ついに、“あの男”の居場所を突き止めた。 北の果ての、砂に埋もれかけた・・・神殿かなにかの跡だろうか、幾本もの柱に支えられた荘厳な建築物。その、奥深くに“あの男”はいるはずだ。 彼は、意を決して暗闇へと足を踏み出した・・・・・・。 |
気がついたときには、男は自分のすぐ後ろに立っていた。 冷たい汗が、背中を伝うのがはっきりと分かる。・・・いったい、いつのまに背後をとられたのだろうか。彼には全く気配・・・いや、殺気というものを感じさせなかったというのに。 襟足に届く髪を擦るように、首すじに鋭利な刃物の冷たい感触が、あった。 「・・・貴様が、ジャスティスの言っていた“あの男”か?」 上ずりそうになる声をかろうじておさえて、彼は背後の男に問うた。・・・否定の言葉が返ってくるとは、思えなかったが。 背後の男は、喉の奥で低く笑ったようだった。 ふ・・・と、刃物が離れたのが空気の動きで分かった。 その瞬間、彼の身体は宙を舞っていた・・・暗い回廊に、衣擦れと、着地の靴音がやけに大きく響く。 「アンタなら、俺をここまで追ってくると思っていたよ」 男の低い声が柱に反響する。 暗がりで、男の顔はよく見えない。・・・が、思いのほか男が若いことに少しだけ驚いた。てっきり、そうとうな歳か、自らの肉体に何らかの改造を施して、永い時間を生きてきたのだと思っていた。 おそらく、彼よりもひとまわりかふたまわり年上、といったところだろう。 「・・・・・・?」 まるで、自分のことを知っていたかのような、男の口調。 すべて知っているのだろうか、ギアのことも、彼のことも。 ・・・そして、永い時間を、目の前の男を追いつづけることに費やしてきた、あの焔の者のことも。 「・・・あなたは」 「アンタなら、この俺を止めてくれるんだろう?・・・なぁ」 その先は、闇に溶けて聞こえなかった。だが、男の唇が彼の名を紡ぐのは見てとれた。 「・・・・・・なぜ」 手の中の剣を握り直す。汗にぬめって柄が滑り、彼はかすかに顔をしかめた。 ・・・男は相変わらず、こちらを見下すように視線を向けているようだ。右の唇の端を少しだけあげて。 彼は恐ろしかった。この、得体の知れない男が。何もかもを知っているかのようなその口振りが。・・・自分がこの先、どうなっていくのかも、すべて・・・見透かされているようで。 「・・・まだ、分からないのかい?」 男が、溜め息まじりにつぶやいた。 彼が視線を上げると、苦笑する男と・・・その、手にしているものは? 「・・・・・・まさか」 否定したかった。すべてが嘘なら。夢なら、どんなに良かったか。 ・・・そう、目の前にいる“あの男”とは。 「久しぶりだねぇ、カイちゃん」 以前と違わぬ、自分を呼ぶ声。・・・“あの男”が?自分がずっと追ってきたはずの。 「・・・ウソ、でしょう?」 ゆるゆると首を振る。嘘だと言って欲しい。誰でもいいから。 「あなたが・・・、あなたがギアを生み出したというのですか?」 信じられない。信じられるはずがない。だって、目の前の男も捜していたはずだ、“あの男”を。 「答えてください、・・・・・・アクセル!!」 ・・・・・・どのくらい経っただろうか。 あれから、どちらも何も話さず、ただ、お互いをその瞳に映していた。 やがて、“あの男”・・・いや、彼が生涯“親友”と呼ぶことの出来る数少ない、かけがえのない人だと・・・そう思っていた男が、口を開いた。 「・・・俺も、はじめは驚いたよ」 どこか、昔を懐かしむように。ゆっくりと言葉を区切りながら、男は話し始めた。そんな男を、彼はどんな思いで見ているのだろう。 唇をしっかりと引き結んでいないと、泣き出してしまいそうだった。 まだ、信じられないのだから無理はない。感情も思考も、まったく現実に追いついてきてはくれない。ただただ、流されていくことしか、今の彼には出来なかったのだ。 「いや、今でも少し信じられない思いだよ。自分がずっと追い続けていた“あの男”が、実は自分だったなんて・・・ね。でもね、追いながら、色んな時代を旅して・・・だんだん分かってきたんだ。“あの男”が何をしたかったのか、がね」 彼は黙したままだ。何も言うべき言葉が見つからない。・・・男が、話を続ける。 「ダンナをあんなにしてしまったのは、つまり俺なんだよね」 ・・・自嘲気味に唇を歪めて下を向く。はじめて会った頃は、難儀なヒトだね、なんて呑気なことを考えていたものだった。まるで・・・自分には関係ない話しだと。 ・・・しかし、実際はどうだ。 将来はきっと、優秀な科学者になれただろうに。その、未来ある若者の人生そのものも、未来すらも奪ってしまったのは、実は他でもないこの自分であったのだ。申し訳ない、とかそんな慰めの言葉で済む問題であるはずがない。 けれど、それでもあえて自分はそうしたのだ。運命に抗うでもなく。 「カイちゃん・・・ずいぶん前に会ったとき、俺きいたよね。ダンナを・・・まだ憎んでいるのかって。カイちゃんは、はじめから憎んでないって言ってたよね」 「・・・・・・」 まだ、ほんの数年前の話だった。彼にとっては、もうずうっと昔の話になってしまったのだろうが。 「本当に憎まれるべきなのは、この俺なんだよ。・・・カイちゃんは、俺を憎めるかい?」 答えに困って顔を上げると、苦しげな男の表情が目に入った。 ・・・憎めるのか?彼を。 会うたび年上になっていく彼を、少しだけ寂しい思いをしながらいつも迎えていた。 はじめて出会ったときは、自分の方が年上だったのに。・・・ああ、もう彼は自分の手の届かないところに行ってしまったのだな、と漠然と考えていた。 それでも。・・・それでも、いつまでも変わらずにいられると思っていた。 そんな彼を、どうして憎むことが出来よう? 「私は・・・」 ・・・自分の信じていたものを打ち砕いて、たくさんの人々を苦しめているのに? ・・・あいつを、ソルの人生を狂わせてしまったのに? 「・・・・・・私はッ!」 父はギアに殺された。 母は、父が亡くなってからすぐに病気で逝ってしまった。 聖騎士団で団長を務めているときも、たくさんの部下を戦場で死なせてしまった。 ・・・救いに行ったはずの集落で、たったひとり生き残った少女が、廃虚となった村で、両親の骸を前にひとり泣いているのを見たこともあった。 “あの男”がいなければ、そんな自分が見てきたいく千もの悲劇は起こらなかったはずなのだ。・・・それでも? 「・・・・・・ッ」 剣が、乾いた音を立てて大理石の床に落ちる。 ・・・彼は泣いていた。 止めど無く流れ落ちる涙をぬぐうおうともせずに。 彼が・・・“あの男”が許せなかった。けれども、本当に許せないのは、その男を憎むことが出来ない自分自身。 ずっと・・・憎いと思い続けてきたソルが、なぜ憎んでいたわけではないと気づいたのか。 はじめから憎んでいたわけではなかったのだ。ただ、憎むことで忘れようとしていただけ。 それでは、目の前にいる“あの男”は? 許せるはずもないのに、なぜ、「憎い」と言えないのか? ・・・憎むことができない事実を否定できないのだ、ただ、それだけ。 そして、その事実が、彼を追いつめている。 そんな彼を、“あの男”・・・アクセルが哀れむように見つめていた。やがて、ゆっくりと息をつくと、手にした鎌を持ち直して彼の前に立った。 「カイちゃん。俺のために死んでくれる?」 優しい声でそう囁くと、もう何十年も愛用している、いつのころからか人の血を吸うために使われていた鎌を振り上げた。 『誰も殺さないって、決めているんだ』 ・・・そう、ずっと昔に誓ったはずの鎌で。 数え切れないほどの魂で紅く染まった刀身が、暗闇に煌いて、こちらを目掛けてゆっくりと・・・彼にはそう見えたのだ・・・振り下ろされるのを、彼は、ただ、ただ・・・見つめているほかはなかった。 |