何か便利になった時
windows95によって一気にパソコン、インターネットが普及し始めた時、日本の小学校は、あわててパソコン室を導入し、マウスの使い方を教えました。
これからは情報機器の時代だから、機器の使い方を知らなければいけないと考えたのです。
マウスでクリックする練習のために、これまでの教科は削られました。
その時、私は、これまで以上に小学生には読書が必要だと思い、読書をしたり、音読をしたりする授業を増やしました。
ネットがもっと便利になった時、能力の違いを分けるのは、文書を正確に読み取る力だと思ったからです。
20年も経たないうちに、インターフェイスはタッチパネルが主流になり、マウスをダブルクリックする必要はなくなりました。
情報機器は、どんどん進化します。
インターフェイスは増々使いやすくなっていくでしょう。
音声入力も現実化し始めたのですから、まぶたや眼球の動きで操作したり、考えただけで操作したりする日も遠くないかもしれません。
何かが便利になった時というのは、その分、人間が本来持っている能力が一つ失われると考えてよいと思います。
その時、子どもに本当に必要なものは何かを考えるのが、大人の役目です。