の一種ですので、多くの部分が台詞だけで成り立っています。落語は一人で演じなければならないので、その分登場人物のキャラクターがはっきりしており、声の高さやスピードをちょっと工夫するだけで、演劇が成り立ってしまうようにできています。

 国語の教科書の難しい評論文に飽きたときなどに使えば、気を紛らせながら、そのうえ発声の練習にもなります。うまくなってお父さん、お母さんに聞いてもらえば、(国語の面倒な評論文よりも)家の人も喜んで聞いてくれるでしょう。

 重要性を説いて話してもだめ。やっていないから悩みも無く、悩みも無いから、新しい風のヒントをやっても無駄。かといって、みんなせっかく人間に生まれてきたのだから、サーカスの動物を扱うように鞭をふるうのはいけないし、魚のように餌で釣るのはもっと情けない気がするし。
 この子たち、何も努力しなくても、半年経てば卒業証書をもらえるものだと、勘違いしているのではないでしょうか。
 

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