行儀よい靴
普通にちゃんとできていれば、それだけで「よい子」だと思われる所作です。
お子さんができているか、こっそり見てください。
○靴箱に靴をそろえて置く。
朝、職員室から教室に行く前に靴箱を経由していく担任はたくさんいます。
今日は全員元気にそろっているかどうか、一目で確かめられるからです。
毎日見ているので、靴を見ただけで、その子の中味まで見えるような気がしてきます。
毎日きちんと靴がそろえられている子は、躾がしっかりできていると感じます。
たとえば、そういう子の靴が、ある日突然乱れたりしていると、今朝は家でお母さんと喧嘩でもしてきたのかな、と思い、教室に行った時、真っ先にその子を見ます。
もしかしたら、誰かと喧嘩していて、その相手に靴を乱されたのか、いじめられているのか、などという心配もします。
日頃から靴の置き方が乱れている子では、そういうことを想像できません。
靴箱のみならず、トイレで履き替えるスリッパを、使用後しっかりそろえている子は、さらに高い評価をされます。
こういう子は、スリッパをそろえるという所作を無意識のうちに続けるうちに、「次の人のために」というやさしい心が自然に生まれることがわかっているからです。
小さい頃覚えた所作は一生身につき、その所作が心を育てることも、とても多いのです。
私の勤める学校も、トイレのスリッパはなかなかそろえられませんでした。
でも、その年は、教室の前のトイレのスリッパが、放課後だけはきれいにそろっていました。
ある子が、帰りに必ずトイレをのぞき、そろえて帰ったからです。
みんなで使うものを大事にする。
他の人のためにできることをする。
こんな当たり前のことができるだけで、本当によい子に思えるのです。
家の玄関で口うるさく言う。
いっしょに出かけた時には手本を見せ、場面によって靴の脱ぎ方を教える。
子どもに煙たがられることも多いかもしれませんが、その子の未来のために必要なことをするのが大人の役目です。
○ いただきます、ごちそうさまと自然に言う。
「いただきます」という言葉が身についている子は、感謝の気持ちを持っている、または、いずれ自然に持つことができる子です。
日本人でいる限り、夢を叶えるには、まわりの人の力が絶対必要です。
感謝できる子には、たくさんの人が集まります。
○ ご飯粒を残さず食べる。
小さい子にとって、ご飯粒を残さず食べるのは、とてもむずかしいことです。
でも、日頃からうるさく言われていると、給食でもきれいに食べられます。
これができると、周りの子より、大人に見えます。
○ こぼしたら、さっと片付ける。
これで、家庭で一人前に扱われているのがわかります。
自分で後始末ができる子は、友達を助けることもできます。
家で赤ちゃん扱いされ、家庭でいつもこぼしたものを拾ってもらっている子は、学校で、こういう事態に陥ると、自分のことで精一杯です。
○ 食器を音を立てずに置く。
ものを大事に扱う所作は、やさしい心を作ります。
以前、食事の時くらいうるさく言いたくない、というお母さんに出会ったことがあります。
それはそれでいいのですが、食事以外のどこでうるさく言うか、は、しっかり決めましょう。
昔うるさく言われたことが身についていることで、得したことはありませんか。
うるさく言って嫌がられるのも、大人の役目のひとつです。
○ ハンカチで手を拭く。
一年中、中でも冬は特に、手洗いうがいを、小学校ではうるさく言います。
廊下が水に濡れるのもお構いなしに、濡れた手を振る子が多い中、きちんとハンカチで手を拭く習慣が身についている子は、本当によい子に見えます。
○ 靴をしっかり履く
かかとを踏んでいる子と、しっかり履いている子が並んだ時、よい子らしさが歴然とします。
また、かかとを踏むと靴が早く傷みます。
買ってもらったものを大事に使う子はよい子です。
かかとを踏む子には、「親不孝者」とよく子どもを叱ります。
さらに、かかとを踏むサンダル履き歩きは、歩く姿勢が悪くなります。
歩く時に無駄な力を使うので、格好脚が良く伸びません。きちんと靴を履いている子は、颯爽と歩けます。
颯爽と歩く人間は、自然に胸に希望を抱くことができます。
○ 服を上手にたたむ
体育にでかけたあとの教室を見ると、一人一人の顔が思い浮かぶほど、いろいろな「形」の服が置いてあります。
靴箱の靴以上に、個人差は大きいと思います。
また、体育が終わった後の体操着袋や、給食当番の白衣を入れた袋のふくらみ方で、しっかりたためる子かどうかもわかります。
綺麗に畳むのが身についている子は、意外にも、畳めない子より早く行動できます。
細かいことのように思えるでしょうが、ひとつひとつの所作が、人の心を作っていくような気がします。