脳の部屋 

 漢字テストの2回目をやりました。成績は芳しくありません。毎日、書き取りの宿題をしているにもかかわらず、です。100字書いてこいと言われて、ただ100字書いてくる子は、絶対に漢字など覚えられません。覚え方はいろいろありますが、まだ、教えません。ただ、脳の仕組みをこんなふうに考えると、やり方の工夫ができるかもしれません。脳の仕組みは複雑ですが、暗記については、こんなふうに考えたらどうでしょう。

 脳はたくさんの小さな箱でできています。何億個もあります。覚えたことは、一つ一つの箱に入って、それを忘れないように(それが流れ出ていかないように)蓋がされます。箱の中の知識が必要なときは、その蓋がノックされて開き、中の知識が顔を出します。「A君」と呼ばれて「はい」と返事をするのは、「自分はAだ」という箱の蓋と、「名前を呼ばれたらはいと返事をすると良い」という箱の蓋が開くのです。

 自分の名前は、みんな忘れません。名前の箱は、毎日使っているので、蓋の蝶番がさびないのです。「先月の今日」の夕食のメニューを思い出せる人は、そうはいません。蓋が閉まったまま、蝶番が錆びて開きにくくなっているのです。でも何年も前の誕生日の夕食を覚えている人はたくさんいます。大事な人に祝ってもらったその日は、思い出すたびに幸せな気分になるので、その後、何回もその箱の蓋を開けていて、蝶番が錆びないでいるのです。

 覚えた漢字の箱をすべて、毎日開けていては、いくら時間があっても足りません。かといって、放っておくと蝶番が錆び付きます。だから、蝶番が錆びない程度に時々箱を開けてやればよいのです。どのくらいの間隔をあけて、どんな方法で蓋を開ければ一番いいかは、人によって違います。ここからが、工夫のしどころです。

 発育盛りの脳の箱は毎日増えていくそうです。その日のうちに空いている箱を使い切って寝ると、眠っている間に「今日は脳の箱を使い切ったから、栄養を脳の箱を増やす方にまわそう」と、体が考えるようです。毎日がんばって勉強を続けている子の脳の箱の数と、何もしない子の箱の数はどんどん差が広がっていきます。(筋肉や神経も、脳の箱の数と同じですね)

 第3期を終えると(18〜21歳になると)、脳の箱は増えなくなります。それどころか、使わない箱は、知識が入っていても、消滅してしまうそうです。だから、がんばって勉強してたくさん覚えるチャンスは、あと6年しかないのです。

 お子さんには、「やり方はいくらでも相談に乗るよ。でも、何もしないで、ただ、わからないと言う人は、後回しだ。こんなふうにやってみたけど、うまくいかない、うまくいっているのかわからないという人から順にアドバイスする。」と言ってあります。1日でも早く始めた人が勝ちです。
 
 

 あと6年間頑張り続ければ、能力がぐんと伸びる。あと6年間しかチャンスは無い。・・・こんなふうに言い続けて2カ月。「やる気が出てきました」と言ってくれる子が増えてきました。やる気になったから、やり方をもっと教えてほしいと、休み時間に聞きに来たり、日記に自分の悩みを書いてくる子がたくさんいます。まだ“もどらなければいけない地点”が自分ではっきりつかめていない子もいますが、そんな子の中にも、こちらに意欲がしっかり伝わってくるという子はたくさんいます。

 このまま頑張ってくれればいいのですが、やっているうちに、「では、18歳以降はどうなってしまうのだ」という疑問を必ず持つようになります。「本当に18歳になったら脳の部屋は減っていくのか。子供よりばかな大人ってあんまり見たこと無いから、あれは、私たちを勉強させるための嘘ではないか」とか、「18歳から先の長い人生でどんどん頭が悪くなっていくのなら、今こんなに必死に勉強しても仕方がないのではないか」とか。

 悩む前に答えを言っておきましょう。そうすれば、この6年間の勉強の大切さがもっとよくわかってもらえるでしょう。

 18歳以降、脳の部屋が減っていくというのは、嘘でも脅かしでもありません。医学の専門家の論文を見るまでもなく、20歳以上の誰もが、自分のことを冷静に振り返れば、わかることだと思います。幼児、小学生、中学生のころに比べて、単純な暗記力は、ぐんと落ちているはずです。

 では、脳の部屋の減少とともに、頭は悪くなっていくのでしょうか。そんなことはありませんね。普通の小学生相手だったら、大抵の大人が自信を持って頭脳勝負を挑めるでしょう。脳の部屋が減っていくのに、さらに頭が良くなっていくのはどうしてでしょう。それは、脳の部屋と部屋をつなぐ廊下に秘密があります。

 「からすの色は何色ですか」という質問が耳から入ってきます。その質問は、脳の中の廊下を走り、「からすの色」という部屋の前に来てドアを急いでノックします。時々開かれるそのドアは、蝶番の具合も良く、さっと開いて、「黒」という言葉が、顔を出します。これが、基本的な脳の動きです。

「絵の具の黒と闇の黒では少し違う」「太陽が直接反射するとその部分は輝いて色もわからなくなる」「同じ人間でも、アジア、アフリカ、ヨーロッパでは、随分人の肌の色も違う」「世界の中には、まだ人に知られていない種類の動物がたくさんいるようだ」「いつか漫画で他の色のカラスを見たような気がする」・・・経験と学習を経て、脳の部屋は増えていきます。

 それぞれの部屋へ行く廊下は、目、耳、口などと直結しています。しかし、この部屋と廊下が増えていくと、廊下と廊下がクロスするようになり、交差点が生まれます。部屋が増えれば増えるほど廊下も増え、それにしたがって交差点も増えます。そして、脳の中は、記憶の部屋とそれを結ぶ連絡網で一杯になります。ホームページがインターネットで結ばれている絵を最近よく見かけますが、あの感じをイメージするとわかりやすいと思います。

 「カラスの絵に色を塗ろう」という情報が耳や目から入ってきます。部屋や廊下が少なくて発達していないと、その情報は、カラスの色の部屋に急いで行き、「黒」という答えを引き出して行動に移ります。黒い絵の具を出して、さっそく塗り始めるでしょう。

 しかし、初めに書いたように、「からす」「黒」「生き物の色」などの部屋がたくさんあって、その部屋に続く廊下が多くの交差点で結ばれていたらどうでしょう。一つの情報は、それぞれの分岐点で別れ、それぞれの部屋のドアを叩きに行きます。分岐点が多ければ多いほど、一つの情報は多くの部屋のドアを同時に叩けるのです。

 先ほど書いたような多くの情報のドアを同時に開けた人は、黒の絵の具でべたべたとカラスを塗ることはないでしょう。黒のつやについて考え、光の具合を考え、時には、そのカラスの個性を探し、絵を作り上げていくでしょう。幼稚園の子には描けない“大人の絵”ができあがるのです。
 

 交差点が昨日よりひとつ多くなっただけで、人生の問題を切り開く力は大きく変わってくると思います。仕事や職場を楽しくする工夫、仕事上の障害を乗り越える工夫、…問題を解くためのひらめきは、無数の廊下の交差点無くしては生まれません。

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