遠く永い幸せ、近く短い幸せ

 6年生の国語の教科書に略語の学習が載っています。

例えば、「図工は図画工作の略語である」ことを学習します。普段使っている言葉は何を略してあるか、ということを調べると、語彙が増えるし、言葉への関心も高まります。

 また、日本語のよさもわかってきます。

 たとえば「国際連合」。英語ではUNと略しますが、知らなければ意味もわからず、味も素っ気もありません。

ところが、日本語の略語「国連」は、文字を見ただけで、国と国がつながるイメージがわいてきます。

農協なども深い理由があってJAになったのでしょうが、「農協」からは、それだけで意味や心を推し量ることができます。

 さて、興味のある子は、進んで多くの略語を探してきます。

それだけで、子どもの力は充分につきます。

でも、残念なことに、そういう子ばかりではありません。

そこで、授業では、「班対抗略語ゲーム」をします。

 班で5問の問題を作り、互いに問題を出し合って点数を競います。

多くの子は、ここでやる気になります。

難しい問題を作ろう、相手の問題を解こうと、躍起になって言葉を調べます。

「ああ、楽しかった」とゲームに興じるだけで、自然に力がついてきます。

 10才までは、これで充分です。
でも、11才を越えてからは、これで終わってはいけません。ゲームは目の前にある短い幸せです。

 一方、略語を調べることで語彙を増やし、それを使って自分を豊かにしていくのは、少し遠い未来まで永く続く幸せです。

少し遠い未来に永く続く幸せを手に入れるための力をつけることが、学習の本来の目的です。

もし、それを忘れて、「次のゲームを楽しみに待つだけ」になってしまう子は、大人になっても、クリエイティブな力を持てません。

厳しく言えば「餌を待つだけの檻の中の羊」「次のゲームの発売日を待つ、消費するだけの大人」になるでしょう。

 ゲームを取り入れて楽しく学習する。

これは、とても重要な方法です。

でも、そのゲームは本来の学習の目的ではない、ということを、11才から14才までの間に、しっかり意識させなければいけません。

 「楽しいゲームだったね」という感想ではなく、「知らない言葉がたくさんあって驚いた」「略語って面白い」「調べるのが楽しくなった」といった感想を拾い上げることを重ねれば、その意識は高まっていきます。

 本来の学習の意味が分かった子は、逆に、自分を楽しませるためのゲームを自分で創れるようになります。

14才までに自分を楽しませる力を身につけた子は、まわりの人を楽しませることのできる幸せな人生を歩むでしょう。


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