小さな出来事の中に 広さのわかる一言
先日、社会科見学に出かけました。隣町の「登呂遺跡」などを見に、6年生全員で、バスを借りて出かけました。
人数の関係で、バスは大型と中型の2台。隣りのクラスは全員が大型に、私のクラスは2台に分乗で、私は中型の方に乗りました。
当日は、あいにくの雨。全国ニュースでも昼近くのゲリラ豪雨の様子が放映されたそうです。
学校に戻ると、隣りのクラスの先生が、「こうじ先生のクラスのA君、とっても素敵でした」と教えてくれました。
バスに乗る際、他の子は、自分が濡れないように、少しでも早くバスに乗り込むのに必死で、口をついて出る言葉は「前の人、早く乗って」というようなことばかり。
ところが、その中でA君だけが、いつも運転手さんに、「お願いします」と爽やかなあいさつをしたとのことです。
隣りのクラスの先生は、A君はきちんと挨拶ができました、と私に教えてくれたのではありません。
他の子が自分の事しか考えていないのに、A君はもっと広いものを見ていた、と教えてくれたのです。
こんなふうに教えてくれたのは、私と隣のクラスの先生が「視野が広がったことを成長した、と考えよう」という共通認識をもって指導に当たっているからです。
A君は野球が大好きで、少年団などでも挨拶の大切さを教わっているでしょうから、彼は自然に、挨拶をしただけなのかもしれません。
しかし、親や指導者が、「この子(たち)が、こうなったら素敵だな」というビジョンを持ち、さらにそれが、夫婦や指導者チームで共通理解されていれば、挨拶をしたという、こんな何気ない行為でも、とても大きな意味を持ちます。
親や指導者が、そこに喜びを覚えれば、その「気」も子どもに伝わり、子育て、教育も豊かになると思います。
挨拶をするのは当然のことですから、当然のことができるようにしたい、と考えていると、挨拶できた子よりも、できなかった子に目が向いてしまいます。
「視野の広がり=成長」のような、ごくシンプルなことでいいので、夫婦や指導チームで決めて、お子さんの何気ない行為の中から、成長を喜んでほしいと思います。
読者の方からのお便り****************
「視野を広げる」大人も忘れがちですね。
「出来ないこと」ではなく「出来るようになったこと」をたくさん気づいてあげられるようになりたいです。
漢字をたくさん覚えなきゃ、九九がまだ覚えられてない、せっかく辞典買ったのに見てないじゃない! …などなどつい要求だらけになってしまっていました。
タッチが出来た!アンヨが出来た!と、赤ちゃんの時は何をしても褒めていたはずなんですけどね(笑)
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