飢餓

 私は食べ物の好き嫌いがあります。食べられないものはありませんが、選択できるのならば、食べるのを避けたい物はいくらもあります。娘は、好き嫌いがありません。何でもおいしく食べます。育てている私たちの頭が下がるほど、食べることに対しては真摯な態度で臨みます。

 私は一度も飢えたことがありません。おなかのすく感覚はもちろんわかっていますが、飢えて死にかけたことはありません。
 娘は、飢えて死にかけたことが何度もあります。幼稚園の時、インフルエンザウイルスが、膵臓の中に入ってランゲルハンス島を壊してしまったようで、インスリン欠損症という現在の医学では治療法のない病気にかかりました。そのせいで、何度も飢餓の極限の状態を経験し、救急病院に運ばれています。

 日本の子供は、そして、その親の世代は、おなかがすいたことはあっても、こんな病気をしないかぎり、飢えで気を失った経験のある人は、いないでしょう。1度でも飢えて死にかけた人は、食べ物の好き嫌いなどしないのです。「今、食べられる」ということに心と体で感謝し、食べ物を粗末にすることはないでしょう。

 私たち親の世代は、食べ物に飢えたことはありませんでしたが、他のいくつかのことには、飢えに近い感覚を持っていたのかもしれません。

 今のように、世の中におもちゃは氾濫していませんでした。(テレビゲームやたまごっちのように)親が子供と一緒になって同じおもちゃで同じようなレベルで遊ぶなんて事はなかったから、そう簡単に買ってもらえるものではありませんでした。

 どうしても欲しいと思っても、買ってもらえないから、工夫して、何かで代用するほかはありません。運よく買ってもらえたら、とにかくそれで遊び尽くす。次はいつ買ってもらえるかわからないのですから、そのおもちゃの本来の遊び方以外の遊び方をいくつもいくつも考えなくてはなりませんでした。

 その点、今の子は“安心”です。飽きたら次のソフトを買ってもらえばいい。ゲームソフトを何十本も持って、得意げにしている。中古ゲーム屋に買い取らせる。おもちゃに飢えたことがないから、持っているおもちゃを最大限に生かす工夫をしなくてもいいし、惜し気もなく捨てられます。

 おもちゃばかりではありません。「友達」も同じです。私たちの小さい頃は、一人でできる楽しいテレビゲームがなかったから、楽しく遊ぶためには、どうしても友達が必要でした。一人でできるのはせいぜい本を読むくらいでしたから、何としてでも、友達を作らなければなりません。そのためなら、多少いやなことでも付き合いを大事にしたし、この人と友達になりたい、と思ったら、その人のために一所懸命いろいろなことをしました。“鼻垂れの頃”そういう経験をたくさんしてきたから、中学へ行っても、大人になっても、人と付き合うということが多少なりとも分かっていたような気がします。

 けれど、今の子は、一人で遊べる物が近くにたくさんあります。お父さんもお母さんも、家族を大事にすることが一番だと思っているから、小さい頃から、良く遊んでくれます。“人に飢える”まで独りぼっちでいたことがないから、努力して友達を作るという感覚はありません。友達を作るということは、多少なりとも傷ついたり、汚れたりするものだということなど、思いもつきません。

 おなかが減ると気が立ちます。イライラします。暴力的になり、やつあたりもします。でも、それは、“おなかが減った”時であって、飢えた時ではありません。一度でも飢えた経験のある人は、ただただ食べ物を得たいと一心に願うからです。

 思春期を迎えると、ホルモンバランスが崩れ、自分に自信がなくなり、不安定になります。そんな時、どうしても相談相手がほしい。でも、うまく友達がつくれない。いままで人に飢えたことも、その飢えを癒すために努力したこともないから、どうすればいいかわからない。“自分がさみしければ、必ず周りの人は自分に気づいて声をかけてくれるはず”なのに、みんなが自分を無視する。“おなかがすいた”なあ、いらいらするなあ。そして、人を刺す。

 今の子はすべての分野で飢えたことがありません。とてもかわいそうです。こんな状態からは、自然に、“発想”だとか“友情”なんて生まれはしないのです。もしかしたら、私たち親が子供のころも、同じことを言われていたのかもしれません。しかし、この国の“飽食”があの頃よりも進んでいることは確かです。

 この1年間、こんな時代に生まれたこの子たちを、できるだけフォローしたいと思いました。特に、友達については、何とかしてやりたいと思いました。

 生のじゃがいもが目の前にあるのを見て、「これは食べられない」というのではなく、「何とか食べられるようにしよう」と思う子にしたかった。そのためには、包丁で手を切ることもあるし、やけどをすることもあるのだということを知ってほしかった。友達は、「自分を助けてくれる人」ではなくて、「いつだって君のために、そこへ飛んでいくよ、と自分が言える相手」だと言うことを心に刻んで卒業してほしかったのです。大事な友達には、いつだってこんなふうに言える人になれますように。
 

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