どうしますか
宿題を忘れた6年生のAさんは、休み時間にやらなくてはなりません。
Aさんが私の所にやってきて、「休み時間に委員会の仕事をしなければならないのですが、どうすればいいですか」と言ったので、質問のし直しをさせます。
「今、宿題をやらなければならないのですが、委員会の仕事も、今、しなければなりません。委員会の仕事を先にやってきてもいいですか」
この質問はOKです。「いいですよ」と私は答えました。
この世界には、子どもには判断できないことが、たくさんあります。
だから、子ども達は、大人に、どんどん尋ねていいのです。
むしろ、一人で黙って悩んでいる子よりも、どんどん教えてもらい、動き出す子の方が、力は伸びるでしょう。
でも、その訊き方をひとつ間違えると、それは、成長にとってマイナスになります。
「先生、どうしますか」には、自分はどうしたいのか、自分はどう判断しているのか、という自分の意見や考えが入っていません。
大げさに聞こえるかもしれませんが、こうしたことを無意識に繰り返すと、問題が起こった時に、すべてを人に丸投げし、責任を押しつける傾向を持った人間になっていきます。
逆に、「こうしたいのだけれど、どうでしょう」と問い続ける子は、自由に発想し、自由故に自分で責任をとろうとする人間に育っていくでしょう。
たとえ迷ったとしても、自分がしたいことを一応はっきりさせるという考え方の癖をつけておくことが、将来、役に立ちます。
自分がやろうと思ったことは、たとえ失敗しても、自分の栄養になります。
あの時失敗したから今の成功がある、などという場合も多いものです。
また、自分がしようとしたことが、大人の目から見たら良くない選択で、大人から止められ結局できなかったとしても、自分で選択したという事実は、栄養になります。
「どうしますか」「どうする?」という質問をしてきたら、まず、
・その質問の仕方は、自分のためにならない
・自分で選んでから訊くことが大事
・たとえ、その選んだことが違っていても大丈夫
と、ていねいに教えてやってください。
小さな頃、「これが嫌だ」と泣いたり、ぐずったりすることが、よくあります。
もう言葉がしゃべれる年齢なら、「嫌なら、どうしたいの?」と訊いてやってください。
もちろん、その度に「こうしたい」という明確な答が返ってくるということは、少ないでしょう。
そういう場合は、さらっと流してください。
明確な答が返ってこなくても、そこで「自分がしたいことは何だろう」と一瞬でも考えれば、いいのだと思います。
それを繰り返すことによって、お子さんは、10才を過ぎた頃、「どうしますか」ではなく、「こうしたいのだけれど、いいでしょうか」という質問をするようになり、さらにそれを繰り返すことによって、18才を越えた頃、いつでも、自分なりの考えや責任をもって事に臨む人間になっているでしょう。
小さな頃、子どもの心に残した親の何でもないような一言が、やがて、大きな花を咲かせます。