いつも主演ではない(大人へ脱皮する瞬間を知る…1)

 大人になるというのはどういうことでしょうか。

 日に日に大人に向かって成長していく姿を見ると、うれしい反面、「いつまでも子どものままでいてほしい」などと、身勝手なことを考えてしまいます。

 いつまでも子どものままでいてほしい。

親としては当然の思いですが、この気持ちが強すぎると、子どもがせっかく大人へのステップアップができた時に、それを見落としてしまったり、時には邪魔をしてしまったりすることも多いようです。

 子どもが大人へ脱皮していく瞬間を親が見て認めてやることで、子どもは安心して成長できるでしょう。

 学校は、国語、算数等、いろいろな能力を伸ばす場所ですが、「社会で生きる」ことを学ぶ所でもあります。

いわゆる「学習」の力を伸ばすだけなら、家に籠もって優秀な家庭教師の指導を1対1で受ける方が効率は高いはずです。

しかし、それだけでは、その能力を充分に発揮する大人にはなれません。

友達など、いろいろな人と接し、自分がみんなと一緒に生きていることを知ることで、彼らはこの世界で、素晴らしい能力を発揮できる人間になれるのです。

 脱皮する瞬間の一つめは、「自分はいつでも主演だというわけではない」ということを知った時です。

 人生の主役は、もちろん、自分です。

でも、それは、いつでもステージの真ん中で主役を演じる俳優である、ということではありません。

時には、自分が主演俳優になり、時には、主演を支える脇役、裏方のスタッフ、拍手を送る観客にもなるのが、「社会で生きていく」ということです。

 6年生でも、自分が主演でないとふてくされる子がいます。

1年生でも、主演の友達を一所懸命応援できる子もいます。

何歳でそれに気づくかは、人それぞれですが、小学生のうちに、この「応援する感覚」を身につけられたら、安心です。

 運動会の時、リレーの選手になれなかったのに、お子さんがリレーの選手を一所懸命応援していたら、「この子は大人への脱皮がひとつできているんだなあ」と思ってください。

「なぜ、もっとくやしがらないのか」などと思ってはいけません。

 夕食の時に「○○くんは、すごいんだよ。」とうれしそうにお子さんが話したら、「この子も成長したなあ」と思ってください。

「人のことばかり言っていないで、自分もしっかりしなさい」なんて言ってはいけません。

 社会の中で主役になる場面は、人生の中で、何度も繰り返し訪れます。

自分が主演ではない時に、他の人の応援を一所懸命した子は、自分が主演の立場になった時に、たくさんの応援を得て、よりいっそう大きな花を咲かせるでしょう。

       ゴジラのしっぽ(大人へ脱皮する瞬間を知る…2)

読者の方からいただいたお便り***********************************

 うちの子は二人とも前に出る事を好みません。

縁の下の力持ちが好きなのは、元々の性格かと思っていました。

人前で「いい事」をするのは恥ずかしいのか、人の見ていないところで人に喜んで貰えるような事をする方が好きなようです。

 友達の事も良く褒めています。

「君もがんばれ」とは言いませんが、悔しいと思う気持ちはいつになったら出てくるんだろう…とは思っていました。

このような性格を好ましいとは思っていましたが、そう育てなくても幼少期から二人ともこの性格なので、私はラッキーだったのですね。

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 私はラッキーだったのですね、とおっしゃるお父さん、お母さんと共に育てば、こんなふうに素敵な子どもになるんですね。

 「お兄ちゃんがそんなことをしちゃ、だめでしょ。弟がまねをして、怪我でもしたら、どうするの」こんなふうに、お子さんを叱ったことはありませんか。

 あなたはお兄さんなんだから、お姉さんなんだから、という言い方そのものを否定する教育評論家もいますが、私は、そういう言い方をするのは、大事なことだと思います。

 問題は、「お兄さん、お姉さんになったことは、自分にとってマイナスである」と思わせるような言い方を大人がしてしまうことがあることです。

自分がよい行動をすれば、小さい子が、それをお手本にして、よい子が増える。小さい子がよいことをしたら、その発信源は自分なのだ。

そんなふうに思ってくれたら、自分の振るまい一つ一つに気をつけることを楽しく思ってくれるでしょう。

 横断歩道で手を挙げて、止まってくれた車の運転手に会釈をする。

 落ちているゴミを拾って近くのゴミ箱に入れる。

 電車で老人に席を譲る。

 どんなに小さなことも、自分から進んで始めたよいことは、いつか広がって、世界を温めます。

 こんなお子さんの振る舞いを見つけたら、「えらかったね」の後に「みんなが君のまねをして、いい世の中になるんだよ」と一言添えてください。

にっこり笑ってくれたら、それも、大人への脱皮の瞬間です。

 高学年の子どもには、こんなふうに言います。
 6年生の君たちは、1年生から見たら、とても大きな人、ゴジラみたいなものだ。

ゴジラは振り向いただけで、たくさんの建物を壊してしまう。

普通のゴジラは、それに気づかない。

もし、振り向くときに「は〜い」と言って、しっぽを両手で持ち上げて振り向くゴジラがいたら、なかなか、いいでしょ。

 子ども達は、その姿を想像し、大笑いしながら、自分の行動を反省したりします。

      あいさつは相手の心のため (大人へ脱皮する瞬間を知る…3)

 給食の時間、楽しそうな子ども達の会話が聞こえてきます。

 「うちのお母さん、僕をすごい声で怒ってた時に、電話が鳴ったら、全然違う声で、もしもし、って言ってる」

 「うちもそうだよ。みんなが遊びに来ている時は、すごくやさしい声なのに、みんなが帰った途端、鬼になる」

 彼らから見たら、ずるいようにさえ見える、こんな大人の姿。

子どもから直接指摘されると、「あんたは子どもだから、まだわからないの」なんて、逆切れしたりします。

 でも、こうして、「もしもし」の声が変わることは、大人として大事なことです。

自分が怒ったり悲しんだりしている時でも、その感情と関係のない人には、その感情をぶつけない、よい気持ちでいてもらえるようにする。

これが、大人がすべきことです。

 あいさつをしっかりするように、小学生には指導します。

 「あいさつを元気よくすると気持ちがいいね」低学年の子には、こんなふうに気持ちのよさを教えます。

 でも、高学年の子には、これは通用しません。

 気分の乗らない時は、「別に、今、気持ちよくなりたくない」などと反論してきます。

 あいさつは自分のためにするものではありません。あいさつは、相手の心のためにします。

 喧嘩をしている相手には、きもちよい挨拶など大人でもできないでしょうが、誰かと喧嘩をして気分が悪い時にも、その喧嘩相手以外の人には、その気分は関係ありません。

関係ない人に、その嫌な気持ちをぶつけたり見せたりするのでは、何歳になっていたとしても、大人とは言えません。

 もし、お子さんが、気分がめちゃくちゃになるようなことがあった時に、そのこととは全然関係ない人にきちんと挨拶ができたら、ほめてやってください。

お子さんは、気分の切り替えが上手なのではなく、人を思いやれる大人になったのです。


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