個性(4)
 

心、個性

 心の教育というテーマで学級懇談をしていただきました。たっぷりと時間があれば、もっとたくさんの意見交換もでき、お父さん、お母さんどうしも仲良くなれ、子供達も、もっと仲良しになるだろうなあと、懇談会のたびに残念に思っています。

 心の教育とか、個性尊重の教育が大切だと言われ始めて何年もたちます。この二つがきちんとなされれば、子供達は、何も迷わないで、この星の未来を背負って立つ立派な人間になるだろうと、私も思っています。

 ただ、心の教育、個性尊重について、時々誤解があるなあと思うことがあります。

 まず、心の教育についてです。やさしさを知ることが、心の教育の基本にあると私は考えています。ただ、このやさしさを知るということが、かわいそうだと涙を流すことではなく、「見る、読む、動く」といった具体的な能力のことであると考えているのは、これまでお話ししてきたとおりです。

 次に個性尊重の教育についてです。個性というと、なにか飛び抜けた才能をイメージしがちで、実際にそれを捜し出すのが個性尊重の教育であると唱える人もいますが、私はそうは思っていません。

 人間というのは、いろいろな経験をして、いろいろな能力を合わせ持ったものです。それは、どの人も同じで、四十数億人がそれぞれ別の飛び抜けた才能を持っているはずはありません。では、個性尊重とは何でしょう。

 攻撃力8で守備力2のサッカー選手がいるとします。普通に言えば、この選手の個性は攻撃力にあるといえます。しかし、この選手の所属するチームの選手が皆、攻撃力9で守備力1だったらどうでしょう。このチームの中では、この選手の攻撃力は光りません。逆に、この選手は、守備の面で輝きます。

 このチームの中では、守備がうまいというのがこの選手の個性となるのではないでしょうか。何と言っても、守備力が他の選手の2倍もあるのですから。

 この選手が、攻撃が得意だからと言って守備が全然できないというのではないように、どの人も、一つのことが完全にできて、他は全くできないということはありません。

 みんないろいろな力を持っているけれど、それぞれ得意、不得意、特性とか傾向とか言うものがあって、そういう人達が集まって何かを成し遂げようとしたとき、その特性が生かされる。こうしたとき始めて、その人の個性が発揮されたというのではないかと、私は思うのです。

 チームや社会が動くとき、自分の力が認められ、チームや社会の原動力になったことを自覚できる。こうして得たアイデンティティーは、生きていくための自分の心を力強く支えてくれます。こうした意味でこそ、個性尊重の教育の重要性は大切にされなければいけません。
 

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