道具と機械

 テレビゲームは、遊び道具の大きな進化です。

生物の進化になぞらえれば、海から陸に上がったくらいの大きな進化です。

テレビゲームによって、子どもたちはヴァーチャルな世界の中で、ありとあらゆるものを経験できるようになりました。

画面にのめり込んでいる時間は楽しくて仕方がないでしょう。

 しかし、わすれてはいけないことがひとつあります。

それは、テレビゲームが道具ではなく機械であるということです。

 道具は人間の力で動く、いわば手の延長です。
ですから、道具をうまく使うためには、それなりの練習が必要ですし、その練習によって、脳、神経、筋肉の力やセンスはアップします。

 しかし、機械であるテレビゲームは、コントローラー、キーボード上でのわずかな指の動きで、簡単にヴァーチャル世界を自由自在に動き回ることができます。

 指の動きにも熟練は必要でしょうが、それだけでは人間としての能力は大きくダウンします。

ようやくそれを補完するコントローラーの発売も始まりました。

ヒット商品になったということは、多くの人が、遊び道具ではなく、「遊び機械」の氾濫に危惧を覚えた証拠です。

 道具のよさは、二つあります。

 一つは、使いこなすために苦労すること。

苦労すればするほど人間の力は進歩し、できた時の喜びは大きいものです。

困難なことがあればあるほど、幸せは大きくなります。

 二つ目は、道具そのものを改良できること。

独楽、めんこ、凧…、こんな遊びしかなかった時代の子は、遊び道具を自分の手で改良してきました。

しかし、今、テレビゲームのプログラムを書き換えたり、コントローラーを改良して自分で作ってしまう小学生がいたら、特別な子どもだと思われるかもしれません。

テレビゲームは小学生の手に余る遊び機械なのだと思います。

 余計な話になりますが、私が6年生の頃流行ったのは、酒瓶の蓋集めと、プラモデルの車のレースでした。

ミニ四駆よりも、さらに昔です

 当時の大人は、「最近の子は、昔ながらの遊びをしない」と残念がっていたようです。

時代が変わっても、大人の台詞は同じですね。

 ただ、言い訳をすれば、酒瓶の蓋集めのために大人と交渉するという技は高まりました。

 プラモデルの車のレースでは、友達と同じプラモデルを買って、人と違う、人より早い車に作り上げる工夫をしたことで、いろいろな道具を使えるようになりました。

また、レースは最初、おもちゃ屋さんのレース場で行っていましたが、みんなでレース場を作ってそこで大会を開くようにもなりました。

 お子さんは「道具」で遊んでいますか。


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