先生が来た
5年生の教室でのお話です。
職員室で急用ができ、教室に行くのが授業開始から5分遅れました。
廊下を曲がると、教室の方から、子どもたちの騒ぐ声が聞こえてきます。
私が教室の前に現れると、席を立って走り回っていた子も、すばやく席に着き、日直がさっと黒板前に立って「4時間目を始めましょう」と言いました。
国語の授業の始めは、新出漢字の勉強なので、今日の漢字の担当の子が説明を始め、説明が終わると、みんな静かにその字の練習を始めました。
これはチャンスだと思い、子どもたちを叱りました。
「どうして、怖い人が来るまで、自分の仕事をしなかったのか」
授業の時間になっても、先生が来るまでは遊んでいる。
これは、もしかしたら、「普通」の日本の学校の風景かもしれません。
先生の姿が見えたら、さっと席に着き、自分たちで学習を始めたのですから、なかなか優秀なクラスかもしれません。
でも、私は叱りました。
大事なのは、「何をきっかけに、その行動をしたか」だからです。
仕方なく職場に行き、時間が来たから仕方なく仕事を始め、終業時刻を待ち遠しく待ち、1日の大半を費やした仕事から、個人的に何も得ることなく1日を終わる。
もちろん、これでも給料はもらえて、家族を養っていけるのですから、間違いではないでしょう。
でも、せっかく仕事をするのですから、楽しみにして職場に行き、始業時間に関係なく仕事を始め、時間を忘れて仕事に打ち込み、自分で工夫したことや出会った人たちを、その日の宝物にして1日を終える、という1日にできたら、どんなに素敵でしょう。
今の日本は、がんばり方を間違えなければ、工夫・努力した分、生活が豊かになっていく、とても幸せな国です。
仕方なく仕事をして1日を我慢して暮らしている人は、一生、同じ状況かもしれません。
でも、自ら仕事に取組み、工夫し進歩していく人は、豊かな一生を送るでしょう。
その違いは、「先生が来たから○○する」か「先生が来ても来なくても、自分の意志で○○を始める」か、のというスタート時の差なのです。
○○としたのは、それが勉強でなくてもいいからです。
授業の時間になった。
でも、先生が来ないから先生の授業は始まらない。
先生が来ても来なくても、この授業時間は自分の時間だから、自分のために読書をしていよう。
または、今日は△△さんとたくさんおしゃべりがしたいと思って学校に来たから、先生が來るまで△△さんと話していよう。
または、国語の時間だけど、算数で面白い問題があったから、先生が來るまでは、算数をやっていよう。
こんなふうに、自分のすることを、(怖い人がやれというからやるのではなく)、自分で決めることが大事なのです。
先生が来ないのですから、国語の時間だからといって、国語の勉強を始めなければならないわけではありません。
もちろん、国語の勉強を始めていれば、さらに良いです。
10歳以前の子どもには、この話は難しすぎます。
この話を10歳から聞き始めて、14歳までに「心の癖」にまで高められれば、その子は、一生、仕事を自ら追いかけ、豊かな暮らしに向かって、ずっと上り坂の人生を歩めると思います。
この話に関しては、10歳以前に聞いても難しいのですが、一般的に「心の癖」というのは、若ければ若いほど、簡単な方法で、身につけることができます。
10歳から歳の4年間は、良い心の癖を「簡単に」つけられる最後のチャンスです。