一人で始める
台風の翌朝、学校へ行くと、早く登校した6年生が、校門近くを掃除していました。
そのうちに、6年生が次々に外に出てきて、全員で、学校の周りに散らかった落ち葉などを片付けました。
今年の6年生も、こうして、働くことは苦にしません。
それどころか、楽しそうに働くので、見ているこちらも、とても心が洗われます。
ここで、手放しで褒めまくってもいいのですが、欲の深い私は、さらに次の要求をします。
「みんな、学校や小さな子のために、一所懸命働いて、とてもいい。
でも、よく見ると、2種類の人がいる。
ひとつは、自分で仕事を見つけて、どんどん始める、もしくは、自分の決めた仕事を一人で黙々とやりとげようとしていた人。
もうひとつは、みんながやっている場所に何となく行って、何となく、その仕事をしていた人。
みんな前者のようになってほしい。」
鰯のような弱い生き物は、群れの動きに従うことで、自分の命を守ることができます。
でも、人間は、それだけでは、夢を叶えることも、自分の人生を豊かにすることもできないと、私は思います。
一人でも始める。
自分の仕事に責任を持つ。
こういう気概や能力があってこそ、自分の決めた道を歩き、より多くの周りの人を幸せにできるのだと思います。
一人でできるために必要なのは、「心」だと思われがちですが、実は、心よりも大事なものがあります。
それは、経験です。
今回の台風の後片付けも、家でいつも掃除をしている子は、「何をすればいいのか」という判断力と、「どうすればいいのか」という知識があるので、一人でどんどん仕事を始められます。
でも、家で習慣的に掃除をしていないと、「やろう」という気持ちにあふれていても、一人では始められないし、その場所を一人で責任を持ってやりとげることができません。
もし、「学校で勉強する内容と同じことを教えてくれるだけの塾」に行くのだったら、その分の時間、家事の手伝いをひとつ増やした方が、お子さんの能力は伸びます。
人生の師は、学校や塾の先生ではなく、やはりお父さんとお母さんなのです。
「人と一緒にやる」ことが、悪いわけではありません。
「何となく人について行って、何となく同じ仕事をする」ばかりでは困りますが、「その人一人では大変だから手を貸そう」、「この仕事はやったことがないから、教わりながらやってみよう」と自分の意志で手伝うことは、とてもいいことです。
それどころか、周りの人と応援し合えることは、夢を叶えるために、とても重要なことです。