助言のセオリーは
読者の方からのお便り********************
うちの子はテストで、クラスで二番だったらしいです。
それでいいのかなぁと安心したりもしましたが、やはり、一番が一番いいのですね。
一番じゃないと意味がないのでしょうか。
そういう競争心がないのは、親譲り。
わたしも、どういっていいのか。
やっぱり、いちばんじゃなきゃだめ**といい続けるべきでしょうか。
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一番は、とてもいいものです。
ただ、一番ではないと意味がないか、というと、そうではありません。
一番かどうかは、「結果」です。
結果は、いわば人からいただくご褒美のようなもの。
山登りで、その後の人生に役立つのは、ゴールの順位よりも、上り坂で身に付いた足の筋肉です。
お子さんの未来を作っていくのは、人からもらったご褒美ではなく、自分でがんばったこと、そのものなのです。
お子さんの二番が、全力で「走り抜いた末の」二番なら、いっしょになって喜ぶのが、親の楽しみでもありますね。
しかし、「二番で、すばらしい」「最下位だったけれど、がんばったのだからそれで充分」で終わってしまっては、そこで止まってしまいます。
お子さんは、まだ、どこまで伸びるかわからない可能性を秘めているのです。
だから、いつでも、「一番の素晴らしさ」は、語り続けてください。
とても精神力の強い子で、自分でも、さらに登ろうとしている子なら、「やっぱり一番じゃなくちゃ…」とおしりを強い力からでたたいてやるのもよい方法です。
全力を出して二番だったのなら、いっしょにその場に座って、登ってきた景色をいっしょに充分に楽しみ、その後で「でも、一番の景色は、この位置からは考えられないほど、素晴らしいらしいよ」と、耳元でささやいてあげるとよいと思います。
お子さんへの助言は、その時の状況によって千差万別。
こう助言したら、いつでも、誰でも、同じ結果になるなどというセオリーはありません。
お子さんの様子を丹念に見ながら、その時にいちばんいい言葉をかける。
これも、親の楽しみのひとつですね。