やさしさ(2)

名のない花

 校長室に呼ばれました。「こんなものがあったよ」と言う教頭先生の指さす方を見ると、小さな瓶にかわいい花が飾ってありました。「校長室に花がないようなので置いていきます。かわいがってやってください。」というような内容の手紙が添えられています。6年2組の“仕業”です。

 先月、毎日、班毎に校長先生と会食をしました。「6年生のみんなとゆっくり話がしてみたい。」という校長先生からの提案で、1組から順に、校長先生と6年生全員が会食するという企画です。子供たちの感想を聞くと、「緊張した。でも面白かった」が圧倒的でした。この花を置いた子は、緊張した中にも、部屋に花のないのを「見つけ」、校長先生も花があった方がいいのではないかと考え(「読み」)、すぐに行動に移したのでしょう。本当にうれしいことです。

 さらに感激したのは、その手紙には、本人の名前がなかったことです。こうした時から自己主張しないから、日本人は大切なときにも自己主張できないだとか、匿名の癖をつけてはいけないとかいう意見もあるでしょう。日本古来の美徳を大切にというつもりはありませんが、この手紙に名前を書かなかったこの子は、かっこいいと私は思いました。

 人間は生きていくのに、多くの人の世話になります。いままでお世話になった人、良い影響を受けた人の顔、名前を思い出せばきりがありません。しかし、お世話になった人は、思い出せる人ばかりではありません。人生の中で一瞬すれ違っただけの人の中にも、その人のお陰で今の自分があるという出来事は、たくさんあるのではないでしょうか。また、自分を救ってくれた誰かの親切を、一生気づかないということも、たくさんあるのではないでしょうか。

 6年生は今、1年生の面倒を一所懸命見ています。時には、うまくいかなくて四苦八苦する場面もあるようです。そんな時、参考にするのは、5年前、自分が6年生にしてもらった行為です。どんなことをしてもらった時うれしかったか、と(意図的にしろ、無意識のうちにしろ)思い出して今の1年生と付き合っているのです。

 自分をかわいがってくれた5年前の6年生の名前と顔をしっかり思い出せる子は少ないでしょう。しかし、やさしくしてもらった行為と自分が感じたうれしさは、今もしっかり生きていて受け継がれています。5年後、今の1年生が6年生になった時、今の6年生の優しさが、新しい6年生の行為の中によみがえるのです。そして、それは、さらに5年後、またさらに5年後と、ずっとずっと生きていきます。

 自己主張は大切なことでしょう。匿名もいけない場合が多いでしょう。でも、今回のような行為を自分がしていくことで、自分もこういう「名前のない花」に支えられていることを、子供たちも、ぜひ気づいてほしいと願っています。

 校長室に花を置いたのがAさんだということを、クラスのほとんどの子は知っていました。みんなAさんをしっかり「見て」いました。嬉しいです。

見えない人

 どこへ行ってもほめられます。「6年2組の子は、やさしいね。まじめに活動するね。」やさしい、人のためにがんばる、まじめにやりとげようとする、という点で、私もこのクラスのほとんどの子を、同じ人間として尊敬しています。

 土曜日の下校の際、1年生が水門の横の穴に、ふさいであった鉄板と共に落ちたのを目撃した男子5人は、すぐに1年生を助け上げると同時に、学校へ連絡に走ったり、鉄板を元に戻す方法を考えたりと迅速な行動をしました。

  卒業記念の花壇工事に先立っての花の植え替えでは、2時間以上も寒い風の吹く中、プランターを洗いました。体育館の美術展の準備では、だれに頼まれたのでもないのに、他の学年の先生の手助けに走り回りました。

 最近の彼らの行動一つ一つが、やさしさとやる気に満ちています。

 「やさしい人になってほしい」この願いは、これで50%達成しました。あと残り50%は、「見えない人」に対する優しさを持つことです。目の前にいる下級生、困っている人に対しての心くばりや援助のための迅速な行動はもう満点です。でも、その場では「見えない人」に対しては、もう一つランクアップが必要だと思います。

 他のクラスが授業中、廊下を移動するとき、おしゃべりをやめれば、その教室の人は授業に集中できる。トイレから出るときにスリッパをそろえて出れば、次の人がもし“緊急”でも、間に合う確立が高まる。夕暮れ時、まだ明るいうちからライトをつければ、周りの人やドライバーが気づきやすい。公共物を大事に使えば、次に使う人も気持ちがいい。部屋を出るときに明かりをきちんと消していけば、電気代も安上がりになるし、二酸化炭素の排出量も減り、だれかがその分長生きする。・・・

 目の前にいる人ではないけれど、自分が考えて行動することが必ずだれかの幸せにつながるという気持ちで過ごせれば、優しさは完成します。

 彼らにはぜひこういう人になってほしいのですが、少し間違えてとらえると、こんなふうになりかねません。

 廊下は静かに歩かねばならない。トイレのスリッパは必ずそろえなければならない。自転車のライトは忘れてはならない。公共物はそっと扱わねばならない。・・・こんなふうに何でもかんでも「〜しなければならない。」と自分を縛り付けていけば、揚げ句はスケールの小さなおどおどした人間になってしまいます。
 これでは、いくら周りの人の為に頑張っても、自分自身が幸せにはなれないでしょう。

 こうすれば、あの人を幸せにできる。こうすれば、誰かの役に立つ。こんなふうにいつでも能動的に自分の行動を考え、優しさを追求していくことが、優しさで、周りの人も自分も幸せにできるこつなのです。

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