「普通」になったら、身に付いている

 朝、学校に行くと、始業前に多くの子が運動場を走っています。

6年生は、200mトラックを5周くらい走るようです。

特に、「走りなさい」という決まりや、それを推奨する先生もいないようですが、子ども達は毎朝、元気に走っています。

 運動が苦手そうな男の子に、「毎朝、大変でしょう」と訊いてみました。

すると、「これ、普通のことだから、大変だと思ったことはありません」という返事です。

他の子たちも、概ね同様の返事でした。

 この習慣が始まった当初は、先生方が声をかけ、走るのが嫌だと思った子も走らされていたのではないかと想像します。

でも、みんなが「普通です」と言えてしまうほど、それが当たり前の生活になるまで続けると、それは完全に身に付いたものになります。

 習慣化するまで続ける。これが、能力を身につける唯一の方法かもしれません。

 食事の後の家族の団らん。

 毎晩テレビがついていれば、テレビを見ることが「普通」になります。

テレビを消して、みんなでおしゃべりしたり、読書をしたりすれば、テレビのない生活が子どもにとって「普通」になります。

 厳しい言い方になってしまいますが、親のしていることが、子どもの「普通」になるのです。

 私は、ピアノが弾けるようになりたいと若い頃から思っていましたが、思う通りにはなりませんでした。

ですから、娘と息子には、ピアノの弾ける人になってほしいと思っていました。

それで、子どもが生まれてからは、私も時々、弾けないのにピアノの前に座って見ました。

 自分は若い頃、あまり本を読まなかったけれど、自分の子は本好きになってほしいと願っているお父さん、お母さんもいるかもしれません。

 もし、自分はできなかった(なれなかった)けれど、娘や息子にはこうなってほしいという願いがあるのでしたら、子どもが3才から13才までの10年間、お父さん、お母さん、「理想の生活」を演じてみませんか。

読者の方の感想********************

普通って大事ですね。確かに思い当ります。

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