自分
全国の中学校で寂しい事件が起きています。評論家たちは「普通の子が“きれる”時代」などという表現を使っています。
相手が死ぬまでナイフで何度も刺してしまう、というのは、やはり異常です。きっとその子は、小さいころがき大将が作る縦社会を経験していないのでしょう。がき大将の作る縦社会は厳しいもので、無理なことをさせられる“掟”があったり、敵対するグループと一戦交えなければならなくなったりするのですが、そこは単純で非力な小学生のことですから、死に至るようなことはないので、その中で、どれだけやられたらどれだけ痛いかを覚えていきます。また、大将も代々受け継ぐものですから、いじめる程度も度を越さないように受け継がれているわけです。
また、事件を起こした子供たちは包丁などを使っていて怪我をしたことも無かったのでしょう。家の仕事を小学生のときにしていないのです。さらに、お年寄りと一緒に暮らしていない場合も多いのではないかと推測できます。自分の大事な人が死ぬという経験をしていないのです。
こうした面から考えれば、確かに“現代の子供”の事件と言えるかもしれません。
しかし、中学生の心が不安定だということを取り上げれば、それは今に始まったことではないでしょう。お父さん、お母さんが中学生のころ、おじいさん、おばあさんが同じ年代だったころ、いつだってこの年代は不安定です。第2次性徴期を迎え、ホルモンのバランスが不安定になり、脳が大きく変わろうとしているのですから、心が不安定になるのはあたりまえです。
心の揺れ幅に個人差こそあれ、誰もみんなこの時期は、人生の中で最大限に心を揺らしていたはずです。“悪(わる)”だったわけではないけれど、イライラしたり、今思えば恥ずかしいことを考えてみたり、やってしまったり、自己反省を伴って思い出してみれば、今の子供たちと大差はないはずです。思い出を美化しさえしなければ(人間の心は自殺防止のために、思い出を自然に美化するように設定されているみたいですが)、何か事が起こったとき「どうしてうちの子が・・・」なんて言わなくてすむはずです。
イライラする一番の原因は、自分が何者かわからなくなってしまうことです。自分はこんな人間なのだろうか。自分はいったい何を目指して何をすればいいのか。自分は周りの人間にとってどんな存在なのか。自分を必要としている人はこの世にいるのか・・・。国の変革期には人々の生活が不安定になり、国のアイデンティティーを見失っていくように、脳の変革期にいる中学生は、自分のアイデンティティーに確信を持てなくなっていくのです。
こんな不安定な“症状”には、二つの処方が必要です。
心のネットワーク
処方の一つ目は、心のネットワークを持つことです。ネットワークの一つ目は友達とのネットワークです。これは、これまでに何度も言っているように、友達と手をつないでトイレに行くことではありません。自分が生きていることが、だれかの役に立っている、誰かが自分の活動を待っていてくれる(「自分を待っていてくれる」ではありません。)、という実感を持つことです。
ただ友達からの助けを待っているだけでは、これは実感できません。頭の中で、人の役に立ちたいと考えているだけの子も、実感できません。友達に対して、「見る、読む、動く」がしっかりできている子だけが、これを実感できるのです。
二つ目のネットワークは、家族の中の心のネットワークです。家族の一員であるという自負を持っているかどうかで、ネットワークの強さが決まります。これも、これまで言ってきたように、旅館に泊まっている客のような生活を、家でしている子は、だめです。微力ではあるけれど、自分のやっていることが家族のためになっている。きっと家族のみんなは、自分の活動を(「自分を」ではありません)認めてくれている。こんな実感を持てるような家での仕事を経験してきた子は、家族との心のネットワークをしっかり持てるでしょう。
最近の新聞記事は、犯罪のことばかりです。しかも、私たちの年代に近い人が多いです。以前は、まだ遠い県だから大丈夫だと思っていましたが、今は、もし自分が、という心配が強くなってきています。私がこれほど心配なのですから、親はもっと心配していると思います。その心配をやわらげるために、毎日の出来事を家族で話したり、帰宅時刻をしっかり決めて守っていきたいと思います。
子供たちが実際に家でどんなに頑張っているかわかりませんが(しっかりやっていると信じていますが)、学校での彼らの活動を見ている限りでは、このクラスの28人は、きっと大丈夫です。1年間、彼らは本当に頑張ってきました。懇談会でも申しましたが、友達のために見て、読んで、動き、そして祈るという点では、この28人は、今まで担任した中の最高のチームです。今まで担任してきた子たちに恨まれそうですが、その子たちの前でも、これは撤回しません。
今、まだ、友達について悩んだり、中学への不安を持っている子は何人もいます。でも、心配する必要はありません。2カ月後、たとえ別れ別れになっても、このチームにいた、そして、自分は友達のために心の底から一所懸命考え、動いた、という記憶が、この子たちを支えるでしょう。自分は友達の笑顔のために頑張れるのだという自信が、心のネットワークの礎となるのです。
問題は二つ目の処方です。
地球上の動物は、「食べる、眠る、増殖する」を最高の快楽として生きています。人間も例外ではありません。しかし、人間には、あと二つの快感の元を持っています。一つは、自分のしたことで誰かが喜んでくれたという時の快感。もう一つが、自分が進歩したときの快感です。実は、この二つが、不安定な中学生生活を乗り切るために大切なことなのです。
一つ目の快感は、自ら心のネットワークを作ろうと活動することで(「作ろうと思う」ことではありません。)得られ、得られた快感は、さらに心のネットワークを広げていく上でのエネルギーになります。
二つ目の快感は、勉強ということを正しくとらえ、それを実践したときに得られます。得られた快感は、心のネットワークに活用することで、生きていく勇気の元になります。
中学生は、そのままでは、社会の人の役には立たないし、生活費も稼げないので、それができるようになるために勉強します。だからいやなものでも、無理をして勉強しなければなりません。
これは、間違いではありません。中学生の勉強の基本的考えであると思います。しかし、勉強するというのは、本当は、もっと楽しく、快感を伴うものです。奴隷の労働とは違うのです。それを理解し中学校生活に入れば、二つ目の処方もOKです。
Aさんは、あることを考えたときに、脳の違う蓋が開いたことを感じました。脳細胞のつながりができたことを実感したのです。脳の発達というのは、最終的には、脳細胞と脳細胞がいかに複雑につながるかということです。ほかの脳の蓋が開いたことが楽しいと感じたAさんは、これからしばらく一所懸命勉強する中で、他の脳の蓋が開く実感を重ねていけば、中学校の勉強が楽しくてたまらなくなるはずです。
B君は、もっといい方法はないかと工夫を重ねてきました。そして、頑張れば、脳はそれに応えてくれるということを実感しています。その証拠に、今のやり方でもまだだめだ、もっとよい方法があるはずだ、探してみたいという意欲を持っています。
脳は、地球上のどんな秘境よりも、未知のものがいっぱい詰まった黄金郷です。探検すればするほど、宝の山に出会うことができます。未知の領域という意味では、宇宙に匹敵するのです。頑張りさえすれば、もっともっといろいろなアイデアが出てくる。こんな快感を一度味わってしまえば、勉強を「奴隷の労働」だと思うことはなくなります。
目的
二つの処方を完全に行ったとしても、心の不安定さを完全に消すことはできないでしょう。やはりイライラし、どうしていいか分からない自分を持て余しそうになるという心理状態は必ずやってきます。しかし、心のネットワーク作りが楽しくて、勉強が楽しければ、イライラや不安感を、暴力とか逃避に使う暇はなくなってしまうでしょう。
さて、勉強の方ですが、自分がつきたい職業、自分の進路がはっきりしなくても、勉強によって自分が進歩する快感を得られれば、勉強に夢中になれます。しかし、自分のやりたいことがぼんやりとでも見えていれば、さらにやる気はわいてきます。
サッカーを続けたい。一流になるためには、外国に行ったり、外国人の監督の元で自分をアピールしなくてはならない。英語とポルトガル語くらいは、しっかり勉強しなくちゃ。
大工になりたいんだけど、設計もするとなると、計算が全然できないんじゃまずいよね。ゆくゆくは、棟梁として人を使っていきたいから、お金のこともしっかり管理できるようにならなくちゃ。
世界一のシェフになりたい。外国語だけでなく、世界のどこで何が取れるか、人間がどんなものを食べてきたか、地理や歴史は完璧にしとかなくちゃ。
遠い夢は、今日やることを教えてくれます。
ただ、ひとつだけ気をつけなければいけないのは、「苦しいけれど、夢のためにがんばる」という気持ちにならないことです。夢の実現のために苦しむのではなくて、これをやると夢に一歩近づけるんだ、とわくわくすることが大切です。
確かに、夢を実現するためには、歯を食いしばって苦しみを乗り越えなければいけないことも出てきます。しかし、それはまだ先の話でいいのです。18歳までは、一所懸命にやりさえすれば、必ず人間は進歩します。進歩の度合いが幼いころよりは遅くなっているということさえ自覚できれば、18歳までは、けして進歩が止まって挫折することはありません。あと6年間は、一所懸命に取り組んで、「こんなこともできるようになった。また夢に一歩近づいた。」と能天気なほどに自分をほめてやればいいでしょう。
夏休みの自由研究のノートを、卒業前にお子さんと一緒にもう一度開いてみてください。夢は半年前のままですか。それとも180度変わっていますか。変わっていてもいいし、半年前ははっきりしてたのに、今は暗中模索状態、というのでもいいでしょう。自分はどうしたいのだろうと考えることで、何かとりあえず夢中になってやっておかなければ、という気持ちになるでしょうから。
持ち物検査
持ち物検査を1週間続けてしました。バタフライナイフを持っているか調べたのではありません。ハンカチをきちんと持っているかどうか調べました。ハンカチを調べたのは、風邪の流行に対しての自覚を調べるためです。
風邪の予防には、いろいろなことに気をつけなければいけませんが、学校で実行できるものと言えば、教室の換気に、うがい手洗いくらいです。このうち、うがい手洗いは、個人の自覚の仕方によって効果が大きく変わってきます。まめにやるかどうか、それ以前に、本当にやる気があるかどうかが問題です。こまめにやっていれば、必然的にハンカチは必要です。それも、複数。もちろん、菌が体に侵入するのを防ぐためですから、清潔な物に限ります。
1年生のころは、なぜハンカチを持っていないことがそれほど重要視扱いされるのか、など考えもしなかったでしょう。「ハンカチというのは、必ず持っていなければいけない。ハンカチをきちんと持っている子は良い子である。ハンカチを持っていないと叱られる。」こんな理由で頑張ったり、困ったりしていたはずです。
歯が生え変わるころ、第1次の変身の前後であるあの年代には、こういうやり方で躾けるのが正しいやり方だと思います。大人が理由をきちんと説明してやるのは大切ですが、その理由を動機として、あの年代の子が自分の行動を100%決定できるということはありません。まだ、大人が口うるさく言ってでも守ってやらなければいけない年代なのです。この年代の脳に対して、「自分の考えで」とか、「自分の責任で」といういかにも“教育的”な言葉で、子どもにすべてを判断させるのは、大人の責任の放棄です。
しかし、第2次の変身期を迎えた今のお子さんには、少しずつ、理由を考えさせ、それを行動の動機とさせていかなければなりません。それをしないで、6年前と同じように「ハンカチを持ったの?」と繰り返していては、お子さんは、いつまでも一人で歩くことはできないと思います。一般に過保護と呼ばれているのがこれに当たります。
第1次変身の頃から、すでに「自分の責任で」と、放任されてきた子は、6年生になっても、結局、基本的な生活習慣と言われるもののいくつかが欠落してしまっています。逆に、いつまでも過保護のまま第2次変身期を過ぎてしまうと、ナイフやポケットゲームを学校に持って行くことに対する判断が自分でできない人間になります。
保護しなければならない時期は、いくら世間から過保護と呼ばれても、徹底的に大人が保護してやらなければいけません。逆に独立していく時期には脳の成長に合わせて、独り立ちの準備をさせなければいけません。ライオンや狼の親は、そのタイミングがよく分かっていると言われます。
自分で判断させるかどうかは、ものによってタイミングも違うでしょうが、ハンカチは、もう、「持っていると良い子」から、「持つことで自分を守れる」にレベルアップさせたいですね。洗った新しいものを持っていれば○。持っていても昨日のままの物は△。持っていない子は×。お子さんは、このことをお家で話したでしょうか。結果はご存じですか。