未来は変えられない



教員生活も三十七年目に入った。

今年、十二歳の子どもたちに教えたいのは「過去は変えられる、未来は変えられない」ということだ。

 一般的には「過去は変えられないが未来は変えられる」と教わる。

「だから、望みを捨てずにがんばろう」と続く。

しかし、私は、「過去は変えられる、未来は変えられない」と教えたいと思う。

 まず、過去は本当に変えることができないのだろうか。

確かに「何が起きたか」という客観的な事実は、タイムマシンが発明され、過去の出来事を変えてもよいという法律ができなければ、映画や物語のように変えることはできないだろう。

 しかし、過去は年表や資料の中にだけ存在するのではない。

過去というのは人の心の中にも存在するもので、むしろ、そちらの量の方が多いと言える。

 心の中にある過去は、感情と共に存在する。

心の中の過去というのは、甘く楽しかったり、苦くつらかったりする感情と共に記録されているのである。

 誰でも、悔しかったり苦しかったりする出来事に必ず出会っている。

生まれたばかりの赤ちゃんでさえ、お腹が空いたとか、おしめが濡れているといった悲しい出来事に直面する。

ましてや、何十年も生きてしまえば、つらく悲しい思い出も、一つや二つでは済まないだろう。

 出来事そのものは変わらないであろうが、その時の感情も、ずっとそのまま心の中にあるのだろうか。

 時には「死にたい」と本気で思ったことのある人も多いだろう。

でも、そういう人は、みんな、ずっと「死にたい」と思い続けているだろうか。

きっと、そんなことはないだろう。

もしそうであれば、人口は半減しているはずだ。

 「死にたい」と思うくらい真剣に悩んだ出来事でも、それに付随する感情は、がんばって生きているうちに、次第に薄まってくる。

これは、きっと生物としてプログラムされている本能の一つだと思われる。

 つらい感情が薄まるだけでは「変わった」とは言えないが、がんばって生き続けることによって、その出来事そのものの価値が反転する場合もある。

 十二歳の小学生は、まだ「死にたい」と思えるような出来事にはぶつかっていないので、「テストで悪い点をとってしまい、つらい」とか「宿題をやらずに叱られる」という例で説明する。

 勉強をサボってテストで悪い点をとってしまった。知らぬ間に、ライバルだと思っていた友達に大きな差をつけられ、夜も眠れないほどくやしかった。

しかし、何とか気を取り直し、勉強に本気で打ち込むことにした。

半年後、成績が戻ったばかりか、勉強そのものが楽しくてしかたがなくなっていた。

あの時、夜も眠れないほどつらかった過去の出来事は、実は、自分を目覚めさせる「よい出来事」だったのだと後で気づいた。


 例えば、こんなことが起こったとしたら、過去は塗り替えることができたということになる。

人生経験豊かな大人なら、もっと沢山の例を挙げることができるだろう。過去は変えられるのである。

 では、未来は、どうだろうか。

 一般的には、「未来は不確定だから、これからがんばれば、未来は変えることができるのだ」と子どもに教える。

しかし、ここにはひとつ問題がある。それは、「これから」がいつからなのか、という問題である。

 例えば、前回、大失敗した漢字テストの再テストが一週間後に迫っている小学生。

今からテスト勉強をするという選択肢と、どうしてもやりたいゲームを先にやり、テスト勉強は明日に回すという選択肢があったとする。

 今日、漢字の勉強をすれば、翌日、その分の実力が身についた自分がそこにいるだろう。

しかし、勉強しなければ、翌日の自分は実力のない今日の自分と同じ姿のままだ。

今から何をするかで、翌日の自分の姿は、その時点で決定されてしまう。

今、勉強をするか、ゲームをするか、どちらかを選択した瞬間、未来は決まってしまうのだ。

 今日ゲームを選んでしまった子が、たとえ翌日、気持ちを切り替えて勉強に取り組んだとしても、達成する時がその分遅れる。

つまり、昨日「ゲームを選んだことによって生まれる、ある時点の未来」の結果は変えることができないというわけだ。

 それ以上に心配なのは、そういう子には「明日」はやってこないことが多いということだ。

 実は、「明日」というのは、永遠にやってこない。

誰もが明日のことを考えながら眠るが、目覚めた翌日は、実は「今日」であって「明日」ではない。

「今日はできそうにないけれど、明日になったらできそうだ」と考えるほとんどの子は、翌日になっても、その素晴らしい「明日」を迎えることができない。

なぜなら、「明日」を素晴らしくできるのは「今から始めよう」という自分の今の意志だけであり、明日になったら自分は変われるだろうと思うだけの人間には、ずっと、その「明日」は来ないからだ。

 今を一所懸命生きることで、悲しかった過去は違う意味を持って心の中に小さな花を咲かせる。

また、今、どんな選択をするかで、人生の果実を収穫する日が決まる。

今を大事にすることで、つらかった過去は意味を変え、素晴らしい未来が決定する。

つまり、過去は変えることができ、未来は変えることができない。

この話は、十二歳には少し早い。だから、この話を聞いたほとんどの子は、まだ、今日を変えようとはしないだろう。

しかし、この話を、十一歳から十四歳の間に心に植えておくことで、人生の大事な時期に大きく発芽するはずだ。

こうした人生の大事な時に発芽する種を、すぐに発芽し花を咲かせる「円の面積の出し方」と共に、子どもの心に植えておくことを、大人はいつも意識していなければならない。



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