ゴジラは気づかない

 「5年生がいじめてきます」と、2年生が訴えに来ました。

5年生に事情を聴くと、「楽しく遊んでたつもりなんだけど」と答えます。

 「男子が石を投げてきます」と、3人の女子が訴えてきました。

男子に事情を聴くと、「女子の方に投げたのではなくて、男同士で投げ合っていただけです。

石ではなく、松ぼっくりです」

 同じ一つの出来事なのに、全く見解が違っています。

こういう「事件」はよくあることです。

真実というのは一つしかないのですが、多面体でできているため、見る人によって違う形に見えるからです。

 こういう場合は、その後、両者からもう一度事情を聴いたり、話し合わせたりして、互いの妥協点を探し出し、悪かったところを振り返らせ、和解させます。

 警察、検察のように、100パーセントの真実が炙り出させるまで、徹底的に調査することも重要かもしれません。

しかし、学校では、そこまで徹底するために時間をとるよりも、何を反省し、そこから何を学ぶかを考える時間を作ってやりたいと思います。

 こういう時に、必ず教えておきたいことがあります。

 それは、「やった方」は、「やられた方」の気持ちに気づかない、ということです。

 自分は冗談のつもりでやっていたが、相手は傷ついていた。自分たちだけのことだと思っていたが、他の人たちにも影響していた。

 ほとんどのトラブルが、ここから起こります。

 子どもたちを見ていると、「悪意」を持って生きている人間というのは、本当にわずかなのだと思わせてくれます。

 ゴジラは、一歩進むだけで、家や人を踏み潰します。

ゴジラは、振り向いただけで、街を壊し、多くの人を不幸にします。

でも、ゴジラは、それに気づいていません。

 こんな風に話すと、子どもたちは「やった方」は、「やられた方」の気持ちに気づかない、ということを理解してくれます。


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