わいわい読書
小さな子が本を好きになっていく過程の基礎は、次のようになっています。
1 お父さん、お母さんから、昔話などを聞く。
2 お父さん、お母さんと絵本を「見る」。
3 お父さん、お母さんから、本を読んでもらう。
4 お父さん、お母さんの読んでくれる本を見ながら、聴く。
5 お父さん、お母さんに見てもらいながら、自分で声を出して読む。
6 読んだ本について、お父さん、お母さんと話をする。
それぞれ、こんなことに気をつけるとよいと思います。
1 子どものリクエストに応じて、どんどんストーリーを変える。続きを考えさせたり、一緒に考えたりする。
2 本について子どもがおしゃべりを始めたら、全部聴いてやる。本を大事そうにめくる。(次のページを開くことがどんなに素敵なことかを体験させる)
3 台詞の部分は大袈裟に、地の文の部分は正確に、読む。同じ主人公のシリーズ物を選ぶ。
4 最初は、読んでいる部分を指でなぞりながら。子どもの目の早さを意識して読む。
5 文節を無視していたら(例えば、「山と海は」を「やま・とうみ・は」と読んだら)、すぐに直す。イントネーションの違いなどは、最初は大目に見る。
6 できるだけ家族中で話せれば、いいですね。子どもと同じ「読みのレベル」に降りて、真剣に意見を対立できたら、最高です。
本は、ただ買い与えただけでは、読書好きになりません。
言葉と文字が家族の中に溢れていると、本が好きになります。
難しい言葉でなくて、充分です。読書は、わいわいやりましょう。
読書といえば、「よい姿勢でじっと動かず静かに本に集中している」のが理想の姿のように思えます。
1時間、2時間と、これを続けていたら「さすが、我が子、すばらしいむと思ってしまいます。
たしかに、これは素晴らしい姿です。でも、30分この姿勢で、充実した読書ができる小学生は稀だと、私は思っています。
トレーニングすれば、この姿勢をキープできるようにはなります。
しかし、頭や心が、その時間、本の内容に集中するかは、わかりません。
環境を整え、じっと動かず読書をする習慣を身につけさせることも無駄ではありませんが、読書を充実させるために本当に重要なのは、文章を映像化する力と、一人で心の中で対話を続ける力です。
映像化は、文字通り、言葉を頭や心の中で映像に変えることです。
文を映像化するためには、映像の素材が必要です。象やキリンを見たことのない子が、象の鼻やキリンの首の長さを想像することは難しいでしょう。
SF小説など、この世にない物が出てくる本もありますが、それも、これまでに脳に集められた映像の素材がアレンジされて、心の中に映像化されるのです。
世界中のあらゆる物を見ている必要はありませんが、ある程度、いろいろな物を見ている必要はあります。
小さな頃から家族でいろいろな所に出かけて、日常見られないものをたくさん見ている子は、映像化が得意です。
多くの人と接している子は、本の登場人物がバラエティに富んでくるので、読書がより楽しくなります。
ここで気をつけなければならないのは、テレビやネット動画です。
実際にその場に行って、それに触れたり、匂いをかいだり、その人に接すると、自分はその風景の中にいることになります。
読書の時に映像化するにも、その子はその世界の中に自然に入っています。
ところが、映像ばかり見て本物に接していない子は、読書で映像化ができても、自分はその映像の外にいるので、その世界に入り込めません。
また、テレビなどの映像は触覚、臭覚を刺激しないのというところも問題です。
二つ目の一人対話の力にも、テレビの悪影響は表れます。
ひらめきは映像で脳に生まれますが、思考は対話で深まります。
サザエさんのかつおくんの中に時々天使と悪魔が出てきて対話しますが、人間は、あんなふうにして、深い思考ができるようになったようです。
この力を身に付けさせるには、小さな頃、まわりにたくさんの大人がいて、たくさん話をすることが重要です。
そのやり取りの中でしか、この力はつきません。
テレビに子守りをしてもらった子は、この力が著しく劣ります。
だから読書も苦手です。
テレビゲームも同じです。
1歳、2歳の頃からテレビゲームが得意な子は、脳の活動部分が狭くなるようです取り返しはつきません。
家族でいろいろな所に出かけ、これでもかというくらいおしゃべりを続ける。
一見、読書とは正反対の行為が、実は読書をする時に最も必要な力を身につけさせるのです。
これにプラスして、親の読書習慣があれば、子どもは読書する力を確実に身につけることができます。