米ひとつぶ
給食の片づけを見ていて、ご飯を一粒も残さない子と、赤ちゃんが食べ散らかしたようにご飯粒がたくさん残っている子がいることに気づきました。
一粒も残さずに、きれいに食べることができる子どもを見ると、いろいろなことが考えられます。
この子の両親は、ご自分の人生に自信と誇りを持って、子どもを躾けているのだろう。
この子は、両親の言うことを素直に受け取れているのだろう。
両親からいただく食べ物を粗末にしないということが、この子の心の中に根付いているのだろう。
もしかしたら、この世界の多くの子どもたちが実は貧困であることを、両親から教わって、きちんと理解しているのかもしれない。
いつも食事の片付けを見たり手伝ったりしているのだろう。
それで、ご飯粒を残さないことの大事さに気づいたのかもしれない。
こんなふうに、片付けられていく食器を見ながら思うのですが、ひとつ確かなのは、ご飯を一粒も残さずに食べられる子は、もう精神的に一人前の人間になっていることが多いことです。
残った米粒、汚れた食器を、自分以外の誰かが「自動的に」片付けてくれる、くらいに考えている、いえ、それさえ考えられない子どもも教室にはいます。
自分の周りの事が「自動」で動くのではなく、誰かがやってくれていると知った時、子どもは独り立ちの一歩を歩み出します。
独り立ちしない子は、他人に思いやりの心を持てないまま、大人になってしまいます。
今回、これを読んで、米ひとつぶで大げさなことを、と思われる方もいらっしゃるでしょうが、同質(年齢、環境…)の人間(子ども)が大勢集まる場所(教室)では、こういう細かいところから、いろいろな事が見えてくることが多いのです。