個性(2)
 

自由、個性

 6年生になって、給食当番をなくしました。みんなの食事だから、みんなでやろうということにしました。何の仕事をしても自由です。こういう学級の仕事をこれまで進んでやったり、家の手伝いで慣れている子は、素早く動いて、これまで給食当番のやっていた「お決まりの仕事」をします。でも、給食の支度など10人もいればできてしまいます。のんびりしている子は仕事に「ありつけない」という状態です。

 初めは多くの子がとまどいました。運よくおかずの食缶を手に入れれば、おかずを分けるという仕事を全うできますが、そううまくはいきません。「お決まりの仕事」を手に入れることができなかった子は、ただうろうろしたり、わけもなく人の後ろを付いて回ったり、自分に分けられた食事をじっと見つめているという状態でした。

 それから約1カ月。彼らの動きも変わってきました。判断の正確さ、能率のよさにはまだまだ差はありますが、どの子も時間を持て余す事なくきびきびと動くようになってきました。自分の余った時間は、係の仕事など、給食のこと以外にみんなの役に立つ仕事を選んでやっています。前号のアルミ缶ステーションの立派な仕事も、こんな習慣が生きてきたのかなあと思います。

 このクラスにはリーダーは必要ありません。一人一人が全体を「見て」、仕事の進み具合やチームメイトの動きを「読み」、自分の能力でできる最大限のことをする、というチームになってほしいからです。お子さんには、そういうチームの中で、自由に活動し、個性を発揮できる人間になってほしいと思っています。

 自由であること、個性を伸ばすことが大切であることが叫ばれている世の中です。しかし、自由、個性という言葉の本当の意味を履き違えている人も多いように思えます。

 自由は「好き勝手」ではありません。責任を持ってそれを選ぶという権利です。

 個性は「他の人と違うこと」ではありません。自分が必要とされている場所で、最大限に自分の能力を発揮することです。

 どんなチームが本当に素晴らしいチーム(「人類」や「地球」というチームも含めて)なのかという概念さえはっきり持っていれば、自由や個性という言葉を間違えて使うこともなくなるでしょう。
 

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