見て
今日、五時間目の後、シートを敷く練習をして、早くできるということがわかったので、明日の授業参観は、僕の大好きなからしをやることになった。家に帰って、お母さんに、
「明日の五時間目は体育で、からしというバスケに似たようなことをやるから、 絶対に来てよ。」
と話したら、お母さんは、
「じゃあ、明日何時くらいに行けばいいの。」
と驚いた言い方をした。ぼくが、
「2時ぐらいに来ればいい。」
と言ったら、
「じゃ、間に合うね。」
と言ったので、ぼくはうれしかった。
その夜、からしでの僕の経験やうれしかったことをいっぱいお母さんに話したら、
「じゃあ、絶対見に行くね。」
と言ったので、うれしかった。
B君もからしが大好きだと言っていたので、こんなふうにB君もお母さんに話しているかもしれないけれど、ぼくはB君のチームにも、お母さんの前で勝ちたい。そして、本当にからしがおもしろいことを伝えたい。
どんなに年をとっても、誰かに見ていてほしいという願いは、誰も変わらずに持ち続けるでしょう。人に見られていると緊張するという人は多いでしょうが、見ていてもらっているときは、緊張ではなく、やる気がわいてくるものです。
この日記を書いたA君のように、素直に「見て」と言える子はすてきですね。そう言わせているお母さんも、すてきです。
A君は、数日後、今度はお父さんとの会話を書いてきました。体育のサーキットトレーニングのタイムが悪いのでお父さんに相談して、助言された通りに頑張り続けたら、タイムが縮まったという日記でした。A君には、「見て」という素直な気持ちがあり、お父さん、お母さんには、A君を素直な気持ちにさせる力があるのだと思います。
次回の懇談会用に、お父さん、お母さんにアンケートを頼むのと同時に、子供たちのアンケートも取っています。「お父さん、お母さんに一言」という質問に、「お父さんへ:早く帰ってこい」というのがありました。「見て」という気持ちを表すサインです。