MESSIAH〜3




息が詰まる。
そこは重苦しい空気に包まれて、彼は足を踏み出すのをためらった。
「カイちゃん・・・?」
後ろで不安げに聞いてくる青年に、一呼吸の間を置いてから、振り向くことなくこたえる。
「・・・・・・行きましょう」

城の奥へと進めば進むほど、その嫌な空気・・・瘴気、というべきかもしれない・・・徐々に濃くなるそれに、彼は不安を募らせていた。
・・・知っている。この圧倒的なまでのプレッシャーを、自分はずっと以前から知っているのだ。
一歩踏み出すごとに、早く行かなければ、という焦りが彼の中でじわじわと広がってゆく。
早く行かなければ、きっと取り返しのつかないことになる。
そうしたら自分は、自ら死を選ぶ気すら通り越すほどに後悔することになるだろう。
なぜだか、そんな気がしていた。

「カイちゃん、あそこ!!」
突然後ろからかかった声に、彼はびくり、と身体をすくませた。
焦燥のあまり、一緒にいる青年のことなどまるで目に入っていなかったのだ。
彼はばつが悪そうに下を向いて、ゆっくりと息を吐いてから顔をあげる。
「あそこ、人が倒れてる・・・!?」
青年が指を差す、その先には・・・・・・。
「・・・・・・いえ、違います。あれは・・・」
そんなはずはない、と思ったのは一瞬で、彼はやがて事態を察知する。こうなることは、5年前からわかっていたはずではないか。これは、それのほんの一部の出来事にすぎないのだ。
「ギア・・・と、それに・・・」
それに・・・・・・?
「じーさん・・・!?」

「クリフ様!!」
慌てて駆け寄ると、ギアのすぐ側で倒れている老人が目を開けた。
「その声は・・・カイ、じゃな?」
彼ははっとなった。老人の目には、すでに自分は・・・いや、自分だけではない、もはや何も映ってはいないのだ。
「・・・・・・はい」
手の施しようもないことは、誰の目にも明らかであった。
彼は唇を噛んだ。彼にとっては、かけがえのない恩師で、身寄りのない彼にとっては祖父のような存在であった。その老人と、こんな形で・・・しかも唐突に失わなければならないのだ。

「・・・まだ、間に合うかも知れん」
そんな彼の心のうちを知ってか、老人は言葉を紡ぐ。もはや虫の息だ。老人が何を言いたいのか、彼には察するだけの心の余裕は、今はない。
「あの、ギアにやられたのですか」
かたい声で、老人に問う。
「カイちゃん・・・!」
背後から、青年の声。すぐ側に呆然と立つ、人の姿をした“ギア”をきつい表情で振り仰いだ。
「・・・貴様が、クリフ様を!!」
「違うんじゃカイ、テスタメントは・・・!」
そう叫んだ老人が、ぐっと喉を鳴らし、激しく咳き込んだ。
「クリフ様!」

「・・・・・・テスタメントは、ワシの息子じゃ」
「え・・・?」
信じられない、といったように傍らの“ギア”に視線を移す。
そのギアは、静かに・・・彼と、彼の腕の中の老人を見つめていた。

「・・・早く行ってやれ、あやつは・・・この先じゃ」
老人が指差した先、5年前、彼が封印を施した扉へと続く階段が見えた。
「しかし・・・」
あやつとは、恐らくは今自分が追ってきた男のことであろう。けれども、今ここを離れることはできない。この老人を置いては行けない。
「見届けてやってくれ。あやつの、すべてを。お主には・・・その権利がある」
「・・・どういう、ことですか? ソルは・・・」
困惑して、眉間にしわをよせる。先ほどから、自分にはこの話の中核がどこにあるのか、まるでわからなかった。急がなければならない、そんな焦りが彼を余計に急かしていた。

「・・・・・・あの者は、ギア、なのだ」
それまでずっと押し黙ったままのギアが、はじめて口を開いた。
「・・・・・・・・・・・・何、だって・・・?」
「ギアでありながら、我々ギアにあだなす“背徳者”・・・我々の長である“ジャスティス”を、倒すためにここへ来た」
「・・・・・・ソルが、ギア・・・?」
うめくように呟いて、彼は額に手を当てた。

・・・やっと、5年前に現れた男の言葉が理解できた。
『・・・今の君では、きっと彼のことを理解しろ、と言っても難しいかと思う。けど、いずれ、彼のことをちゃんと理解って、受け入れられるようになるよ。君ならね』
そう、言っていた。
確かに、あの時にソルがギアだ・・・などと言われたとしても、そんなことは到底信じられないし、仮にその事実を認められたとしても、受け入れることなど、できはしなかっただろう。
けれど、今なら・・・つい先ほど、彼の者と剣を交わらせた今なら。少しはわかる。・・・もちろん、その驚愕は大きい。実際、信じられない・・・という思いもある。
しかし・・・彼には分かってしまった。
封雷剣と封炎剣・・・ふたつの神器がぶつかり合ったとき、あのふてぶてしい、などと思っていた男の・・・孤独、痛み、哀しみ・・・その背負った罪と絶望。
ああ・・・だからなのだな、と思った。
男が・・・ときおりみせた、深い、底の見えない色の瞳。
自分は行かなければならないのだ。救うために。

「・・・アクセルさん、ここを・・・頼みます」
青年がうなずくのを視界の端でとらえて、彼は立ち上がる。手にした封雷剣を、ただ一人の味方だとでもいうように握り締めて。
なぜ、行かなければならないのか? その答えがこれだ。
「ソル・・・!」
小さく呟いて、彼は駆け出した。
鎧を纏った数体のギアの、残骸らしきものが散乱する階段を一気に駆け上がり、封印の解かれた扉の前で、一度だけ立ち止まった。

この扉をくぐれば、もうあとには退けない。
自分は絶望するかもしれない。あるいは、この命・・・ここで終止符をうつことになる可能性だってある。
それでもいいと、今、思う。
ただ、救わなければ。
そんな思いが彼の内を満たしていた。

ゆっくりと深呼吸をして、歪みかけた扉を開け放つ。
彼の目の前に、真っ白な・・・光の空間が広がってゆく。
それは5年前に、彼が見た光景とまったく同じ・・・ただひとつ違いがあるとすれば、守ろうとするものがあの時と違うだけ。ただそれだけだった。




・・・MESSIAH〜4・・・

・・・読物INDEXへ・・・