「やっと・・・この時代に来れた」 男は溜め息とともに呟いた。 「永かったよ・・・ホントに」 すぐ側で空を見上げる、少年から青年へと変わろうとしている彼を見て、目を細める。 男の呟きを耳にした少年が、はっとなって振り返った。まだ幼さの残る、自分を知らない彼。 「・・・ええと、まだお名前を聞いていませんでしたね」 上目遣いに聞いてくる少年を片手で制して、男は椅子に腰掛けた。 ・・・さっきまでギアと戦っていた場所はとっくに離れ、今は少年の普段使っていない自室へと来ている。いつもは執務室にこもりがちなので、この部屋に来るのは久しぶりだった。 もちろん、事後処理などは済ませてきてある。もっとも、本当の意味での事後処理はこれからだが。 「・・・あの」 「カイちゃんは今何歳なのかな?」 初対面の男にいきなり“ちゃん”づけで呼ばれて少年は戸惑ったように片方の眉毛を少しだけ上げた。自分の名前を知っているのにももちろん驚いたが、不思議とこの男とははじめて会った気がしないのにも疑問を感じていた。 明らかに、自分を知る者の態度。 それなのに、自分は相手のことを何も知らない。それが引っかかった。 「・・・今年で19になります」 「!・・・へえぇ〜〜〜、わっかいんだねぇ、なんだか初々しいね」 男がニコニコと人懐っこく笑う。 少年は笑顔を引きつらせながら、自分もまた椅子を引いて腰掛ける。 「あの、・・・あなたは?」 「いいの、いいの、俺のことは。・・・それより、本題に入ってもいい?」 「はぁ・・・」 とりつく島もない男に、少年はややあきらめの表情を浮かべながらうなずいた。 ・・・と、男が急に真顔になる。先ほどまでのおちゃらけた雰囲気は消え、厳しい表情になった男に、彼は気圧されて、知らず、背筋を伸ばす。 「・・・5年後に、ジャスティスがよみがえる」 「・・・・・・え?」 一瞬、男の言ったことは空耳では、と思った。その可能性は確かにあるだろうし、自分もそれを承知で封印を施したのだ。 けれども目の前の男は、はっきりと、時期まで断定した。・・・なぜ?そんな疑問が少年の中で渦巻いていた。 「今から5年後に、君はアクセル=ロウという男と出会うだろう。そして、その男を・・・」 男はいったんそこで言葉を区切る。ちら、と少年の方へと目を向ければ、彼はわずかに驚きの表情をにじませて、こちらを食い入るように見つめていた。 男が、ふ・・・と笑みをもらす。 「その男を、君の手で殺して欲しい」 テーブルについた腕を組み、静かに言う。 少年が眉をひそめ、何かを言いかけた。・・・が、男はやはり、それを目線ひとつでいともたやすく封じて、話を続ける。 「・・・ソル=バッドガイ、という男は知っているね?」 「!」 意外な名前であった。3年前、自分の前から姿を消した男。自分との決着もつけずに。 そのことを忘れるために、憎んで、憎んで・・・それでも憎みきれなかった男。 「君にとって、決して忘れることの出来ない人物のはずだ」 「・・・・・・はい」 ほんの少しだけためらって、彼はそれを肯定する。 隠しても無駄だと思った。この男には、自分さえ知らない、自分の全てを知られているような気がして、全身を緊張が支配していた。 だが、不思議と不快ではなかった。 なぜだか、この男には全てをさらけ出してしまってもかまわないと思った。自分の思いも、迷いも、葛藤も・・・全て。 「彼が何を背負っているのか、君は知っているかい?」 この男は、ソルのことを知っている。疑問形ではなく、それは確信であった。おそらくは、自分よりもずっと。 ・・・いや、自分は、彼のことをなにひとつ知らないではないか。知っているのは、名前と・・・その強さだけ。実際、強さ・・・ですら、自分はほんの一部分しか知らない。どんなに願い、焦がれても、彼が本気で自分と渡り合おうとすることは、とうとうなかったのだ。 「知りません、何も。・・・ただ」 あの頃を、思い出す。 彼はいつも、ひとりであった。けれどそれは、決して孤独でいることが好きであるわけではなく・・・。 ・・・ただ、人と関わり合いになる、ということを無理に拒んでいるように見えた。いつも人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していて。けれどもそんな彼が、本人すら気がついていなかったであろう、・・・心が、悲鳴をあげているのを少年は知っていた。 だから、彼を振り向かせたかった。うざい、と言わんばかりの表情でも、その瞳が自分を映してくれるのが嬉しくて。 対等でありたいと願った、ただ一人の男。 「ただ、彼は何か・・・そうですね、何かを知っている・・・、そんな感じはしていました」 以前は、彼のことを口にするのも腹立たしかった。けれども、この男の前だと、素直に話すことが出来る。こうして自分に仮面をかぶせずに話す、というのは、少年にとってはあまり経験のないことであり、なんだか照れくさかった。 「・・・今の君では、きっと彼のことを理解しろ、と言っても難しいかと思う。けど、いずれ、彼のことをちゃんと理解って、受け入れられるようになるよ。君ならね」 どこか嬉しそうな、けれども悲しそうな微笑みを浮かべながら、男が言う。 「彼が苦しんでいることには君はとっくに気がついているだろう? 彼をそのしがらみから解放するには、その、“アクセル”という男がいてはならないんだ。・・・正確には、彼がああならざるを得なくさせたのが、アクセル=ロウという男。だから、君に頼みたいんだ」 「・・・待ってください、あなたは」 少年が、困惑したように眉をよせる。男の話がまるで見えない。なぜ、自分が見ず知らずの“アクセル”という男を殺さなければならないというのか。 「放っておけば、その男が、いずれギアを生み出す」 「・・・!」 ついさっき、そのギアの親玉を封印したばかりだというのに、この男の言うことは突飛が知れない。けれど、頭のいかれた者の言葉とは到底思えなかった。 「この頼み・・・聞いてもらえるかな?」 男が、少年を射るように見た。しかし少年は、たじろぐことなくその視線を受け止め、やがてゆっくりと首を振る。 「・・・できません」 「なぜ?」 男の問いかけに対しても、少年は迷うことなくきっぱりと答える。 「・・・あなたは、私を知っているから」 自分でも、意味の通った答えだとは思えなかった。だが、彼には他の答えが浮かばなかったのだ。 「時間を、いただけないでしょうか。その・・・“アクセル”というひとのことを知るための」 漠然としていた思いが、はっきりとしたかたちになる。自分が成すべき事とは何であるのか。この先どうなっていくのか。そこまでは、もちろん彼には知るよしもないことだった。それでも、これだけは、という確信があった。 「答えを出すのは、それからでも遅くはないでしょう、アクセルさん?」 瞬間、男が驚いたように目を見開いた。・・・が、すぐにうつむいて肩を震わせ始める。どうやら笑いをこらえているらしい。 「・・・あの?」 もしかして、自分が言ったことはとんだ見当違いだったのだろうか? 絶対そうだ、と思ったのに。・・・もっとも、はっきりとした理由があるわけではなく、直感だったのだが。 「ほんっと、カイちゃんは俺を驚かせてくれるよね」 心底、むしろ呆れに近い思いで男は言う。だから、この人なのだと・・・改めて思い知らされる。 いつだって彼は、自分の想像もつかない、だけど心のどこかで望んでいた答えをくれる。 「そうだね、じゃあ、また会いに来るよ。その時、君が果たして同じ答えをくれるかどうか・・・楽しみにしてる」 立ちあがった男の姿が、ぼんやりと歪み始める。 「・・・待っています、あなたを。ずっと」 少年がニコリと微笑んだ。 ・・・ああ、この笑顔だ。自分が最後に見た、彼の表情。同じだった。あのときと、なにもかも。 未来を変える、ということは時を超える自分にすら容易なことではない。 だけど今、自分がかつて幾度となく見てきた哀しい未来を変えるため、ほんの少しだけベクトルをずらしてやった。これだけではもちろん、未来は・・・結末は変わりはしないことを、男は知っている。あとは、この少年次第。 待っています、そう言った少年に、軽く片手を挙げてみせる。 おそらくは、自分にとってはほんのわずかな間。 けれども少年にとっては、自分と身の回りのことをじっくりと見直すのに充分すぎるほどの時間。 そのとき彼は、いったいどんな答えをくれるだろうか。 やがて男の姿は、少年の前から完全にかき消された。再び、この少年・・・おそらく次に会うときは自分の知っている彼・・・に、会うために。 |