終わりを決める力
朝、教室に行くと、ごみが落ちていたり、机の整頓ができていなかったりしたので、部屋を綺麗にするように子ども達に言いました。
全員が、さっと席を立ち、箒や雑巾を手にして、掃除を始めました。
この子達は、本当によく働きます。
私も、自分の机の周りを整頓して、ふと顔をあげると、他の子はまだ右往左往しているのに、AさんとB君が席に戻っています。
Aさんは授業の準備を始め、B君は、本を読んでいます。
二人とも大きくなったなあ、と少し感動しました。
二人は、そうじをさぼったのではありません。
二人は、そうじをしっかりやって、「ここで、もう終わりにしてもいい」と自分で判断したのです。
これは実はとても難しいことです。
そうじはこのくらいでいいでしょう、と先生が言ってくれるまで掃除をがんばるのとは違います。
そもそも教室が完璧に綺麗になることはあり得ません。
よく考えれば、世の中のほとんどのことは、やっている本人が終わりと決めるまで、終わりはないのです。
それを終わりだと「決める」ということは、それに責任を持つということです。
掃除を終わったことに対して、先生から「よくできました」とほめられるのもしれないし、「まだ足りません」と叱られるかもしれません。
もし、先生が「もう、ここで終わりにしましょう」と言ってくれて、それに従えば、そんな心配はいりません。
自分で終わりを決めたということは、ほめられても叱られても、それを自分の責任として受け止めるということなのです。
よく自分のしたことに責任を持ちなさい、と言いますが、そう言うだけでは、この力は育ちません。
こうした、小さな、「自分で決める」を積み重ねて、責任という言葉が心に育っていくのだと思います。
子どもは、何度も判断を失敗します。
失敗した判断の結果を責めては、子どもは自分で判断をしなくなります。
結果はまずかったとしても、子どもが自分で判断した場合は、判断をしたことそのものは褒めてください。
その判断が失敗なら、どうして失敗したのか、どうすれば成功に近づけるかを、教えたり、いっしょに考えたりしてやってください。
教室では、予め、子ども達に、「自分で判断したことなら、それが失敗でも叱らない」と言ってあります。
さらに、「ここで終わる」という判断力を伸ばすには、家のお手伝いなどをさせる時に、できるだけ、仕事全体を教えるのが、こつです。
「お皿を洗う」だけでなく、「お皿をきちんと片付ける」までさせる、さらに、それらの行為が、料理を振る舞って人を幸せにするという一連の行為の一部であることを教えることで、判断力は高まります。
AさんとB君が座った時点で、掃除を終わって良いと思えるほど、教室は綺麗になっていました。
AさんとB君は、自分で判断したばかりでなく、正しい判断をしたのだと思い、とても感動しました。