仕組みを見せる
お手伝い、家の仕事をする、ことには、他にも大事な意味があります。
例えば、「仕組みを知る」ということです。
世界中がうらやむ便利な生活をしている日本人。
この時代に生まれた子供たちは、身の回りにあるものが、何からどんなふうにできあがっているのか、どんな仕組みで成り立っているのかを知る機会がありません。
子どもたちにいちばん身近なおもちゃは、今、ブラックボックスの中に大人の作ったルールが埋め込まれている「ビデオゲーム」が主流です。
楽しく「遊ばされ」ますが、その機械の中身も、なぜ、そのルールがあるかという仕組みもわからないままです。
私の親の世代は、自分でおもちゃを作りました。
だから、おもちゃの仕組み、すべてを知っていました。
私が子供の頃は、おもちゃのすべてを作る必要はありませんでしたが、それでも、ブラックボックスではなかったので、分解して仕組みを知ったり、改良する余地がありました。
自分が大人になって、その経験は人生に十分に生きていると感じます。
こんなことを思うと、今の子どもたちは、私たちが思っているより、はるかに多くのことの「仕組み」を知らずに生きています。
例えば食べ物はどうでしょう。
「和食」は日本の誇る文化の一つですが、子どもたちは「だし」が料理の味を左右していることを知っているでしょうか。
毎日、料理の手伝いをしている子は、十分にそのことを理解しているでしょう。
でも、そうでない子は、だしの存在もしらないのではないでしょうか。
いっしょに台所に立つことで、子どもたちは数えきれない発見をするでしょう。
ご飯の元は稲であることは、学校で教えます。
でも、パン、豆腐、醤油…、普通に食べている食材の元を、みんな知っているでしょうか。
それを知るだけでも、知識や心は豊かになります。
牛肉は牛、豚肉は豚…は当然ですが、牛や豚をさばいている所を見ることは難しいでしょう。
鶏をさばくところも多分、多くの子が見たことがないでしょうから、知識では知っていても、元の姿とパックの中に並べられた肉とは、子どもの中で、本当にはつながっていないのかもしれません。
もしかしたら、魚をさばいているのも見たことのない子が多いかもしれません。
スーパーマーケットでは難しいでしょうが、肉屋さん、魚屋さんにいっしょに買い物に行くことで、子どもが気づくことはたくさんあると思います。
私が子供の頃は、お風呂を薪で焚いていました。
でも、今のお風呂の多くは、蛇口からお湯が出たり、スイッチを押すだけでお湯が熱くなります。
もしかしたら、水がお湯に変わるところを見たことのない子がいるかもしれません。
炎を間近に見たこともないかもしれません。
家の大掃除や修繕は、お子さんといっしょにやりますか。
畳の張り替えは、さすがにプロにお任せしたいところですが、子どもたちは、畳の下がどうなっているかとか、障子、襖、壁紙を張り替えることができたり、壁を塗り替えたりできるといったようなことを知っているでしょうか。
また、最も重要だと思えるのが、「人の仕組み」です。家庭でも学校でも、必ず、人が動いて物事が運ばれていくのですが、子どもたちの意識の中には、それが希薄な部分があります。
身近で起こる様々なことが、オートマチックで進んでいるような、神様が用意してくれたような意識でいることは多いものです。
食事を用意しているのは誰かは、子どもたちもわかっていますが、居間や玄関がいつもきれいなのは、誰がいつ掃除しているか、ということに気づいていないことがあります。
いろいろな家事をちょっとだけ経験するだけでも、「家族の役割の仕組み」に気づくことができます。
初めてやることは失敗も多いでしょう。
うまくできても失敗しても、経験することで、お子さんは「仕組みを知る」ことができるのです。
「こんなことを手伝わせたら、こんなことを知らなかったことがわかった」というようなお便りを楽しみに待っています。