息が詰まる。 そこは重苦しい空気に包まれて、彼は足を踏み出すのをためらった。 「カイちゃん・・・?」 後ろで不安げに聞いてくる青年に、一呼吸の間を置いてから、振り向くことなくこたえる。 「・・・・・・行きましょう」 城の奥へと進めば進むほど、その嫌な空気・・・瘴気、というべきかもしれない・・・徐々に濃くなるそれに、彼は不安を募らせていた。 ・・・知っている。この圧倒的なまでのプレッシャーを、自分はずっと以前から知っているのだ。 一歩踏み出すごとに、早く行かなければ、という焦りが彼の中でじわじわと広がってゆく。 早く行かなければ、きっと取り返しのつかないことになる。 そうしたら自分は、自ら死を選ぶ気すら通り越すほどに後悔することになるだろう。 なぜだか、そんな気がしていた。 「カイちゃん、あそこ!!」 突然後ろからかかった声に、彼はびくり、と身体をすくませた。 焦燥のあまり、一緒にいる青年のことなどまるで目に入っていなかったのだ。 彼はばつが悪そうに下を向いて、ゆっくりと息を吐いてから顔をあげる。 「あそこ、人が倒れてる・・・!?」 青年が指を差す、その先には・・・・・・。 「・・・・・・いえ、違います。あれは・・・」 そんなはずはない、と思ったのは一瞬で、彼はやがて事態を察知する。こうなることは、5年前からわかっていたはずではないか。これは、それのほんの一部の出来事にすぎないのだ。 「ギア・・・と、それに・・・」 それに・・・・・・? 「じーさん・・・!?」 「クリフ様!!」 慌てて駆け寄ると、ギアのすぐ側で倒れている老人が目を開けた。 「その声は・・・カイ、じゃな?」 彼ははっとなった。老人の目には、すでに自分は・・・いや、自分だけではない、もはや何も映ってはいないのだ。 「・・・・・・はい」 手の施しようもないことは、誰の目にも明らかであった。 彼は唇を噛んだ。彼にとっては、かけがえのない恩師で、身寄りのない彼にとっては祖父のような存在であった。その老人と、こんな形で・・・しかも唐突に失わなければならないのだ。 「・・・まだ、間に合うかも知れん」 そんな彼の心のうちを知ってか、老人は言葉を紡ぐ。もはや虫の息だ。老人が何を言いたいのか、彼には察するだけの心の余裕は、今はない。 「あの、ギアにやられたのですか」 かたい声で、老人に問う。 「カイちゃん・・・!」 背後から、青年の声。すぐ側に呆然と立つ、人の姿をした“ギア”をきつい表情で振り仰いだ。 「・・・貴様が、クリフ様を!!」 「違うんじゃカイ、テスタメントは・・・!」 そう叫んだ老人が、ぐっと喉を鳴らし、激しく咳き込んだ。 「クリフ様!」 「・・・・・・テスタメントは、ワシの息子じゃ」 「え・・・?」 信じられない、といったように傍らの“ギア”に視線を移す。 そのギアは、静かに・・・彼と、彼の腕の中の老人を見つめていた。 「・・・早く行ってやれ、あやつは・・・この先じゃ」 老人が指差した先、5年前、彼が封印を施した扉へと続く階段が見えた。 「しかし・・・」 あやつとは、恐らくは今自分が追ってきた男のことであろう。けれども、今ここを離れることはできない。この老人を置いては行けない。 「見届けてやってくれ。あやつの、すべてを。お主には・・・その権利がある」 「・・・どういう、ことですか? ソルは・・・」 困惑して、眉間にしわをよせる。先ほどから、自分にはこの話の中核がどこにあるのか、まるでわからなかった。急がなければならない、そんな焦りが彼を余計に急かしていた。 「・・・・・・あの者は、ギア、なのだ」 それまでずっと押し黙ったままのギアが、はじめて口を開いた。 「・・・・・・・・・・・・何、だって・・・?」 「ギアでありながら、我々ギアにあだなす“背徳者”・・・我々の長である“ジャスティス”を、倒すためにここへ来た」 「・・・・・・ソルが、ギア・・・?」 うめくように呟いて、彼は額に手を当てた。 ・・・やっと、5年前に現れた男の言葉が理解できた。 『・・・今の君では、きっと彼のことを理解しろ、と言っても難しいかと思う。けど、いずれ、彼のことをちゃんと理解って、受け入れられるようになるよ。君ならね』 そう、言っていた。 確かに、あの時にソルがギアだ・・・などと言われたとしても、そんなことは到底信じられないし、仮にその事実を認められたとしても、受け入れることなど、できはしなかっただろう。 けれど、今なら・・・つい先ほど、彼の者と剣を交わらせた今なら。少しはわかる。・・・もちろん、その驚愕は大きい。実際、信じられない・・・という思いもある。 しかし・・・彼には分かってしまった。 封雷剣と封炎剣・・・ふたつの神器がぶつかり合ったとき、あのふてぶてしい、などと思っていた男の・・・孤独、痛み、哀しみ・・・その背負った罪と絶望。 ああ・・・だからなのだな、と思った。 男が・・・ときおりみせた、深い、底の見えない色の瞳。 自分は行かなければならないのだ。救うために。 「・・・アクセルさん、ここを・・・頼みます」 青年がうなずくのを視界の端でとらえて、彼は立ち上がる。手にした封雷剣を、ただ一人の味方だとでもいうように握り締めて。 なぜ、行かなければならないのか? その答えがこれだ。 「ソル・・・!」 小さく呟いて、彼は駆け出した。 鎧を纏った数体のギアの、残骸らしきものが散乱する階段を一気に駆け上がり、封印の解かれた扉の前で、一度だけ立ち止まった。 この扉をくぐれば、もうあとには退けない。 自分は絶望するかもしれない。あるいは、この命・・・ここで終止符をうつことになる可能性だってある。 それでもいいと、今、思う。 ただ、救わなければ。 そんな思いが彼の内を満たしていた。 ゆっくりと深呼吸をして、歪みかけた扉を開け放つ。 彼の目の前に、真っ白な・・・光の空間が広がってゆく。 それは5年前に、彼が見た光景とまったく同じ・・・ただひとつ違いがあるとすれば、守ろうとするものがあの時と違うだけ。ただそれだけだった。 |