基礎学力とは何でしょう
基礎学力を身につけることが大事、などというのを聞いたことがあると思います。
では、基礎学力とは何か、とネットなどで基礎学力という言葉を検索すると、結局、あれやこれやと、いろいろなことが書いてあって、よくわからなくなったりします。
基礎というくらいですから、できるだけシンプルでありたいものです。
あくまでも私個人の意見ですが、基礎学力とは、
〇 たくさんの言葉が使えること
〇 3年生までの四則計算を頭の中で一瞬でできること
〇 未知のものを楽しいと感じること
〇 できるようになる喜びを知っていること
の4つです。
基礎学力のいちばん目は、たくさんの言葉が使える、ということです。
知識も思考も「言葉でする」ものですから、言葉は勉強の最も基礎になるものです。
多くの言葉を知っていればいるほど、勉強には有利になります。
多くの言葉というと、英語をはじめとした他国の言語を思い浮かべることもあるでしょう。
英語が「教科」になるというのを聞いて、うちの子も英語の塾に入れなければ、と、あせってしまうお父さん、お母さんもいるかもしれません。
でも、ここでいう、たくさんの言葉、というのは、日本語のことです。
たくさんの日本語を知っていて、それを使える子が、多くの知識を得たり、深い思考ができたりするようになります。
小さな頃から、英語が耳や口になじんでいることは悪いことではありませんが、その分、日本語が減っていては本末転倒です。
日本語を豊かに使えるかどうかが頭のよさを決定するというくらいに思って、言葉を大事にしてください。
読書から多くの言葉を学ぶことができるので、もちろん、読書の習慣を身につけさせるのは重要なことです。
しかし、「本をたくさん読みなさい」と言って、子どもの周りに本を積んでおいても、子どもの力は伸びません。
たくさんの言葉が使える力は、まず、周りの大人との会話で培われます。
周りの大人が、いかに豊かな言葉を使っているか、そして、いかに沢山の会話を、子どもがそういう大人たちとしているか、が重要です。
お子さんが生まれたのを、良いきっかけとして、お父さん、お母さんも一度、自分がどんな言葉遣いをしているか、振り返ってみると、よいかと思います。
といっても、難しいことはありません。
お父さん、お母さんが小さかった頃、おじいさんやおばあさんが、どんな話を、どんな口調でしてくれたかを思い出すだけで、今の言葉の使い方を選択もしくは洗濯できると思います。
子どもを持つというのは、親自身が自分の人生を良い方向に修正する良いチャンスなのです。
基礎学力の二番目は四則計算です。
計算は計算機にやらせればいい、とでも言うように、今の教科書には、時々、計算機のマークの入ったページがあります。
計算などの思考に必要ない面倒なことは機械に任せて、子どもは問題を解くことそのものに集中すればいいという考え方です。
もちろん、計算力では機械の方がずっと力があるので、一見正しいように思えます。
ですが、例えば、包丁を使うことができずに、メニュー、レシピだけを考える料理人は、ちょっと考えらません。
基本的な道具を駆使してこそ、美味しい料理のアイデアが出てくるからです。
何十桁もの計算のトレーニングをする必要はありませんが、3年生までに出てくる四則計算は、道具として役立つだけでなく、計算を鍛えることで脳もよく働くようになります。
1年生に出てくるたし算ひき算、九九、余りの出る九九のわり算は、ぜひ、徹底的にやってください。
この計算ほどではありませんが、同様に役立つ「道具」に、美しい平仮名があります。
1、2年生のうちに、美しい平仮名をじっくり、しっかりと身につけた子は、それ以後、字を早く綺麗に書くことができます。
字を書くことは、思考をまとめるのに必要不可欠なので、字を早く綺麗に書く力は、思考をより速くさせます。
それなら、スマホで速く字を打てるように練習すればいいと言われるかもしれません。
でも、残念ながら、今のインターフェイスでは、足りないことがあります。
それは、字を打っている途中に、同じ手で自由に図を描くことができないことです。
何かを考えながら書いている途中で、ノートの隅に絵や図をちょっと描く。実は、これが思考能力を大きく伸ばすのです。
思考をするためには、思考をするための「道具」が手に馴染んでいることが必要です。
人類は、道具を手にし、工夫を加え続けることで進化しました。
今、生まれた子どもたちは、十数年のうちに、この人類の進化の軌跡をなぞった上で、さらに発展していくことが必要です。
ですから、本当に子どもたちの能力を引き出したいのなら、最低でも10歳までは、機械の恩恵を受けさせるのではなく、人類の数百年間を辿らせた方が有効です。
でも、世の中は、10歳までの子どもにも機械を与えたほうがよいという風潮になっています。
ですから、それは違うと気づいたお父さん、お母さんの子どもは、逆にチャンスを得たと思ってほしいのです。
四則計算に限らず、「道具」を手にさせましょう。
基礎学力の三番目は、未知のものを楽しいと感じること、です。
子どもは、もともと好奇心旺盛なのだから、なぜ、それをことさら取り上げるのか、と思われるかもしれません。
その通り、子どもは、もともと好奇心旺盛で、特に「10歳の節目」より前の子は、この好奇心が能力をうんと伸ばす原動力になります。
ところが残念なことに、好奇心を持たないで授業に参加する子が、年々増えています。
2年生で、九九を勉強する時も、「塾で習ったから、できる」と真剣に取り組もうとしない、という具合です。
さらに心配なのは、小さな頃から電子ゲームを一人でやっている子です。
昔の子は、原っぱで遊び、虫を追いかけました。
また、近所の子と遊ばなければ、遊ぶ方法がありませんから、多くの子と遊びました。
ここに、好奇心を育む土壌がありました。
電子ゲームを作ったのは、人間です。
どんな謎が、その電子ゲームに仕込まれていようが、言ってみれば、たかだか人間の考えたことです。
ところが、虫は人間の発明したものではありません。
人知を超えた存在です。
そこに潜む謎は、電子ゲームの謎とはけた違いの多さと深さがあります。
また、人間そのものも、人知を超えたものです。
ですから、人と付き合うというのは、どこまで行っても謎だらけです。
同じゲームでも、一人でやる電子ゲームは、人の作った謎を解くだけですが、多くの人とやるボードゲームは、人の作った謎ではなく、人そのものという謎を解かなければならないので、好奇心は底をつきません。
小さな頃から、一人で電子ゲームをやっている子は、好奇心がどんどん浅くなっているのではないかと心配です。
「ボタンを押すと動くもの」に反応する脳の範囲は、とても狭いらしいこともわかっているようです。
本来持っているはずの「好奇心」を、ことさら基礎学力としてあげたのは、こういう理由です。
子どもは、もともと好奇心旺盛です。しかし、好奇心のある子は、一見落ち着きがなく、危険なこともします。
親としては、落ち着いてほしいし、危険なことも避けてほしいと思うのは当たり前です。
どこまで親が許容範囲とするか、で「未知のものを楽しいと感じる」能力は変わってきます。
お子さんの好奇心は、大丈夫ですか。
未知のものに出会った時、「めんどくさい」と言いませんか。お父さん、お母さんが子どもの頃と比べてみてください。
基礎学力の最後は、「できるようになる喜びを知っていること」です。
高学年になって、「努力して、できるようになった」という喜びを知ることは、もちろん大事です。
しかし、子どもの学力の伸びに、もっと良い影響を与えるのは、10歳まで(それも、できるだけ小さいうち)に、何かができるようになった喜びを知ることです。
ピアノが弾けるようになった、とか、泳げるようになった、とかいう、「大きなこと」でなくてかまいません。初めて触った積み木を幾つか積み上げようとして、何度か失敗した後、思ったように積み上がる。
こんな簡単なことで、いいのです。
そういう瞬間を見つけたら、親が一緒に「にこっ」と笑ってやる。
それだけで、できるようになる喜びが、心の底に貯まっていき、いざ、何かをがんばろうと思った時に、無意識の自信を与えてくれます。
気を付けなければいけないのは、たまたま1回やってできたのを、親も、それをたまたま見ていた時です。
褒めること自体は悪くないし、1回でできるとは才能がある、と本人が感じるのも悪くありません。
「才能があるね」「天才かも」などは、褒め言葉として威力抜群です。
しかし、才能があるとしか褒められない子は、ゆくゆくは「やればできる子」に育ち、結局、何もやらないで人生を終わる人になります。
お子さんが何かを始めたら、じっと、お子さんの様子を見てください。
そして、何度か失敗を繰り返し、それができたら、一回でできた時よりも余計に一緒に喜んでください。
10歳までに、たとえ、それほど頑張ったのではなくても、何度かの失敗の後に成功したら、一緒に喜びましょう。
努力したから、とか、がんばったから、といった褒め言葉は、11歳以降で充分です。
最初できなかったことが何度かやることでできるようになった、自分はそういうことができる人間なのだ、と思わせることが大事です。
10歳までに、これが心に落ちていれば、一生、あきらめずに挑戦し続ける人になります。
もちろん、それは、勉強にも生かされます。
良い子を育てるのに必要なのは、親の「見つめる目」なのです。