幸いプラモデルだった
お父さん、お母さんが子どもの頃は、どんなおもちゃがありましたか。
今の子供たちの生活と、私が子どもの頃の生活のいちばんの違いは、テレビゲームというおもちゃだという気がします。
何が違うかというと、おもちゃを作ったり改良したりできるかどうか、という点です。
私が子どもの頃にあったおもちゃは、どのおもちゃも、目で見てわかる仕組みでしたから、遊びなれると改良したくなりました。
また、今のテレビゲームのように世界が完結していないので、いろいろな工夫をして遊びを発展させます。
さらに、ほしくても高価で買ってもらえないおもちゃは、自分で作ったり代用したりしなければなりませんでした。
「G.I.ジョー」は高くて買ってもらえないから、違う人形に自分で作った戦闘服を着せたり、サンダーバードやシュピーゲル号をダンボールや木で作りました。
また、プラモデルやプロペラ式のゴム飛行機は、もちろん、自分で作らなければ遊べません。
テレビゲームをやったことがないので、よくわからないのですが、今のテレビゲームに、「作る」とか「創る」という余地は残されているのでしょうか。
他の人が考えた答えを見つける、という作業のように見えます。
パソコンの黎明期には、ゲームのプログラミングをしてお金を稼いでいる小学生もいたようですが、最近はそういう話題も耳にしませんし、ゲーム機を分解して遊んでいるという子どもにも出会ったことがありません。
プラモデルも、当時の大人からは、キットを張り合わせるだけで創造性がないと言われていたと思います。
でも、当時のプラモデルは、正確に組み立てるには小学生にとってかなりの技術が必要でしたし、100円のぜんまい車のレースに出るために、速く走るよう改良に改良を重ねたのを今も思い出します。
「食べること」に例えれば、
野山で遊んでいた子たちは、食材を採取したり育てたりするところから始め、
ある程度おもちゃが与えられた子たちは、スーパーで食材を買い、料理するところから始め、
今、テレビゲームをしている子たちは、食卓に並べられた料理を食べるところから始めている。
そんなふうに感じます。
私は子どもの頃、商店街の裏通りで育ったため、野山を駆け回る経験をしたことがありませんが、それでも、ぎりぎり、子どもの頃プラモデルやボードゲームが経験できてよかったと思います。
お子さんは最近、自然の不思議に出会いましたか。
最近、何かを作っていましたか。