量を問われない難しさ
6年生の夏休みの宿題に、「お手本と同じ平仮名をかけるようにしてくる」を出しました。
4月に平仮名表を渡して、平仮名を手本通り書くように指示し、字によっては、その書き方のこつを教えてきました。
毎日、書き取りの宿題では、手本通りではない全ての平仮名を赤いペンで直してきました。
赤ペンで直された字は、翌日、そこを消しゴムで消して、綺麗になぞってこなければ、宿題は完了になりません。
4か月で、自分の字に自信が持てるくらい字が変わってきた子と、4月のままの子がいます。
ここに、勉強とは何か、を改めて教える鍵があります。
宿題を先生の指示通りにやることを、勉強することだと1年生の時に教わります。
これは、学習を生活の中に位置づけるための大事な方法です。
しかし、大人になるまで、そのままではいけません。
大学生になっても、教官の宿題をやることが勉強だと思っているのは、おかしいのです。
では、どこから変えればよいかというと、10歳から14歳の間です。
6歳、1年生の時は、先生の赤ペンを綺麗になぞってくれば、それは立派な勉強です。
しかし、12歳、6年生で、それが勉強だと思い込んでいては、少し手遅れになります。
先生の赤ペンをなぞりながら、自分の字はどこが違っていたのか、どこに平仮名を上手に書くこつがあるのか等を考えるのが、勉強です。
1学期のうちに、それに気づいた子は、字が上手になり、勉強とは何かが、少しずつわかってきます。
1学期にそれに気づかなかった子は、「平仮名を手本通りに書けるようになる」という宿題が夏休みに待っ
ています。
書き取り1日1ページという「量」の宿題ではありません。
だから、極端に言えば、一文字も書いてこなくても、よいわけです。
1学期に一所懸命、勉強、稽古をした子は、もう身についているので、実際に、夏休みの間、書き取りはやらないでしょう。
でも、やってこなかった子にとっては、とてつもなく過酷な宿題です。
大人になっても、量や時間を問われる仕事より、質を問われる仕事の方が、実は大変なのです。
大人になるまでに、本当に勉強をするとはどういうことか、本当に仕事をするというのはどういうことかを少しずつ教えてやれば、子どもは充実した人生を送れる人になると思います。