正しい人でいる1 機嫌よく
「正しい人でいる」という授業をプログラムしました。
廊下は静かに歩く、ごみが落ちていたら拾う、人には親切にする…。
こんな人になるには、2つの条件があります。
一つ目は、正しいことが何か、を知っていることです。
これは、子どもたち全員が合格です。
でも、正しいことが何かを知っているのに、実行しないことがあります。
なぜなのでしょう。そ
れは、もう一つの条件が満たされていないからです。
その二つ目の条件は、心が安定していること、です。
子どもたちに、質問しました。
「下校途中、道に落ちている空き缶を見つけました。
少し遠いけれど、ごみ箱が見えます。
君は、A 拾ってごみ箱に入れる。
B そのまま通り過ぎる
C 蹴っ飛ばして、放っておく」
子どもたちは、正直に自分がするだろうことに挙手しました。
次の質問です。
「君は久しぶりに100点をとりました。うれしくてたまりません。そんな日の下校途中、…」
あとは、前の質問と同じです。
先ほどAだった子は、Aのままです。
でも、Bの子はAに、Cの子はBやAに、移動する子がたくさんいます。
そして、最後の質問です。
「今日、友達にひどいことを言われました。でも、我慢して言い返さず、胸の中はもやもやしています。そんな日の下校途中、…」
「確かに、そんな日は、蹴っ飛ばして通り過ぎるかも…」
最初からAだった子が、そうつぶやいています。
正しい行動をするためには、機嫌がいい状態でいる、ということが重要だと、子どもたちはわかってくれたようです。
ただ、機嫌よくしていれば、いつも正しい行動ができるかというと、そうでないのが難しい所です。
正しい人でいる2 良い環境
給食の片づけの時、子ども達は、食器の音を一切出しません。
音を立てないように、細心の注意を払って食器を返します。
4月に、「音を立てないことが上品な行動につながっていく」と説明し、最初に厳しく「取り締まり」ました。
今では、自然にできる、と子ども達は言っています。
前回の「空き缶のアンケート」の後、こんな質問をしました。
私「今年教わったばかりの食器の片づけ方は完璧にできるのに、1年生の時に教わった廊下を静かに歩くことが、まだできないのは、どういうわけですか。」
子「だって、こうじ先生、こわいもん」
子「そうそう、1年や2年の時の先生は、やさしかったものね〜」
私「本当にそれだけが理由だったら、今は私のクラスにいるのだから、廊下も静かに歩けるはずです。」
子「そうか。でも、廊下はいつも先生がいる訳じゃないし」
私「では、給食の片づけの時、私がいなければ、食器の音はがちゃがちゃと鳴っていますか。」
子「そんなことありません。みんな静かです。」
子「習慣になっている。」
中規模以上の小学校で、廊下を静かに歩くという約束を、どうすれば守らせられるかということに頭を悩ませている先生方も多いのではないかと思います。
中学校でしたら、子ども達の理性で実現できる「廊下は静かに」ですが、10歳以下の子ども達が何百人も生活する小学校では、そういうわけにもいきません。
待ち遠しい休み時間が来ると、靴箱に向かって、つい走ってしまう1年生がいても不思議ではないからです。
そういう環境の中で、自分一人だけが「廊下は静かに」と心に決めても、それを完全に遂行するのは、とても難しいことです。
今回、学級の中で「食器は静かに」を完全に遂行するのは容易なことでした。
それは、自分以外の人も全員、同じように心を揃えて、「食器は静かに」を実行しているからです。
そういう中で、自分だけが大きな音を立てて食器を重ねるのは、逆に難しいことでしょう。
正しいことをするためには、正しい人たちに囲まれているという環境も大事だということがわかります。
「正しい環境」が自然にそこにあるのなら、正しい人でいるのは、簡単なことです。
でも、そういう環境を見つけたり、作ったりするのは、なかなか難しいことも多いでしょう。
正しいことというのは、「楽をしたい」という野生の本能と逆のことが多いからです。
ここで登場しなければいけないのが、「恐い大人」です。
子どもに嫌われても、子どもを正しい人にするためには、必要とあらば、恐い大人にならなければいけません。
また、恐い大人を演じると同時に、自分の考えている「正しさ」が本当に子どもにとって大事なものかを、いつも自問自答していく必要があります。
大人は、なかなか大変なのです。
正しい人でいるためには、
○ 正しいことが何かを知っている
○ 心が安定している
の2つが必要です。
心が安定しているためには、
・機嫌よく生きている
・良い環境の中にいる、良い環境を作る
そして、もうひとつのことが必要です。
正しい人でいる3 自信を持つ
90分でプログラムした授業ですが、実は、ここまでで、25分です。
残りの65分は、心の安定のために必要な最後のことに使いました。
それは、自分に自信を持つ、ということです。
電車で、お年寄りなどに席を譲るのが正しいとわかっていて、譲りたいと思っていても、声がかけられなければ、それは、やさしいとは言えません。
声をかけるには、自分に自信を持っている必要があります。
自分に自信を持つ…言い方を変えると、自分の心のカップから溢れてこぼれるくらい幸せを感じている状態です。
ここで登場するのが、私の良い所トップ50です。
書き方の例を黒板に書いておいたのですが、気づくと「先生の良い所ベスト50」と誰かが付け加えたらしく、私のことが、黒板いっぱいに書かれていました。
自分の良い所ベスト50は、これまでも書かせてきましたが、私のことを勝手に書いた学級は初めてです。
おかげで、私自身も、よいところを見つけてもらうと嬉しい、ということを実感できました。私のよい点として「
ときどき笑う」というのがあったので、日頃、どれくらい怖いか、わかっていただけると思います。
残りの10分は、友達の手を借りて「良い所」がいっぱいになった紙を見て、この授業の振り返りを書きます。
「僕のこと、わかってないなあ」などと言いながら、嬉しそうな顔をしている天邪鬼もいましたが、「自分に良い所があって、すごくうれしかった」と、振り返りを書いた子が予想以上に多くて、この授業をやってよかったと思いました。
努力していることを褒めてもらうことも、もちろん嬉しいのですが、「持って生まれた素質」として見てもらうことの方が、案外、大きな自信になるようです。
この紙は、みんなからのクリスマスプレゼントだから大事にしなさい、と言って、この授業を終わりました。
「わたしの良い所ベスト50」、テレビやコンピュータゲームの代わりに、家族でやってみませんか。
自分で書く時も、お子さんに書いてもらう時も、きっと面白いと思います。