山を登っていく
細かいステップを少しずつ登っていくのは、心を育てるときばかりではありません。学習についても同じです。3,4年生の掛け算、割り算ができなければ、5,6年生の分数の計算はできません。1,2年生の繰り上がりのある足し算や繰り下がりのある引き算ができなければ、3,4年生の掛け算、割り算はできません。一歩ずつ確実に登ってこそ、能力が伸びるように学習のプログラムは作られているのです。
このプログラムに従って、ていねいに学習を進めていけば、どの子も確実に能力を伸ばすことができます。日本の教育システムは、世界のどこへ出しても自慢できるものなのです。ところが、実際に教室を見ると、自分は算数ができないのだとあきらめてしまっている子がいます。どうしてでしょう。
日本の教育には、たいへん良いところがたくさんありますが、まずいところもいくつかあります。その中の一つに、「6年生は、6年生のことができなければいけない、それができない子は頭が悪い」、という思い込みがあります。大人も子供も、みんなそう思い込んでいます。その結果、悲劇が生まれるのです。
3年生の学習の、割り算の仕組みが今一つすっきり分からなかった。でも、分からないということが友達に知れると、「頭が悪い」というレッテルを貼られてしまう。それで、ひやひやしながらも、何とかそれを隠し通して4年生になる。3年の割り算がすっきりしていないので、もちろん4年生の2桁の割り算は余計にわからない。
それでも、また何とか、ごまかしとおして5年生、6年生へと進む。そのころには、授業もさっぱりわからなくなって、算数が嫌いになるどころか、いつ自分が算数がわからなくなっているのが周りの人たちに知れるのかと、毎日ひやひやしどおしで、学校へ行くのがつらくなる。そのうち、何をやっても自信が持てなくなり、人生をあきらめてしまう。よくあるパターンです。
一度だけ勇気を出してさえいれば、こんなことにはならないのて。
昨年私が担任した4年生のA君とBさんは、2桁で割る割り算ができませんでした。3年生の時学習したはずの、1桁で割る割り算も、すらすらとできませんでした。でも、それを人に知られるのがいやで、計算テストがあると、必ず全問、答えを書いて提出しました。すべて、でたらめの答えでした。
できないのがいつ知れるかと、毎日ひやひやしているのは大変だろうから、早く自分から宣言してしまおうと説得して4カ月。A君とBさんは、「本当はわからなくてでたらめの答えを書いていた」と、みんなに告白しました。
A君とBさんは、それからは堂々と、3年生のドリルを持ってきて、みんなの前で練習するようになりました。宿題も、すらすらできるようになるまで、3年のドリルを使うことにしました。4年のドリルをみんなと同じように宿題に出されていたときには、うまくできなくてサボってしまうこともあった二人でしたが、3年生のドリルを宿題でやるようになってからは、勉強をサボらなくなりました。分からないところを友達に聞けるようにもなりました。自分の実力が全部知られているので、もう何もこわくないのです。
そうしているうちに、割り算のできない本当の原因が、3年生にあるのではなく、1年生にあることがわかりました。1年生で学習した繰り下がりのある引き算。できるにはできるのですが、とても時間がかかってしまうのです。割り算をするのには、繰り下がりのある引き算が必要です。二人は、引き算に手間取っているうちに、割り算のシステムや位取りがこんがらがってしまい、正しい答えを出すための集中力が途切れてしまっていたのです。
そこで私が1年生の先生から、引き算の計算カードを借りてきました。みんなでやってみると、算数ができるといつも言われている人は、さっと答えが出せることがわかりました。それで、二人は、1年生と同じ計算カードの練習を始めたのです。特にBさんは、家でも毎日がんばりました。
そして3学期。二人とも、4年生の割り算の計算テストで、楽々と満点を取れるようになりました。
二人は勇気を出して、できないことを告白しました。そして、1年生まで戻って、ていねいに登山道を踏み締めながら、算数の山を登り直しました。回りの友達は、彼らが「頭が悪い」のではなく、ちょっと遅れてくるから手を貸そうと、上からロープを差し出しました。その結果、二人は、たった半年で、3年分の山道をもう一度歩き直して、みんなに追いついたのです。
もし、ごまかしながら生きていたら、二人は未だに2年生位の実力のまま、けわしい5年生の道を冷や汗を流しながら歩いていたでしょう。
計算の実力チェックのテストをしてみましょう。自分の実力がはっきりわかったうえで、クラスの仲間を信じて、正直になれれば、算数は絶対できるようになります。
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